寄り添い


日本経済新聞とのコラボテーマ「#仕事での気づき」。ざっと概要を見てみる。


ダメだ。無理。みんなの琴線に触れるような、SNSのいいね!ボタンを押してもらえるようなことなんて何もない。嫌なことしか思い出せないから。
高卒で働き始めて10年経たず寿退社。バブル景気のおかげでどうやら勤め先には事欠かなかったけれど、自分の能力不足や対人関係の悪さで職場を転々とした。直近で障害者就労支援施設で障害者の立場で働いていて、同じ障害者のひとに寄り添いたいんです!と施設側に話したら「あなたはそんなこと考えなくていいんです」と冷たくあしらわれたからだ。
同じ障害者という立場でも、困った時はお互い様の何がいけないの?手取り足取り介助が必要なわけではないのに障害者様でいることを要求されているのか。
それ以前から急に居心地の悪さを抱えていた私は、退所を決めた。

ずっと就労支援で甘んじるつもりはなかった。でもなんの仕事をしたらいいのか分からない、病気になる前から転職歴の多かった私には通院も融通が効いて症状の波にも配慮してもらえると思った就労支援施設は渡りに船だった。実際ここが継続年数としてはいちばんだった。専業主婦歴10年を除いては。
「就労支援施設で働くからには、障害者らしくいろ、口出しするな。自分のことだけ考えて、誰かを助けるなんて考えるな」という気づきを得る結果となってしまった。
確かに精神疾患を患っているが善悪の判断だってつくし、疾病利得を受ける気もサラサラなかったから、信頼していた作業所側の言葉は心外だった。とても信頼を寄せていただいていると思っていただけに、絶望的でもあった。ニコニコ笑って優しく接してくるひとほど、信じてはいけないとさえ思うようになった。

やりがいがあって、一般就労に戻れそうになければ死ぬまでここで働くつもりでいた。
5年めなのにベテランかと思いましたと新しく入る職員の方に言われたことがあるけれども、あれは皮肉だったのかしら。そう思ってしまうような最後の作業所の反応だった。

やりがいってなんだろう。障害者がよりそうことは許されないのか。こんなマイナスな文章はとても応募できない。皆さん前向きなことばかりだろうし。
そんな私に、神が舞い降りた。

高卒で婦人靴メーカーに就職し、とある大手デパートに配属された。折しもバブル経済まっしぐら。初めて見る大人を感じさせるパンプスたち。色や黒だけではない、明るい色のパンプスたちに田舎娘の私は目を奪われた。
値段も6900円を筆頭によく売れるのは9800円ほどの靴。
接客用と通勤用とプライベート用と、脚は2本しかないのに季節に合わせて買いまくった。貧乏生活で母親が可愛い服を「アンタは背が高いから大人用しか買えない」と要望を聞いてもらえない反動が爆発した。
服と靴のバッグのトータルコーディネートを楽しんでいた。抑圧されていた自己表現が散りばめられていた。
「少しは街の可愛い子たちに近づけるかな」
そんな無謀なことも考えていた18歳だった。

デパート販売員をしていたと話すと、大人しいのに?話しかけるの怖くない?」とよく言われた。大人相手に話しかけるのに慣れてない、その上毎日10,000円のノルマを設定されプレッシャーでしかなかった。
終礼での発表は、私は拍手を貰えなかった。
頑張りたいけれど頑張れない。
買っていただけそうなお客様との接客中に、ご飯行ってきてと先輩と変わることも多く、あのまま接客できていたらノルマ達成できてたかもしれないのにと悔しい思いもたくさんしてきた。

週末になると、とにかくお客様に対応しきれない、トイレにも自由に行けないほどの密集地と化していた。残念ながらそれに乗じて、履いてきた自分の靴と商品を試し履きするように見せ掛けながら、そのまま履いて帰った痕跡も何度か見かけた。閉店してから気づく虚しさ、脱力感。自分の持ち場でないにしろ、何故見つけられなかったのだろうと悔しさが残った。

新卒で入り先輩たちに目をつけられ、何かと居心地が悪いながらも靴が好きだから頑張ってこれた。仕事ってそんなに簡単に辞めるものではないと思ってたから、先輩たちの陰口にも耐えた。

ある日曜日、「いらっしゃいませーどうぞ履いてみてくださいねー」と声かけをしてまわっていると、母娘連れの姿が目に付いた。既視感がある。

「これでいいじゃない!」と少し苛立ちを見せるお母様。次々合皮パンプスを渡す。「えーでも…」と中学生らしきお嬢さんは半ば俯き、表情も冴えない。その母娘の関係性を見た気がした。

「いらっしゃいませーお嬢様、こちらのお靴は如何でしょうか?」

女の子に笑顔の光が刺した。
やっぱり…そうだったんだね。母娘でも履きたい、履かせたい好みは違う。
私が提案した靴は、白い合皮の靴で、子供靴のデザインをお姉さんスタイルにバージョンアップしたもの、と言ったらいいだろうか。足の甲の部分は同じく白い丸紐で結んであり、私も中学生になる前に紐靴に憧れてたことを思い出した。通学用のスニーカーだからデザインは違うけれど、なんだかおとなになった気がしたんだよね。

「これがいいの?」と少々戸惑い気味に尋ねるお母様に、うんうんと靴に恋した瞳のお嬢様。合うサイズの在庫の確認をし、嬉しいことにお嬢様の手元に靴箱の入った袋をお渡しすることができた。
お金をいただくのはお母様でも、この靴を求めて一緒に青春を謳歌するのはお嬢様。お母様の問いかけにも意思を通したのもお嬢様。
お姉様系でなく、カジュアルかつ可愛い系が気になっているのではとお声掛けして本当によかった。
お金を出してもらうのだからと遠慮しつつも、自分の欲しいものは譲れなかったんだね、よく頑張ったねと声をかけてあげたい。そこに私が通り掛かっていなければ、お嬢様は靴を買うことを諦めるか、それともお母様の勧めるパンプスタイプの靴を我慢しながら履くことになってたかもしれない。
めぐり逢いって、不思議だ。
私もそんな母娘関係だったから、無意識にアンテナが反応したのかな。
あの時のお嬢様は、あれからまたワクワクする靴に出会えただろうか。本当はもっと関わっていたかったけれど、残念ながら程なくしてそのデパートを辞めたため、お会いすることはなかった。せめてなんとなく感じた違和感だけでも解消されてたらいいなと願っている。違和感を抱えた先輩として。

寄り添い。
相手がどんな立場であっても、自分がどんな立場であってもその心は持ち合わせていいと思ってる。それは自然な感情で、見返りのないものだから。
相手を大切に思うからこそ、寄り添いたいと感じる。それを良くも悪くも、仕事で学ぶなんて皮肉だとも思う。それでも影があるから輝く、あの約40年前のできごとを思い出せたのは影のおかげ。そこだけは作業所の上司に感謝かな。
初めて自分の力だけで靴を売ったことよりもいちばんに記憶している。
あの時のお母様とお嬢様に、寄り添うことの大切さを教えてくださりありがとうございますって伝えたい。

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