おぼんろ第24回本公演『聖ダジュメリ曲芸団』
びっくりしました。こんなことって、ある??そんな怒涛のジェットコースター的展開でした。大好きな作品です!
観劇するたびに琴線に触れて、涙腺が崩壊する劇団おぼんろさんの作品。今作はスケジュール的な都合があり劇場に向かうことができず、自宅から配信で視聴しました。
配信の画面越しですが、舞台美術の美しさ、とんでもなかったです。おぼんろさんの世界観が本当に好きです…。
そして、客席と舞台の隔たりを無くしていく彼らのスタイルに圧倒されました。開演前から客席に語り部の皆様がいて、一体感を作り上げていく様子。主宰の末原さんが「なんと全員台詞を覚えております!」なんて言うからみんなで笑って拍手して、肩肘張らない気楽さが楽しくて画面越しでも笑ってしまいました。
たまたま同じ時刻に同じ場所にいるだけの我々なのに、「『僕たち』は物語をやりたいか」と問われて同じ物語を共有したら、なんだかもう「他人」ではなくなってしまいますよね。冒頭のジュンシが虫たちを見つけるシーンもそうですが、語り部の皆さんの巻き込み方が天才過ぎる。巻き込まれた私たちはもう、否が応でも、仲間になっているのだと思います。
本編が始まり、不気味でへんてこで、おぞましくて楽しい世界観に馴染んだところで始まる恒例の弁士タイム。底抜けに明るくてわくわくして、なんだかそれだけで涙がでそうでした。悲しいとか苦しいとかの涙じゃなくて、楽しくて幸せな時…感情が処理しきれなくなった時に流れる涙(笑)愛おしいなぁ。観客も巻き込んで、みんなで感謝して、愛の溢れた時間でした。タイトルコールの後に「サブタイトル、猫以外みんな死ぬ!」って盛大なネタバレ言い切っちゃうのも笑ってしまった!(そしてそれが裏切るのも面白い!)
で、物語が進むにつれて思い出すこと…。そうだ、おぼんろさんの作品、宝物みたいな言葉と表現がたっくさん詰まっているんだった…!
おぼんろさんの魅力の一つがこの独特の言い回しだと思うのですが、台詞、あるいはムーシカル(かわいい!)の歌詞の一つひとつに抱きしめたくなるような言葉が散りばめられているんですよね。
子供が泥だらけの手で探して持って帰ってくる「がらくた」のように、何処で必要になるかもわからない、必要になんてならないかもしれない言葉や感情の数々。キラキラしていたり尖っていたり欠けていたりと形状も様々だけど、持って帰ってきた本人にとっては紛れもなく宝物。拾ったことも忘れてしまうかもしれないし、無くしてしまうこともあるかもしれない。でも、いつか再会した時に、「宝物」を見つけたときのわくわくが蘇ってくるような、そんな愛おしいもの。そういうものを浴び続けた2時間でした。
以下、好きなシーンや台詞をいくつか抜粋…
○イイワケとツキソイ、そしてチュードクとイキザマが出会うシーン
「ダニとノミを一緒にされたらたまったもんじゃない!」って言うところ…こちらからしたらどっちもどっちなのですが、当人たちには大きな違いがあるのだろうな…考えると、世の中どうも大抵のことがそんなふうな気がしてきて、好きな台詞です。
○イイワケとツキソイのムーシカル
二人ともめちゃくちゃ素敵な声で、聞き惚れてしまいました…!可愛かった!「腐れ縁を腐らせて その中に種を植えたとして 綺麗な花は咲くかな 試してみる価値あるよね」明るくてキャッチーで、サーカスっぽさのあるナンバー。この歌詞が本当に愛おしくて、このときの二人を知っているから後半にかけてが辛かった…。
○聖ダジュメリ曲芸団の誕生シーン
曲芸団なのに人目を憚っていたら本末転倒…というわけで、彼らの運命が大きく動き出すきっかけになったこのシーン。誰もが賛同していき、「自分らしさ」を消すことのおかしさを誰も指摘しない…ここからツキソイが聖ダジュメリになってしまうまで、とても不気味で怖かったです。宗教もそうだけれど、やり過ぎて洗脳に繋がって…何かが少しずつずれて、人が壊れていく様子を見ているようでした。
○ハイアガリの過去
話が進んで、ハイアガリの夢もかなって、ウチジニの計で戦が始まってしまって…物語がテンポ良く進んでいく過程で語られる、ハイアガリとミチナカバの出会い。そうか、二人は実姉弟では無かったのですね。彼女の考え方「ほとんどの兄弟は勝手に決められて兄弟になるけれど、自分たちは違う」って、本当に温かい考え方ですよね。おぼんろさんの作品は、自分の視野が優しく広げられるから大好きです。
そしてそこからの、ミチナカバとの別れ…。ハイアガリの「愛してるよ」に対して「嬉しい!漬物石抱えて沈もうとしていた僕にはとんだ快挙だ!」って喜ぶの、涙腺が痛かったです…。
ですが、ここでびっくり。
物語冒頭で「死んだら黒子になって生きとし生けるもの手伝う」って考え方がすごく素敵だなと思っていたのですが、まさか、まさか本当に黒子になってしまうなんて…!そしてなんか面白い笑。音響と照明が良い仕事しすぎてしまって、泣きたいのに笑ってしまうシーンでした。
○ウチジニとジュンシの戦闘からの
はい、とっても愛おしいシーンです(笑)言い方を選ばすに言えば、「企業戦士」な二人。似たもの同士で、「ぶっちゃけるなら家でゴロゴロしていたい。戦うの疲れたな」って、ロックンロールからこんな可愛い曲に転調していくの、笑ってしまった。いつかの時代、敵兵同士が緒にクリスマスを祝った奇跡を思い出しました。大義名分を掲げて死闘を繰り広げても、我に返ったとき、そこに人を殺すほどの理由なんて無いのかもしれません。とても可愛いし、盛り上がるシーンだけど、同時に少し、背筋がヒヤッとしました…。
以上、ちょっと書き切れないくらい好きなシーンや台詞があるのですが…。
愛憎がすれ違って物語は進んでいき、後半になるにつれて「死」がテンポ良く語られていきます。その全てが「有終の美」とは言いがたく、人間、自分が思ったように上手くは生きられないし、上手くも死ねないものだな…と、そんな当たり前の事実を思い出しました。…遺したい言葉も遺せないし。「あっぱっぽー」って(笑)
でも、そこがすごく人間らしくて好きです。作中、「命の上下なんてあるに決まってるじゃないか」なんてドキッとする言葉が語られますが、「命の重さは平等」なんて言葉が綺麗事に聞こえてしまうくらいには、私も人間歴が長いものですから…。そんななかで、誰かを愛することができたなら、そしてその人に自分の命の重さを感じさせることができたなら、それだけで勝ち組なのかもしれませんね。
誰かの「美徳」を押しつけるわけでもなく、「死」の重さを押しつけるわけでもなく、一見あっけらかんとしている今作。いわばその「ドライ感」が逆に優しく感じられるのだから不思議です。ラストソング『バイバイ』に「忘れるまでは覚えていてね 忘れたら忘れて」とありますが、この気楽さがすごく心地よくて、ラストのシーン、どうしようもないくらい泣きました。(泣き笑いからガチ泣きになるタイプのやつです笑)
「生きる」ことって、無意識に肩肘を張ってしまうものなのかもしれません。「死にたい」なんてタブーは言えない、軽々しく言っちゃいけないってわかっているから言わないけれど、死にたいと思うことくらい、人間なら誰だってありますよね。
で、自分の場合は、死ぬときは「バイバイ、お疲れ様でしたーー!!今から死にまーす!」ってファンファーレ鳴らしながら、赤い緞帳を自分の手で下ろして、とびっきりの笑顔で死にたいのです。それこそイイワケが「あっぱれ!」って言って死にたかったのと同じように。
勿論そんなこと叶わないけれど、そのくらいの気楽さで死にたいし、生きたい。ツキソイが「なんも楽しくなかった!」って泣くシーンがあるけれど、最後の瞬間にそんなことを言うのはちょっと寂しすぎますね。『あなたが今どうせ死んでも 世界はどうせへっちゃらだが』…でも、「自分を愛してくれる者にとって、自分の死は一番の猛毒」になる…だから生きる。そのくらいでいいのなら、できる気がする。そんなことを考えました。(言語化すると誤解が生まれそうなので怖いですが、決して死を仄めかしているわけでもなければ、自死を推奨しているわけでもありません)
さて、まとまりのないまま、あまり上手くまとめる気もないまま、ここまできてしまいました。
以前noteにも記しましたが、「涙を誘うセオリーはあるけれど笑いは難しい」という学生時代の教授の言葉を思い出します。私自身は笑いのツボは突拍子のなさや意外性にあると思っているけれど、この舞台でもそれを強く感じます。ツキソイの真相や、怒濤の死亡フラグ。「なんでそうなっちゃうの!?」の連続です。
最後にカチグミが言っていたけれど「物語は裏切る」んですよね。確かに、先が読めちゃうような決まり切った物語は面白くないし、それって人生と一緒かもしれませんね。
描き方によってはとんでもない悲劇になるシーンが、喜劇的なノリで描かれていく「聖ダジュメリ曲芸団」。今まで色々な作品を見てきましたが、ここまで「生きること、死ぬこと」が軽やかに扱われた作品はなくて、私の中で衝撃的な出会いになりました。そして、大好きな作品になりました。彼らを胸の内側にそっと住まわせて、明日からも生きていきます。
おぼんろ第24回本公演『聖ダジュメリ曲芸団』
2024.6.9(日)
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