悲しいのを誤魔化して食事する
今でも思い出すのだけど、父の危篤を知らずに実家へ帰り、私にだけ隠し通そうとされた怒りをグッと抑え込み、ただただ残された父との時間を過ごしていた。
一時的に帰宅して、冷蔵庫の残り物で牛丼を拵えて親戚ときょうだいに食べさせた。
ふと、これは父が望んでいることだろうなと思えた。娘である私の拵えるご飯を、いつも笑顔で食べていた父。高血圧だから塩分控えめにして、薄味だけど出汁を効かせたお惣菜を出していた。
父の事だから、そのお惣菜を一度は食べてもらいたいと、考えてただろうと思う。
看取る前日の夜、きょうだい二人がさしで飲み始めたので、肴になるものを拵えて出した。
「お前、泣かないって強いな。」二人から言われた。
顔には感情が出てこないだけで、腸煮えくり返ってるし、二人がおいおい泣きながら飲んで摘まんでるのを眺めてたら、こっちの涙がひゅっと引っ込むものだろう。
ふざけんな、ばかやろう。
お葬式も四十九日も法事も、食事が付き物。
みんなの前では平然とした顔で、お膳を戴いた。
私はいつ泣いていいんだろう。
結局、怒りを閉じ込めてしまい、抑えていた疑問も、涙をこぼすタイミングもないまま、父を送り出した。
あれから11年。
亡き祖母が好きだった歌舞伎を観に行った。
昼の部を終えたので、ちょっと定食でも食べようと寄り道した。
食事が来るまでスマホを触っていたら、歌舞伎役者さんのニュースが速報で目に飛び込んできた。
頼んだ定食が運ばれてきた。
割り箸を割る両手が震える。
ふぅっと嘆息を静かに出して、定食と向き合った。
人前で食事中に泣くわけにはいかない。
スマホを仕舞って、お箸を運びながら咀嚼する。
手の震えだけが、悲しみを伝えてくる。
いつから悲しみや怒りを抑えて、何でもないように振る舞うようになったのか。
本当は泣きたいのに。感情を爆発させたいのに。
静かに食事を終えて店を出て歩き出す。
一人になれば、いや、一人になっても泣くのが難しい。
抑え込んだ悲しみが、頭痛になって私の頭を締め付けるように苦しませる。
素直に
泣ける日は
もう来ないのだろうか。
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