歯も大事
自動車でも50年乗ればガタがくるんですから、80年も使ってたらそりゃあどっかガタがきますよ
嘆く高齢者への私のオハコ文句だ。
痛みや辛さの嘆きブラザー&シスターの合唱を聞き続けている私は、自分の身体のメンテナンスを自然と行うようになった。
全体重を小さな面積で支えている足の裏は、かなり重要ポイントだ。
足の裏の重心バランスが崩れると、からだ全体のバランスが見事に(調整をとろうとして)変化してくる。
足が変わると骨盤が変わり、背骨、肩、首…と身体が報連相を密に連携して絶妙なバランスをとってくれるのだ。
おかげで人間の体は、めちゃんこ歪んでもまだ歩ける。すばらしい造作、バランス感覚である。
私は1日数キロ歩くので、靴と靴の中敷きにはできる限りのことはしたい。
負担をかけずに立てる、歩けることが目標だ。
30代のころ、私は沢山のマッサージ、接骨院、エステに行った。身体がしんどいとどっかええとこはないか~?!と放浪していた。
中でもエステは大好きで、リンパを流してくれる全身マッサージは癖になるほど気持ちがいい。
一回三万円コースなども経験したし、14万円コースや30万円コースも購入した経験がある。
岩盤浴もよく行っていた。高額コースになると身体を温めることがセットになって至れり尽くせりなのだ。
ちまたの本や方法論にも飽きるほど食い付いていた。
それくらいの熱量で『自分の身体を負担に思わない』生きやすさを求めていた。
身体の違和感がいちいち気になるタイプなんだろう。
リンパを流さなければ気が滅入る。
年々、この身をまとっていることが窮屈なのだ。
家でヨガをする習慣をつけてから『だれか何かになんとかしてもらわなければ体の違和感が抜けない』ということが無くなった。
つまり、血流をよくする事にお金をかけなくても良くなったのだ。
朝や晩の身体のおもだるさ、こわばりからヨガをせずにはいられない。わざわざどっかへ行かなくてもいい、というのは、時間も労力も効率的だ。
そして色々して分かったのだけれど
とにかく、筋肉をつけたらおしまいとか、柔軟になったらおしまいとか、そんなゴールはすでに消滅しており、幻だった。
期待していた、もしや一定の努力や何かしらの特殊技術、ファスティングなどの方法でもって、治るとか、何もしないで軽い身体に戻るということは、もう無いのだろう。
それが今の私の見解だ。
自分でしようと、お金をかけようと、とにかくなにか外側から常に力を加えなければ身体は硬くなるということに、なんかガックリする。
10代の無頓着にも絶対的だった身体の軽さには戻れないんだなあ~
ご飯を食べ続けるのと同じく、体も動かし続けなくてはいけないようだ。
エステやマッサージは行かなくなったけれど、30歳なかばで右足の甲を骨折したことがあって、そのメンテナンスだけは何年もずっと続けている。
骨折した部位が、自己修復で骨に厚みがでてしまっているためだ。
わずかな骨折だったけれど、さすが足。ほっとくと全身に影響して腰や肩が、あるいは腕が(!)右足の甲を発端にして痛む。
肩、首、腕のだるさをかかりつけの針灸接骨院で見てもらうと、原因は過去の骨折からくる足首の固まりだったりする。(足首の可動域が狭くなって歩行時の地面との接触動作の変化から骨盤への負担が生じたりするのだ)
足首をまわすだけでも立派なストレッチである。
ストレッチで伸ばすな!と主張されている考え方の識者もおられるので、もしかすると、私は伸ばすが故に『伸ばさずにはいられない』身体になってしまったのかもしれない。
反論者の意見も知ったうえで、関節を伸ばしたり緩めたりするのがきもちいいので、自己責任で今夜もゆっくりとヨガ的柔軟体操をして眠ろうと思う。
元気に老いましょう。
えいえいおー
おやすみなさい。