VTuberとシナリオ性
昨今のVTuberを見ていて、特に気になっている点がひとつある。それは、VTuber自身の持つシナリオ性である。
シナリオと言っても、ドラマの台本や小説の筋書きのように厳密で順守を望まれるようなものではない。どちらかと言えば、配信者として『何者であるか』『何を目的として活動しているか』といった情報を形作るための背景である。時として演者からも忘れられがちなキャラクター設定もその一つと言える。
伸び悩みや低迷から引退を余儀なくされるVTuberにおいては、シナリオ性での乏しさや過剰さを感じることが少なくない。逆に、シナリオ性を程よい案配で確保できているVTuberは、ファンの規模や配信内容に安定感があり、話題づくりのできる配信者として注目されることが多い。
配信コンテンツの提供者であると同時に、ファンの想像や推理を託されるキャラクターでもあるVTuber。今回はその存在を成り立たせるうえで重要なシナリオ性について語っていこうと思う。
シナリオ性 ≠ ストーリー性
先も述べた通り、VTuberに求められている『シナリオ性』とは彼らの背景に存在する情報である。
たとえば出身地や経歴、VTuberとして活動する目的などは、そのキャラクターを定義づける上で必要となる情報だ。演者の言葉遣いや話題はこれらを元にし、演者自身の知識や体験談を融合させることで成り立っている。
また、服装などの外見にもシナリオ性は宿る。体に傷跡や痣があれば「過去に何かあったのだな」と察することができ、異国の装束としてデザインされた服を着ていれば「こういった地域に近い文化のある土地から来たのだな」と想像を膨らませることができる。
そうしたところからファンアートでのネタや情景が定まっていくのを見ると、VTuberにキャラクターコンテンツとしての特性があることを改めて感じさせられる。姿や情報から現実にはないもの、知りえない文化を想像するという点で、現実の実況者が似顔絵イラストのアバターを使うのとはまた異なった性質を備えているのである。
VTuberに付与されたシナリオ性は、演者にとって肉付けの基準点となる。特にロールプレイ(RP)を意識して配信している場合、話すネタや遊ぶゲームの選択に自身の設定を絡ませることで『らしさ』を演出することができるだろう。そうして表に出したエピソードはシナリオの一部となり、VTuberのキャラクターとしての魅力を高めていく。
同時に、キャラクターの背景はファンにとって投錨の標となる。配信活動の一幕を切り抜く作品にしろ、二次的な想像の産物にしろ、与えられた設定を踏まえることはファンの中での共通性や共感性を生む。演者の側もそうした世界観を適度に拾い上げ、自らを肉付けしていく。そうした積み重ねが、盤石な支持層を得ることにも繋がっていくのである。
ここで気をつけてほしいのは、「VTuberのシナリオ性はストーリー性と等価ではない」という点である。彼らのシナリオとはあくまで配信を始めるまでの生い立ちであって、これから画面の前で進行していく物語ではない。
たとえば、物語に仕立てた一方向型のコンテンツを仕掛けるなら、キャラクターの持つシナリオ性をベースとして、繋がりを持ったストーリーを組み立てていく必要はあるだろう。結末までの筋道が明確でなくとも、演者自身の変化とは別にVTuberは成長し変化していく。同時に取り巻く状況も変化を重ねていくこととなる。
しかし、日々ゲームや雑談などの配信を繰り返しているVTuberに対して、ファンは必ずしも物語の進行や状況の変化を望んでいるわけではない。キャラクターへの想像を膨らます上でシナリオ性が必要とされる一方、日常の配信活動においては非可逆的に変化していかないことの方が強く求められる。
物語の中の人物と触れ合いを持ちたいのか、それとも異世界・異邦の人物と日々のひとときを過ごしたいのか。そういった部分において個々の差が生じるVTuberは、必ずしもストーリーを必要としていない。しかしながら、どんな場合であれ彼らの何たるかを定義付けるシナリオは必要とされているのである。
『謎』『秘密』『実態』のバランス感覚がファンを生み出す
VTuberにシナリオ性が必要なことは前項で述べた通りである。しかし、一口にシナリオと言ってもその質や内容には差がある。
シナリオ性を重視し作り込んだキャラクターでデビューしたものの、鳴かず飛ばずで低迷しているVTuberも少なくはない。チャンネル登録者10万人クラスの人気者が出てくる一方で、零細配信者が多く生まれるVTuber界隈。上位と下位の配信者で一体何が違うのだろうか。
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