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5.心を正常に戻す時間

「小説は世界を変えられない。ただ消えて溶けるだけ。」という言葉がつきささったことがあった。当時の私は自分が小説を書き終えたこともないくせに自分が書いた小説でどこかで行われている戦争とかが止まったりしたらいいのにな、そういう小説描きたいな、なんて夢見ていた。そしてその夢をもったのは伊坂幸太郎の小説が好きになったからで、その伊坂幸太郎の小説を読んでいたときにそんな一節がでてきたから、今まで信頼して寄りかかっていた柱が実は柱ではなくただの弱々しいタンポポの茎であった、と知ったかのような不安に襲われた。

でもいまは消えて溶けるの意味が本や映画を読んだり見たりするうちに、その意味を理解できるようになったと思う。
消えて溶けるというのは、なくなるというよりは染み込むほうがイメージ的には強い。本人も気づかないほどに染み込んでいって、なにかから得たその考えが自分で以前から自分で考えていたことのように居座っている。

最近、作品を読んだあとに自分の中に変化があったか、という話を人とよくする。

ここでも話したが、私の中で"良い作品"の定義は「見る前と見た後で変化があったか」だと思っている。

見る前と見た後で、というのは、それが完了していなくてもよくて、例えば物語の途中に出てきたこの一節が好きだったなあとか、心に残っているなあとかそういうのでもよい。

昨日、映画の記録をつけるために久しぶりにfilmmarksをつけて過去に見た作品を見返しているとピアノの森というアニメがでてきた。私はそれにとても高評価をつけていて、たしかにその見終えた後の興奮や感動はあったはずなのだが、なにに感動したのかは忘れてしまっていて、思い返してもあぁなんとなくいい作品だったなあ程度の感想しかでてこない。終わったあとはあんなに感動していたのになんという薄情さだと自分でも思う。

ただ、ピアノの森ですぐに思い出せるよかったフレーズがあった。それは、「心を正常に戻す時間」という言葉だ。

たしか、主人公の音大生が教えていた小学生が学校でいじめられていて、「心を正常に戻す時間」として、ピアノを好き勝手にひく時間を小学生にあげていたシーンだ。その時間は先生(主人公)も部屋にはいらないようにして、小学生に勝手気ままにピアノをひかせてあげる。それを小学生は心を正常に戻す時間として言っていた。

たしか、私がこのアニメを見た時は、仕事の繁忙期はピークに達しており、オンとオフがうまく切り替えられない日々が続いていて、心がとても荒んでいた。そんなときに「心を正常に戻す時間」という言葉に出会って、あぁそうだよね、ちゃんとそういう時間をとらないとだめだよね。と当たり前のことに気付かされた気がした。

普段から、心の平穏を保つためのあれこれは実践していたものの、「心を正常に戻す時間」とちゃんと言われることで、心が正常じゃないことが前提としてある状態で、しっかり正常に戻す時間をつくりなさいと自分が自分に無理をさせていることを叱られた気がしたのだ。

それからというものどうやったら心を正常に戻せるか、ということを考えて試している。

たとえば、私は不安からエスケープするためのコーピングリストというものを作っているのだが、そのためのいくつかに心を正常に戻す時間にとても役立つものがある。

たとえばアロマを炊いたり、noteを書いて考えを整理したり、白湯を飲んで体を温めたり、そういうことで自分のざわざわしていた心が正常に戻っていくことを感じる。

アロマは先輩からいただいたhibi というものを使っているのだが、とてもよくて、3本リピートして、大容量サイズまで購入してしまった。このよさについて語るのは長くなるのでまた別の記事で。

話を戻すと、ピアノの森はなんかすごいよかった話くらいの粒度でしか覚えてないけど、「心を正常に戻す時間」というフレーズは覚えていること。そしてそのフレーズのおかげで、積極的にご自愛タイムを設けるようになっていること。

「心を正常に戻す時間」というのはまさに私の中に消えて溶けているものだ。
伊坂幸太郎の言葉に打ちひしがれた数年後、読んだ人に染み込ませるような作品を作れるようになりたいな、という心境の変化が生まれている。

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