ひまわり娘
誰のために咲いたの それはあなたのためよ
白い夏の陽射しを浴びて こんなに開いたの
恋の夢を求めて まわるひまわりの花
そしていつも見つめてくれる
あなた 太陽みたい
アラ還世代以上の方ならご存知だろう、伊藤咲子さん、いや伊藤咲子ちゃんの「ひまわり娘」。おねえさんが歌ってるというのは記憶にあるけれど、当時16歳だったなんて本当に昭和のアイドルの方たちは、歌唱力を兼ね備えた「偶像」だったと今でも思う。
そしてこの曲は、私のテーマ曲でもある。
大好きなひと、夢、希望、そして子供時代の夏休みの甘酸っぱい想い出をのせて、いつでも眩しい太陽を見上げてる。どこまでもどこまでも望みを捨てず、きっといつか幸せを掴み取ると信じて、高みを目指す。
夏休みになると、ラジオ体操を済ませてこじんまりとした借家の平屋の花壇に水を撒く。昔のひまわりは今と違って背も高く、2mを超えそうなものなんてザラだった。霧状ノズルを使って、長いホースで水を母親と一緒にかけるのは朝の楽しみだった。
花たちが瑞々しく主張して、私がいちばん綺麗なのとしゃんとする。みんな主人公。その中でひまわりは別格だったのだ。
クラスの中でも後ろから3、4番めに背が高い私より伸びるひまわりに圧倒され、嫉妬する間なんてなかった。惚れ惚れとして堂々としている。多方面において弱かった私はそうなりたかった。
いつしか学業や仕事に追われ、花壇のひまわりに目を向けることもなくなった。それでもどこかしら気にかけていたのか、少女趣味な私はひまわりの花束を胸に抱えていたいと思うようになっていた。
その願望を年下の男性に話したことがある。
いつか連れて行ってあげるよといいながら、彼は消えてしまった。夢は儚く消えた。
それでもテレビでひまわり畑のニュースを見る度に、ひまわりに会いたい、抱き締めたい、大輪のひまわりを見たいと強く願い長い年月が経った。
免許もないゆえ、ひまわり畑に連れてってくれそうなひともいない上、昨今のひまわりは小さな背丈の可憐な花ばかり。大輪の花はもう死ぬまで見ることができないと思ってた。
そんな私に「ひまわり娘」が現れた。
よく通る道すがら、ご近所さんの花壇でいつも季節の花は咲いてたけれど、これまで見たことがないひまわりがつぼみをつけて凛と立っていた。
花が咲くまで信じられなくて、子供と一緒に葉っぱや茎、つぼみを何度も見てひまわりだよね?と確認しあった。
そして遂に。
ひと様の庭先なのに、私はひとりほぉーっと見惚れていた。こんなに大輪の花、何年ぶりだろう。花が少し小さいかなと思ってしまうのは、私が163cmまで成長したからだろうか。こんなことを言ってしまうとご近所の方にもひまわりにも非常に申し訳ないのだが、「フライパンみたいな大きな花が咲いてた」と子供たちに報告した。
言葉は色気も粋も何もないのだけれども、それくらい立派で感動した。たくさん種子が採れて、来年また撒いてくれるかな。
ここに少なくともふたり、そして遠方のひまわり大好き女子がいるから、また写真を撮って私たちや彼女を勇気づけたい。
思い出した。
ひまわりといえばウクライナ。
ウクライナ侵攻が起きてから、ウクライナ産のひまわりの蜂蜜をいただいたこともある。
美味しくて、購入することでお役に立てばと考えていた。
今採れてるかもわからないけれど、ひまわり娘になってウクライナのことも思いたい。
青と黄色の旗を持つ国のことを。
みんなで愛するものを追い求めたい。