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現代の『誹謗中傷』の危うさを考える

変わってきた誹謗中傷の捉え方

 今年に入り、誹謗中傷や迷惑行為に関する事件が報じられるとともに、それらに対する方策の模索が活発化している。
 もっとも、特定個人に向けた罵詈雑言の書き込みやSNSを介した嫌がらせについては、これまで何件も発生している事案である。とりわけ過激なものについては法的措置をとるに至ったケースもあり、今になって急激に厳しくなったというわけでもない。大きく違うのは、そうした迷惑な行いに対する周囲の意識である。

 数年前であれば、政治家や著名人のアカウントが炎上したところで、
「これこれこういう失言を公の場でやった。実に無神経である」
といった攻撃者側の言い分に対して一理あると感じ、賛意を示す流れもあった。騒動が過熱し、一部が行き過ぎた主張をする段階になってもなお、
「元々のきっかけが彼らの悪行なのだから仕方がない」
という風向きになり、直接の犯罪行為に手を染めない限りは攻撃者の道理を認める傾向が続いていた。
 これは、攻撃対象の瑕疵や特定のカテゴリーに対する差別意識の発露など、広範な悪意や害意が含まれた発言が発端となっていることも影響しているだろう。特に職業や性別、心身のハンディキャップに対する発言については、拡散力のある人物が発することで世間の捉え方や扱いにも影響が及ぶ。そうした意味で、攻撃者だけでなく話題を聞きかじった周囲も神経質になりがちである。
 しかし、今年はその様相ががらりと変わった。人気を博していた番組『テラスハウス』の出演者が誹謗中傷を原因に自殺したことが契機のひとつだ。自ら命を絶った原因に、SNS上での心ない書き込みが殺到したことが関係していると報じられたことで、
「他人の行動を責めて罵詈雑言をぶつけることに正当性はあるのか?」
という疑念がネットで広がった。と同時に、攻撃者に対する目線も一転して厳しいものに変わり始めたのである。
 これについては、攻撃対象となった人物が番組の意図によって悪役のように扱われたことも関係しているだろう。実際のところ、彼女は大事な衣装を駄目にされた被害者であり、過度に怒りを示すのも仕方がないほどの状況に置かれており、これを面白おかしくしようと編集した番組側の瑕疵は否定できない。悪者のように見えたからと叩かれ、自ら命を絶つまで追い詰められたという一連の流れは、教育現場でのいじめを彷彿とさせるものである。そうした事情が、攻撃者に対して共感できない印象を構成したと言えるのではないかと思う。

 誹謗中傷による明確な犠牲者が出たという状況から、社会は変化を迎えつつある。政治においてはネット上の投稿について、悪意ある書き込みについての規制を含む法制度の改正が検討されている。また、企業や注目を集める著名人については、迷惑行為に対して法的措置に踏み切る構えを見せるなど、カウンター的な方策を打ち出してきている。
 このような状況下で、誹謗中傷について今一度考えを巡らすのは重要なことだと僕は考えている。今回は、現代社会における誹謗中傷の状況について語っていく。

『拡散する誹謗中傷』が対象の『社会的な死』を招く

 辞書で引けばわかる通り、誹謗中傷とは「謂われのないことを言いふらし、対象を傷付ける行い」を意味する言葉である。といっても、実際には内容の真偽虚実にかかわらず、精神攻撃や立場の毀損を目的とした発言や発信をすべてそう呼んでいる。つまるところ、一般には『害意を伴う悪口』という程度に認識されているのが誹謗中傷行為である。

 インターネットが社会に普及する前の時代、誹謗中傷は専ら口頭や紙ビラ、FAXなどの形で行われてきた。実行に移せる立場の人間は限られるが、新聞や雑誌等の書籍媒体、ラジオやテレビの番組を利用し、一方的な風評を拡散させるのも手段のひとつに含まれるだろう。やり方は違えど、他人を叩いてやり込めるという発想自体は昔から存在するものであり、最近になって表に出た概念というわけではない。
 ただし、こういったかつての手段は拡散能力に乏しく、地域への依存性が高かった。全国規模の番組で発信されれば別だが、大抵は一地域に収まる程度の影響力しかなく、その土地を離れることで被害から逃れることは可能であった。また、実名や使用実態のともなう番号から誹謗中傷が行われるために、いざという時の通報や法的措置といった対応も採りやすかったと言える。
 しかし、SNSが大衆に普及し、誰もが自由に発信できるようになったことで、誹謗中傷は不特定多数に連鎖し、炎上という形で急速な拡大を見せるようになった。とりわけ、匿名と非匿名が混在するTwitterのようなソーシャルメディアは拡散の一大要因と言えるだろう。発言力のある著名人や団体がまず非難し、それに多数が乗りかかる形で多数の投稿が行われるからだ。利害の絡む相手や愉快犯だけでなく、関わりのない一般的なアカウントからも苛烈な言葉が届く状況。被害者からしてみれば、まさしく地獄の様相である。
 また、一つの問題が浮上した際に、当該事案以外の情報もまとめて掘り返され、そこの瑕疵や不審を巡っていっそう叩かれることも多い。これは情報がいつまでも残り続け、蓄積され続けるインターネットに特有の現象と言えるだろう。それまで見過ごされてきた軽度の失言や失態が、主軸の批判と結びつけられ、深刻なものとして受け取られるのは、自業自得と言えども理不尽である。

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