興味ない顔と誠実さ
導入
「私の好きなところ言って」
と、数年前に友達に聞いたことがある。
「興味ないことについて興味ない顔をするからいいよね」
と言われた。
「え、それっていいことなの?笑」
とその子に聞いたら、なんか理由は言ってくれた気がするけど忘れた。
昨日、別の友達に、「私のいいなって思うところを言って」と聞いた。
(周りの人に自分のことめっちゃ聞くやん。)
(そう、私は自分の存在があやふやな状態になったときに、私の周りにいる人たちに私の存在を聞いて、自分の輪郭を確かめる癖がある。)
「ちょっとドライなのがみえていいよね」
と言われた。
「ちょっとドライっていいことなの?笑」と聞くと、彼女曰く、
彼女はたぶん合コンに行ったことがないので、"合コン女子の相槌"は彼女の偏見に基づいて表現されてるなとは思ったものの、言いたいことは理解ができた。
なるほど、ドライなこと→自分の必要を知っている→正直である→信頼につながるのかと思った。
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つまらない顔をしていた夜
思い返せば、私はすごくつまらない顔をしていた夜があったかもしれない。
・不倫、浮気の話
「恋人がいるのに可愛い子がいたから連絡先渡しちゃったんだよね。これって浮気に入ると思う?」
→知らないよ。浮気の定義は君と君の恋人と話し合って決めてくれ。私が会話に介入する余地なくない?自分の自制心のなさを大々的に発表していて、この人はなにがしたいのかしらと思う。
「(恋人いるけど)別の子からデート誘われたんだよね」
→だからなに?その会話は何を求めてるの?報告?なにかを求められてるとしたら、私はなんていう返答をしてほしいか言ってもらえないとわからないから、ほしい回答を教えて。そのほしい回答が面白かったら答えたい。
「不倫なんてほとんどの人がしてるよ」
→それはあなたの周りにいる人たちの中でほとんどということですよね。私の周りの人たちの中ではあまり聞いたことはないので付き合ってる人間関係が違いますね。仮に不倫をほとんどの人がしている場合、それであなたは何が言いたいの?不倫を正当化したいってこと?と聞くと、「いや私は不倫はしない派です」という。なに、この会話??よくわからないな。(怒ってるわけではなく、純粋に意味わからない)
・お金を絶対的基準に置いた話
免許合宿に行ってた時に、合宿所の社長っぽい人に連れられ、テスラの試乗兼寿司を食べにいったことがある。
テスラに乗るのは今までにない経験で楽しかったけど、社長が「あそこの会社は何億稼いでる。ここの会社は〜」という会話が多くて、人生でワースト3位に入るくらいには、ひどくつまらなかったと覚えている。
いつまでもお金をベースにした話をしている社長を横目に、「経営者であれば、業績や資金が会話のトピックになるのは頷ける。だけど経営者でもない教習所に通っている学生に対して、その話をしても盛り上がらないじゃないですか。盛り上がらないだろうなという想像力がない人なのかな。だって、何億業績があってすごいと言っても『へぇ〜すごいっすね!』としか返せない。そんな会話つまらなくない?それともこの人の周りにはそれを楽しそうに持ち上げる人たちしかいないのかな。それはそれで不憫ではあるな」と思った。
(たぶん人が話をしてる最中にこんなことを考えてるからつまらない顔をしているのがバレるのだ)
もちろんお金があれば選択肢は広がるし、なんでもできるのはそれはそうだよって感じだけど、お金がない中でどうするかという状況の方が工夫が生まれるから楽しい。
・偉そうなやつの話
たぶんこれは小さい頃からな気がするけど、私は偉そうなやつが好きじゃない。そして最近、偉そうにしているやつの中に、本当に偉い人はいないことにも気づいた。偉そうなやつは必ず自己顕示欲や人からの賞賛を求めている。「すごいですね、さすがです」という他人からの言葉で、自分を満たそうとする。でも結局、自分自身で満たしてあげない限り、穴の空いたバケツに水を注ぐように、その人の承認欲求が満ちることはない。
だから、私が何を言っても無駄だなと思う。私の言葉がその人に影響をすることは一生ないんだろうなと感じるから、その人との会話を楽しめない。会話をしたいなら、まずは自分を等身大として認識できるようになってからにしてねと思う。やっぱり私の考え方はドライかな。
興味のないことには興味がないという態度をとるのって意外と大事かもね
私は適当に聞き流すことが極端に下手だ。
(聞き上手な友達は適当に聞き流すのがうまい)
真剣に聞くか、興味がなくなってしまうかのどちらかしかできない。
つまらない話に遭遇すると、もれなく私は友達にいかにつまらなかったかということをぐちぐち言う。そういうふうに言うと、友達は「いやその話をしている人はなんかもうかわいいね」と一周まわって大人びたことを言ってくる。
だけど私は、そういう人たちの話をかわいいねって思えるほど、まだ大人にはなりきれていない。
そして、その人たちのために使うほど、私の人生の時間は余っていない。
でもつまらない話をつまらない顔で聞けることが私への信頼につながるのであれば、それはそれで悪いことじゃないなと思う。
このブログを読んでいる人が、飲み会とか友達の会話とかで興味がなくてつまらなかったわ〜と高頻度で思うのであれば、ちょっとつまらない顔をしてみるというのはありかもしれない。
※つまらない顔をしたときの雰囲気に責任は取れません