「俺、牧と本気で家族になりたかったんだよね…」劇場版おっさんずラブの”足りない”部分の答えは、このセリフにあるのでは?という話。

※タイトルの通り、劇場版おっさんずラブ~LOVEorDEAD~に関して、ネタバレしかありません。


おっさんずラブIntheskyが発表されて、もうすぐ一週間。
ずっとぐるぐるしています。


大好きだった世界が、みんなの愛した悪意のないやさしい世界が、崩れてしまった感覚。

ドラマリアタイ時も、ドラマよりずっと大々的に行われた劇場版番宣を見たときも、おっさんずフェスに参加したあの日も、初日と大ヒットの舞台挨拶を中継で見たときも、何度劇場版を見ても、一人で楽しんで、そっとツイッター見るくらいで過ごしてきましたが、とうとう一人では耐えきれなくなってきてしまいました。

耐えきれない想いを振り切ろうとして、圭モバ入って(もっと早く入るべきだったと後悔しているので、なんで今まで入ってなかったのって言わないでください…)。座長の想いを受け取った今、毎日想いをただただ抱えていてもしょうがない、とついに書いてみることにしました。



ITSが発表されてから、世界が変わるなら、春田と牧の世界をちゃんと描き切ってほしかった、まだ見たい場面があるのに世界を変えてしまうのか、と、春田と牧の劇場版の評価まで一緒に下げているような人がいることに引っかかりを感じました。


そもそも、公開時から、劇場版の評価は、ドラマに比べると、賛否両論あるような印象を受けていました。
想像の余地はあるけど、物足りない。まだ見たい世界がいっぱいある。

「劇場版には不足が多く、描くべきシーンがたくさんある」、と。


果たして本当にそうなのか?って思うんです。



まずは、不動産勤務ではありえないような爆破が、劇場版の中心となっていたこと。劇場版前半こそお仕事ものとして成立していたようにも思いますが、後半は完全に事件でしたよね。警察を介入させずに解決させてしまう第二のメンバー、本当におっさんずラブっぽい。

これは劇場版制作が去年12月に発表されてから、民のなかからも上がっていた、穏やかな日常が見たいという話とは真逆を行く内容でした。
でも、一日5分のショートドラマならまだしも、お金を払ってもらってみてもらう映画が穏やかな日常だとしたら、観に行くのは民だけになってしまうと思います。
今年の春にやっていた、何食べのような日常もので連ドラを、なんていう声も見たことはありますが、何食べが日常ものとして成立しているのは、悪意が残存する世界だからだと思っています。偏見も差別も存在しない穏やかな日常ものでは、やはり見るのは民だけになってしまいますし、春田と牧以外の面々を絡ませるのも難しくなってしまうのではないでしょうか。


つづいて春田と牧の二人の恋愛シーンに関しては、
ライトな映画ファンを呼び込むには、クライマックスからラストまでの描写が限界だと思います。
ドラマからそういうシーンが減ったっていうのもそりゃそうです。
おっさんずラブはもともと深夜帯。
私自身、以前から、おっさんずラブがいろいろなところで紹介されるたび、部長の告白シーンが丸々流されるのに対して、牧くんの告白シーンがキス直前で切られることに毎回もやもやしてました。本家テレ朝の劇場版の番宣ですらそうだったので、誰が見ているかわからないような番組で、キスシーンまで流すのは、悲しいですがリスクが高いんだと思います(劇場版の番宣時、結構怒ってました)。
お金を払って見に来る劇場版で、ドラマを見てないけど映画見てみようっていう層を取り込むには、あれ以上は無理なんだと思うんです。慣れていない人には刺激的すぎるのでは…

でも、春田も牧も二人のシーンではデレデレでしたよね?
初見時結構びっくりしたので、あれで足りないといわれると、分かり易いセリフくらいしか聞いてなくて表情見てないんじゃないか、なんて。これらが中の人たちのアドリブによって成立してるって知って、この人達末恐ろしい…ってなりました。



そして。

最後に、”結婚”について。


ITS発表直前、続編の内容について焦らされていたあの頃、春田と牧の二人が結婚したっていう公式SNSの投稿に、SNS見てないとわからない描写をするなんてどうなんだという話がありましたが、
私自身は、劇場版初見の段階で、二人の関係が恋愛から”家族”に変わったと認識したので、不思議だったんです。
お互いの夢を応援して、離れていてもつながってる存在。離れていても大丈夫だって、信じられる存在。一般認識とはずれるのかもしれないけど、それこそが二人の選んだ”結婚”の形なんじゃないかと思ったので。

牧ママも言ってたじゃないですか、それぞれの結婚の形を探せばいいって。


そのうえで、じゃあなぜ、劇場版を見て”結婚”したという結末を思い浮かべない人が多くいたのか。

牧くんに婚約指輪を渡すシーンが隠されたこと(あの例の膨らんだポケットからではなく、脱出時の春田の顔が信じられないほど凛々しいのは炎の中で渡したからだと思っています)、炎の誓いという形でメタファー的に描いて二人の結婚式を描かないこと、親への結婚挨拶が省かれてること。結婚指輪を購入・渡すシーンがなく数分間だけ指輪をしている二人が写されるという最低限の描き方をしていること。

全部ラブストーリーなら描かれるはずの結婚の習慣です。

私も期待しましたよ。予告やポスターで、婚約指輪に関して大いに煽られてましたし。ドラマ時に綺麗に裏切られた予告を思い出しては、爆破って言いながら結婚式あるんじゃないかな、とか。春田母、牧くんの両親のキャスト出演情報が出たときには、これは6話リベンジで、挨拶あるんじゃないかって。これ流れたら泣くなっていう確信までありました。


でも、劇場版では、ことごとく描写がなかった。

なぜか。


制作陣が二人のこれらのシーンを描かなかったのは、わざとなんじゃないかなって思うんです。

尺足りないから削ったとかそういう話でもなく。

わざと結婚をイメージさせるシーンを、外したのかなって。

あえてそのうえで異性カップルであるジャスと薫子さんに盛大に結婚式させた意味。

私は、制作陣からの、今の日本の現状へのアンチテーゼなのかなって思ったんです。

そしてその想いは、春田に込められているんだと。



「俺、牧と本気で家族になりたかったんだよね…」

座長誕生日イブかつ予告解禁のあの日、予告でこのセリフを聞いて、私思わず泣きました。春田の想いの重さに触れたような気がして。

でも、なりたかったって過去形なのが、なんとなく引っかかってたんです。
予告では花火大会の「別れようぜ」の前に入ってるから、なりたかったの意味は、春田の気持ちが(劇場版で別れるはずないと確信していたのであくまで表面上)牧から離れたってことなのかなって思ってました。

でも、本編におけるこのセリフは、炎の誓いの前、春田が牧くんに対して、あえて日本における同性カップルの現状を突き付けるシーンの導入でした。


このセリフに続く結婚と子供について春田が話すシーン、初見で一番驚いた箇所です。ドラマで制作陣は、同性カップルの問題に触れない描き方をしてましたから。

ドラマのとき、プロポーズして確かに牧くんは救われているけど、あれはあくまで勢いだし、春田はどこまで現実を認識してるのかな、牧くんが別れを告げてまで逃げた理由が何だったのか本当に分かってんのかな、このままだとまた牧くん逃げちゃうよって密かに思ってたんです。案の上、劇場版では春田母の登場により、牧くんは春田から逃げるように春田家を出ていきました。初見時には、ああ、やっぱり、と思ってしまう自分がいました。


でも。炎の中で今度こそ、春田は牧くんの目の前で触れたじゃないですか。男同士だから法律的に結婚できないし、子供好きだしって。

その後、春田は、牧じゃなきゃいやだっていうあの10の誓いにつながり、
みんなそっちで胸がいっぱいにさせられてしまうわけですが。

もうきっと、春田さんじゃなきゃいやだって言った牧くんも春田のもとから逃げたりしないですよね。だからこそ、シンガポールに旅立つ決断を選んだわけで。


”なりたかった”の本当の意味は、なりたいと思ってたけど、現状この国では公的には無理なんだってことを、春田が認識したからってことなんだと思いました。そしてその事実を認識してもなお、春田にはやっぱり牧くんしかいない。


牧くんにとっての家族って、父母子っていう形として認識していて、だからそれがそろわない自分との関係は幸せにならないって6話の別れにつながりますよね。
でも、母一人子一人の春田にとって、家族って最初から、ずっと一緒にいたいっていうただそれだけの、シンプルかつとてもとてもあたたかくて重くて大切な、そんな存在だと思うんです。
(私、牧くんより春田の方が、闇が深いと思ってる人間です。ここに書ききれないので全部は載せませんが、とりあえず映画のオフィシャルブックで春田の苦手なことが、暗いところ、特に一人はダメって書いてあるの読んで、みんなでいるときはあんなに明るい春田にとっての寂しさが持つ意味、一緒にいる家族の意味の重さに打ちのめされました)



春田にとっての家族は、ずっと一緒にいたい人。ドラマのときに出した結婚の理由と同じです。

でも、劇場版の春田は、ちゃんと知ってるんです。いくら結婚したくても、法律上は結婚できないんだって。
ある意味劇中内の最大の悪意ですよね。いくら想いはあっても、公的に認めてもらえない。


キャラクタービジュアルの春田のキャッチコピーを思い出します。
「どうして、”好き”だけじゃだめなんだろう。」


この、本気で家族になりたかったんだよねってセリフ、映画予告で一番、本編とのギャップが生まれるセリフだと感じています。
最大のミスリード、というか。
映画公開直前、五角関係に騙されず予告でのこのセリフへの耐性をつけようとしていた私にとっては、花火大会のシーンでセリフがなかったことに一度びっくりしたうえで、クライマックスでそれを持ってくるか、完全にやられたな、と感じた部分でした。
(五角関係についてですが、春田と牧の関係における部長やドラマの主任的ポジションをこれ以上増やしても同じ描き方しかできないという考えから、確信こそしていませんでしたがジャスも狸穴さんもきっと恋愛関係じゃない絡み方なんだと思ってました)


だからこれに込められた思いって、とても大きいんじゃないのかなと。


家族になりたいけど、公的に家族になれないっていうのは、
制作陣が春田に託した、大きな願いの表れじゃないのかな。



そのうえで。

公式さんの手元にあるはずの、刻印された結婚指輪、とてもとても気になって仕方がないのです。本編でたった数分しか映っていない、購入して嵌める過程がなかったのなら裏が写ることなんてないはずでますますレンタルで済んだであろう指輪にわざわざ刻印して買い取った意味って、いったい何なのか。

芳名帳が出されて、劇場版鑑賞が前提とされた大阪の展ですら公開されなかったあの指輪(私関東民なので、芳名帳は見れず…)。


公式さんは、春田と牧の、天空不動産の続編を全く考えていないわけじゃないのではって思っています。
でも、現状描ける二人については、劇場版で精一杯。


つまり。

春田と牧が戻ってくるのならば。

それはきっと、

劇場版に込めた願いが、

実現したときなのだと、思います。

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