ここではないどこかへ
ここではない、どこかへ。
人間が作った文明も、遂に人間を疎外するまでに至ったとは、前世紀の様々な例における結論だが、それがマクロにしろミクロにしろ、僕らの存在を脅かし、一方で僕らの存在を形作っているとは驚きである。僕らは、恐怖や絶望によっても、存在を形作られている。
昼、パスタを食べた。雨風のなか、近くのイタリアンで。連れと同じご飯を食べ、語り合った。そういう瞬間にだけ、僕が日頃の鬱屈を忘れられるのは、案外その文明的と見える行為が、文明を介さずとも可能な行為だからかもしれない。僕らは一万年前の昔にだって、友と円形に囲み、共に大地から収奪した様々な幸を摂り、語り合っていた。夜の野生世界という闇のなかで、僕らはひとときの楽園を過ごしていた。
僕は、歳を重ねるほど文明に殺されるような気分を感じる。文明は、考えることをあまりに強いる。余計なことまで、考えさせられる。僕らの小さな悩みひとつひとつは、一万年前のように僕らを直接的に殺すことなど無いのに。あまりに僕らは文明的で、メランコリックになってしまった。
学生の時分に、勉強につかれ、人間につかれ、仕事につかれ、故郷へ帰ったことがある。僕の故郷は、都市と田舎のちょうど狭間にあり、住宅街の端に利根川の支流が伸びている。その川沿いには雑木林や田畑があり、小さい頃はよくそこで遊んでいた。二十歳も過ぎてからその土地をまた踏んだとき、僕はボードレールの詩を思い出していた。僕の人生もまた、病院に入っているようなものだった。ここではないどこかへ、ここではないどこかへ、という言葉ばかりが頭に浮かんだ。そのまま荒廃した田園を歩いて、草の上に寝そべり、曇天を見ていた。僕はそのときの風景が、まるで印象派の絵画のように、今でも頭にこびりついている。
それから何年経っても、僕は僕の居場所を見つけられていない。置かれた場所で咲きなさいとは強く生きられるものの言だ。土壌が変われば、枯れる草もあるだろう。僕はあまりに繊細で姑息で、その上要領が悪く、夢想的な子供の心のままだ。根無草とは僕のようなものを言うのだろう。僕は、いつだってここではないどこかへと旅立てることを夢見ている。
正直に言えば、もう悩ませられたくない。僕は、この世界という入れ物が良くないと思う。僕を悩ませるものは、仕事であり、生活であり、僕のみの回りの全てだ。僕が気に入った環境は、僕以外の力によって変わり、あるいは僕は、世界によって環境を移される。たくさん責められて、思い悩んで、傷ついて、そうして僕はもう、ここには居たくなくなる。
毎日、僕は仕事場という箱へと向かい、そのなかで人にもみくちゃにされ、行き帰りは電車という箱に押し込められ、労働が終われば家という窮屈な箱で眠る。僕がほしいのは、白い壁や、蛍光灯や、固い床ではなく、どこまでも続く草原や、青空や、柔らかい土である。僕は、一日のほとんどを暗い壁のなかで過ごし、鬱屈な気分を溜め込んでゆく。まるで僕は、ケースの中のマウスだ。近代に、個人という空間が生まれたことで、人間は鬱病になったと思う。パーソナルスペース、そんなもの別に要らない。集合住宅に詰め込まれ、壁だらけのなかでコソコソと一生を終える僕たち。誰にも気づかれずに行われる行為。僕は、この壁を恨んでいる。いつか僕が苦しみつかれたとき、僕は、この壁を破ってゆくだろうか。
嵐の過ぎた夜、アパートの前の自販機で麦茶を買って、そのまま道路へ出る。車も人もおらず、前後には定期的に光る街灯と、果ては暗闇に吸い込まれてゆくような道が見える。この道は無限に続いていそうだ。事実、道を進めば僕はどこまででも行けるだろう。だが、そうしないのは、僕がこの日常に縛られる理由があるからだ。その理由とはなにか。僕にはわからない。今はただ、絶望を抱いて箱のなかで眠るしかない。いつかここではないどこかへ、運ばれることを夢見て。
厩橋(2024.8.16)