随筆 2024.8.9
バーカ。
いや、このページを閉じないでほしい。読者のあなたに言ったわけではなく、労働に対して、ムシャクシャする気持ちに対して、誰でもない誰かに対して、言っただけだ。昔の少年漫画にあるように、水平線を赤く染める夕焼けに向けて、バカヤローと叫ぶあの感覚だ。僕にだってムシャクシャして叫びたくなる日はある。
いったい僕は、何に向けてそんなに怒るのだろう。よくわからない。25年生きていて、怒りの矛先は、実は向かう先が無く、単純化したいがためにやむ無く、誰かに向けるのだろうと思っている。僕は別に怒りたい訳じゃない。誰かを憎んでも恨んでもいない。人間の感情は、思ったより複雑で、だけどそれを複雑なまま持ち続けるのは、出口のない迷路みたいで苦しい。苦しいから、単純化するんだな。たぶん。
僕は一体、どんな言葉を紡ぎたいんだろうか。何の意味を届けたいんだろうか。考えても全く頭が働かない。単純なようで複雑。なにもわからない。まるで世界や人類みたいに。だけど、仕事して、恋をして、歴史刻んだ地球。案外人類の歴史はそれだけなのかもな。壮大であって、単純。だけど複雑なんだよ。どっちなんだ。単純か、複雑か。
僕の、出汁をよく吸いそうな脳の皺には、無数の言葉が刻まれている。話された言葉と、話されなかった言葉。僕は、文学が好きだが、文学は所詮、話された言葉だ。世界という空に向けて、飛ばされた紙飛行機だ。だけど、僕は、話されなかった言葉こそが、人間にとって大事だと思う。紙飛行機は、一回でうまく折れることはない。うまく折れなくて何枚もクシャクシャにする。言葉も同じだ。そのクシャクシャにされた言葉こそ、僕らの脳の奥の、心に刻まれた言葉である。
ところで、あなたは、恋をしているかい。恋をしていれば、わかるはずだ。好きな人に言いたいことのなかで、実際に言えることなんて、砂漠の砂の一掬いほどしかない。言えなかった言葉が、あなたの想いそのものじゃないか?
一緒に帰りましょう。傘に入りませんか。この店に寄りましょう。きれいな横顔ですね。たばこを吸っていきませんか。また会ってもいいですか。あの店の雑貨は、素敵でしたね。今度一緒に買いませんか。次はいつ、会えますか。
どれも言えないまま、別れの時間が来る。別れ際に、もう一度振り替えって相手の背中をみている。そのときに、言えなかった言葉たちが強い熱を帯びるのを感じる。それが想いの全てで、あなたの、僕らの本当の言葉なんじゃないか。
恋にたとえたけれど、全部そうだよね。僕は、この世界の全てそうだと思う。人類の歴史のなかで、言葉にされたことなんてほんの少し。言葉にされなかった部分の方が全くもって大きい。この世界の全てより大きい。日々、言葉にできなかった言葉に、目を向けてみたい。そのわだかまりの熱。その熱の苦しみに悶えて、そうやって僕らは、大人になってゆく。怒りも悲しみも喜びも愛しさも全て、発せられた言葉じゃないところにある。無限に広がる僕らの心の中にある。
僕は、何度だって紙飛行機を折りたい。あれもだめだ。これもだめだ。何度だって迷いたい。僕はそうする。そうやってたくさんの紙を使おう。クシャクシャにしよう。ゴミ箱が一杯になったっていい。だんだんイライラしてきて、暴れてもいい。叫んでもいい。途中で泣き出してもいい。僕は本当にダメだなあと、落ち込んでもいい。そのプロセスの先に、僕らの本当の優しさが表れる。本当に伝えたかった想いが溢れてくる。心のなかにある、本当の言葉に出会える。
なんとかして折れたら、飛ばしてみよう。フラフラと宙を飛んでゆく言葉。もしかしたら、あの人に届かないかもしれない。だけど、それでもいい。それならもう一度折ろう。あなたの優しさを伝えるのに、一度だけのトライなんて勿体無い。いつか幸せになるために折ろう。何度でも泣こう。折れたら、また大地に立って、体で風を受けよう。飛ばしてみよう、もう一度。もう一度。不安定な僕らの存在のままで。
こんなことを話してると、サン=テグジュペリ「星の王子さま」にある言葉を思い出す。本当に大切なものは、目には見えない。だから、僕たちはその大事なものを、誰かに伝えるために何度も失敗する必要がある。一度じゃ無理だ。でも、次のトライなら通じるかもしれない。次の言葉なら、僕らの愛が伝わるかもしれない。僕らの優しさが、届くかもしれない。クシャクシャの言葉をまた拾おう。泣きながら集めよう。言い損じた言葉の中から、本当の愛を探そう。あなたにとって、一番大事なものはそこにあるのだから。
僕も冒頭の「バーカ」を、いまクシャクシャにして、また次の紙を折って投げてみた。今度は、あなたに届いただろうか。
届いてると良いな、と思う。
厩橋(2024/8/9 雨のあとの道端で)