共有
僕は常々、分かち合うこととは経験を薄めることだと感じている。共有が大事だと馬鹿の一つ覚えのように言われるが、共有すればするほど、もとの体験からは遠ざかって行く。殊に人間の悲しみや苦しみは、共有することで弱まってしまうと思う。被害の告白とは、ゆえに勇気がいることだ。誤解も生まれ得るし、うまく伝わるとは限らない。僕は、何かしらの苦しみや悲劇を抱える人は、あえてそれを伝える必要もないと思う。わかってもらえるなどという希望は捨てた方が良い。人の本当の苦しみは分かち合えない。僕もまた、生まれる前からハンデを持っていたり、その後も色々と苦労をした。今だって苦しんでいる。だけど、僕に必要なことは他者からの同情でも憐憫でもなく、ただ、自分の苦しみを一人で噛み締める時間だ。人間は突き詰めれば一人で生きるほかない。外野からの口出しは要らない。
厩橋