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ミュージカル「ヘタリア~The glorious world~」

私にとって、原点にして頂点。
そんな作品を堪能してきました。やっぱり、何年経っても大好きです。

ミュージカル「ヘタリア~The glorious world~」
自分のために記録した、ネタバレありの感想です。後半、ヘタミュの魅力について自分なりの考察を含みます。(計6,000字)

この日は台風10号のあれやこれやに巻き込まれた日。
更に、前日は前日で、仕事で別の舞台(劇団四季さん)を観劇しており、なかなか忙しないスケジュールでの観劇でした。
大好きな劇場の1つである「日本青年館ホール」に到着し、物販列に並ぶ。今回からオーダーがオンラインでできるようになっているためか、列もスムーズに進んでいました。また、今回フラッグがチケットについているのも本当にありがたい。ヘタミュの現場、いつも「ありがたい…」って拝んでる。運営さんがお上手なのだと思います。
今回の座席は1階中央。前回の『ヘタミュFW』が2階最後列での観劇だったので、それに比べると随分と臨場感や没入感がありました。
陽気な音楽がだんだんと大きくなって、客席の高揚感も上がっていく。
さぁ、世界で一番幸せな時間のはじまりです。

幕が上がって、まず驚いたのが舞台上の密度!前回のFWは縦の空間演出だったと思いますが、そこと同じ会場とは思えないほど舞台上に所狭しと並んだセットの数々。ヘタミュの舞台セットがそれはもう大好きな身としては、今回も本当に刺さりました。
ところで、舞台セットって本当に面白いですよね…。物語の進行や場面設定を妨げずにどのシーンでも使える普遍性があって、かつ、観客の想像力を刺激するもの…。思い返せば前シリーズ一作目のSWなんて、舞台上に大きく「ヘタリア」の文字があるだけで、でもそれがすっごく良い味を出しているのだからすごい。あと、衣装から小道具から、何から何まで彩度が高くて目が楽しい!
旧シリーズ一作目から今作まで、セットの雰囲気は変わっても「遊び心」の部分は全然変わっていなくて、だからこの作品が大好きなんだよなぁ…と思います。だって、小道具の一つ一つ、手書き文字なんですよ…?アナログの温かさはいつかの名言、「手書きのラブレター」に通ずるところがある。

そしてそして、今回はなんと…バンド隊による生演奏!!
100回記念公演のスペシャルカーテンコールをYouTubeで配信してくださったときに(愛がアツい)GLB(バンド)の存在は明かされていたのですが、やっぱり実際に目にするとテンションが爆上がりしますね。ヘタミュはいつも、「そうくるんだ!?」ってサプライズが沢山詰まっているので、本当に何が飛び出してくるかわからないおもちゃ箱のような作品です。人生はそう、サプライズ…!
一人一本フラッグを持っていて、GLBの生演奏…そう、期待通りにライブ感満載のステージでした!しかも、往年の(?)名曲から新曲まで!
みんなで一緒に旗を振ってコーレスして、あの伝説のライブ『World in the Universe』を思い出しました。あの時はヘタミュが終わっちゃうのが悲しくて悲しくて仕方なかったけれど…。あれからもう6年以上経っているのですね。今回は100回記念公演を終えたばかりで、「まだまだこれから!!」と、カンパニーの皆さんもファンも勢いづいているところですから、湿っぽい雰囲気はなく、ただただ楽しかったです!(とはいえ、あのライブでの涙や再始動の喜び、様々な困難を乗り越えてここまで辿り着いたことを考えると、なんだかエモーショナルな気分でもあります笑)

さて、ストーリーに関してですが…。今作も最高に良かったです!
前作FWは、いわゆる「劇場版」の印象が強く、それもそれで大好きだったのですが、今回は今までの作品同様に、史実に沿って人間ドラマを展開する形でした。原作でもミュージカルでも1作目からずっっっと喧嘩しているフランスさんとイギリスさん、二人を軸にストーリーが進んでいきます。主軸は同じなのに前半は少女漫画のような、後半はアツい少年漫画のような展開で、このギャップにやられました。本当に面白かった…!
ヘタミュはやはり、どうしたってストーリーが重い。ギャグやポップな音楽に乗せているけれど、そこで描かれているのは侵略や略奪、文化の強制の歴史です。国の歴史と戦争は切り離せませんから、描く気になればとことん苦しい話が書けるんですよね。だけど、ヘタミュは決して説教臭くもないし、メッセージの押しつけをするわけでもない。
国の歴史を人間ドラマに落とし込んで、誰もが共感できる話に昇華する…ただのキャラクタードラマではなく、観ている私たち一人一人の物語に変えてしまうの、本当にすごいと思います。
悪役らしい悪役は登場せず、あくまでも、様々な思惑を持った人たちのぶつかり合いとして描いています。今回もイギリスさんフランスさん両方のお気持ちがわかってしまうし、最後2人の前に立ちはだかったプロイセンさんの気持ちも痛いほどわかる。あれだけわちゃわちゃした作品ではありますが、心理描写が巧みだし緩急の付け方もとんでもない(語彙力)からこそ、伝わるものがたくさんあるなぁと思います。

そして、この壮大なストーリーを語るのに十分な実力を持つ俳優さんが揃っていらっしゃる…!!主軸のお二人は勿論、出演されている方全員が本当に魅力的で、ただただ、役者様の技術の高さに圧倒されました。大好きなヘタミュ、観れば観るほど新しい感動に出会う…。ひとつ一つ取りこぼさず丁寧に何度も見返したいです。

さてさて…。
あまりにもヘタミュが好きなので、この作品の何がそんなにファンを惹きつけるのか、ちょっと真面目に考えてみました。ここからはできる限り客観的に行った(そうはいっても隠しきれない感情)自分なりの考察です。
※以下、一個人が勝手に考察したものなので、ソースも何もありません。また、異論があることも承知しております。

ヘタミュが面白い理由を考えた時に思いつくのは大きく3点。
1つは自由度の高さ。もう1つは顧客ロイヤルティ。最後はバランス感覚。
そしてこの3点は、相乗的に作用していると考えます。

まずは1点目、自由度の高さについて。
「ヘタミュと言ったらアドリブ!日替わり!」といっても過言ではないほど、この作品と即興要素は切り離せません。本来はアドリブも日替わりも芝居の本筋ではなく、あくまで演出の1つに過ぎないはずですが、この作品は違う。実際台本上のメタ発言も多く、アドリブと台本の境が見えなくなるぐらい、作品の根幹に関与する要素だと思います。
アドリブ(場合によっては仕込み無し!)が増えると見えてくるのが「演者」。本来板の上では顔を出さないはずの役者のキャラクター(性格)が滲んできます。そこで懸念されるのが、いわゆる「解釈違い」です。
ですが、ヘタミュのすごいところって、このある種の解釈違いを味方にしてしまうところ…。(後述しますが、ここのバランスがすごい。)
そしてそれができるのは、観客の中に「原作キャラクターと舞台版キャラクターの乖離を受け容れられる土壌」があるからだと考えます。

個人のWeb漫画から始まった『ヘタリア』という作品ですが、この作品の単行本化は2008年、アニメ化は2009年に行われているようです。で、この周辺に何が起きたかというと、そう、同人活動の要である『Pixiv』のリリース。
つまり、今まで各個人の中にあった「キャラクター解釈」を気軽に誰でも共有できるようになったわけです。
基本が4コマ作品という原作の特性上、ストーリーを作り上げたり、キャラに対して様々な解釈を付与したりしやすい作品なのかなと思います。そしてオタクたちの中にも、それを楽しむだけの土壌がある…というわけです。この時に二次創作を楽しんだ層がこの舞台作品の観客/制作にいても不思議はないのかな、と思います。アドリブが歓迎され、キャラ解釈への幅の広さを許容するゆとりを、私たちは自分たち自身で培ってきたのです。だから、ヘタミュは単なる「原作の3次元化」以上の物語を自由に描けるのではないでしょうか。

そして2つ目の「顧客ロイヤルティ」。
顧客が企業やブランド、商品やサービスに対して感じる信頼や愛着のことを顧客ロイヤルティといいますが…。ヘタミュはこれを感じる顧客が多く、また制作サイドにとっても、いわゆる「ロイヤルカスタマー」がいる状態だと考えられます。
1つ目に書いたように、ヘタミュの目玉には「アドリブ」がある…。日替わりやアドリブはSNSですぐに拡散され、いわば宣伝効果も生み出しています。役者の自由さや奔放さ、誠実さがウケた結果、この作品には原作だけでなく、「○○さんの演じる△△」や「ヘタミュカンパニー」にファンがついている状態。
そういった事情をちゃんとわかっていて、ヘタミュはできる限りキャスト変更(これが一番オタクの胃に悪い)を避けて作品を存続させてきましたよね。人気俳優の皆様を押さえるのは昨今非常に難しいと思いますが、制作サイドも役者サイドも、続投にこだわりをもってくれているのだと思います。公演回数を重ねれば役者同士の仲も作品愛も深まるし、信頼関係があるからこそ舞台上の自由度も上がる…。
さらに、私たちファンはいくつかの印象的な出来事も経験してきました。全員で再演を願った2018年の卒業ライブや、再演の情報解禁、輸送事故など…。つまり、一連を目撃してきた観客も、一緒にヘタミュの歴史を刻んでいる訳です。ファンと制作サイド(カンパニー)の一体感。公式と顧客の壁を越えて、「このカンパニーなら大丈夫…!」という信頼感をお互いに築き上げてきたのだと思います。

最後に、「バランス感覚」。
これが一番大事だと思いますが、ヘタミュ、バランス感覚に優れている…!前述した「キャラ解釈の幅」も、決してキャラ崩壊になることはなく、あくまで数ある解釈の延長だし、むしろ「原作から飛び出してきた!」と驚かれる方もいるし…。大量のアドリブのなかで、我々ファンが「原作をリスペクトしてくれている!」と感じる瞬間も多くある。(そもそも、原作のある作品で「原作ネタ」を扱って観客が沸くって、よく考えると面白いですねw)
キャストやストーリー、観客を含めて前作までをリスペクトをしながらも、決して「身内ネタ」の空気感にはならない…。ストーリーに関しても、これだけ重いネタを扱っているのにシリアスに偏りすぎず、笑いパートも歴史を軽視しているようには決して見えない…。このバランス感覚、本当にすごいと思います。

ここまで、ヘタミュが好きな理由をどうにか言語化しようとして、つらつら書いてきましたが…。
結局、この作品の何が好きって、空気感なんですよね。
制作がキャストを愛し、キャストが作品とキャラクターを愛し、キャスト同士が信頼とリスペクトをもって全力でぶつかり合う…芝居は勿論、ふざけるときも全力で遊ぶ。アンサンブルの皆様やバンドメンバーの皆様も決して「脇役」ではなくて、全員が全員、この世界の一員。そこには客席にいる私たちも含まれている…。
愛に溢れた幸せな空間だなぁと思います。世界平和の最初の一歩は隣人を愛することから。それを体現するように、ヘタミュは関わる方みんなが、全力で互いを大切にしているんですよね。
こんな世界が訪れたら良いなと思う。平和はやっぱり願うことから始まると思うのです。

2017年ヘタミュNW開幕直前、セット上で1人確認作業をしているフランスさんの真剣な背中に魅せられて、観劇を決めました。これが私の「推し活」への入り口で、ヘタミュがきっかけで観劇が趣味になり、気が付けば「最推し」に出会っていました。
人生のどん底期とそこからの再生を、ヘタミュに支えてもらいました。(ブラック企業からの転職に踏み切れたのは、ヘタミュのお陰に他なりません)生きる上で大切な、本当に色々なことを教えてもらったし、自分の持てる時間とお金、感情、全てを使って愛していました。

私にとってヘタミュは原点であり、頂点。
もはや「推し舞台」というレベルではなく、それこそ、最推しの俳優様にいつか出演して欲しい舞台。つまりゴールなんです。「みんなで」辿り着いた頂点からの景色は、華やかで賑やかで、笑顔で溢れていました。

そんな作品が今も続いていること、次もまた会えること、ただただ、心から幸せです。
ミュージカル「ヘタリア~The glorious world~」奇跡のように愛おしい作品でした。

『ミュージカル「ヘタリア〜The glorious world〜」』
2024.8.31(土)昼
日本青年館ホール
2024.9/8(日)昼 オンライン




~以下、完全自分用の補足~
ちょっとした興味から、大好きな別作品の2.5次元舞台…『第五舞台』と比較してみました。(最推しの出演作品です)
こちらは初演が2019年、三部作で、2021年に惜しまれながら幕を閉じましたが、2024年、3年の時を経て奇跡の再始動。

原作がオンライン対戦ゲームという性格上、ストーリーは勿論、キャラクターの口調も性格も生い立ちもほとんど明かされてないため、舞台化前から、キャラクターの性格が見えない状態での二次創作が行われておりました。
原作からはキャラクターの性格情報を得ることができないので、作家たちはキャラ解釈を二次創作に頼る状態。つまり、個人のキャラ解釈が他者のキャラ解釈の影響を受けやすいうえに、全員が「正解」を探している状態。
この作品の舞台が成功したのは、その中で各キャラクター解釈の「平均値」を探し出してきた公式のバランス感覚によるものだと思います。つまり、「解釈一致」が成功へ作用した例ですね。
ヘタミュほどアドリブが多いわけではないですが、(ヘタミュ、他の追随を許さない笑)コメディ公演で役者様が全力でふざけ倒すので、キャストファンがつきやすいと言う点ではヘタミュと通ずるものがあります。
この2つの作品から言えること…原作のキャラクター像とキャストが演じるキャラクター像、その両者の間でバランスを取ることができた時、その2.5次元作品は成功するのではないでしょうか。拙いながら、引き続き考察を重ねてみたいと思います。

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