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「公園とホームレス」から、これからの都市の空間を考える(3)

さて、前回の記事では天王寺公園を例に公共空間のプライベート空間化の状況を見てきました。さらに、公共空間を評する際によく使われる「公共性の担保」という概念を超えて、公共空間たる都市公園が果たすべき役割について論じるにはどうすればよいか、ということを問いかけました。

「公共空間の危機」をどう捉えたらよいだろうか

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これまでに述べたように、今後公共空間はどんどんプライベート空間化していきます。それ自体に賛否があるものの、公共空間が市場的価値のみで図られるようになることは様々な点で問題がありそうです。しかし、「公共性の担保」という紋切り型の言葉ではよくわからない。今までとは違う、評価軸みたいなものを考えないと、「稼げる空間」であるかどうかだけが空間の評価を支配することになります。多様性、とか包摂性、みたいなものを評価できればいいですが、そんなことできるでしょうか。

またもや小難しい話になってしまい恐縮なのですが、ここまでお話ししてきたような「公共空間の危機」と呼ばれるような事態が本質的にはどのようなプロセスであるかを考えてみる必要がありそうです。こうしたプロセスは、実はかなり昔から先人たちによって予測されてきたことなのです。

以下では、篠原(2007)(注1)の記述を参考に少し整理してみます 。公共の空間(つまり私的空間から取り残された空間)というのはどういう場所か、ルフェーブルによる「中心性」という言葉を借りてきてみましょう。つまり、事物や人々を集積し出会わせるという意味での中心性を持った場です。しかしこの「中心性」は次第に姿を変えていく。そこに集まっても良いものとそうでないものを分けて、そぐわないものを排斥するような「全体性」への志向が生じ、それを実現していく作用へと転じていくというのです。これは、先に見てきた事例を非常にうまく表していると思われます。そしてルフェーブルはそれへの対抗として、「脱中心化」とか「転用」という実践のアイデアを出しています。これらを少し具体的に考えれば、ボトムアップの自治や、多様性によるエネルギーでその空間の均質性を可視化していくことに見出せるかもしれません。…と言ってもあまりピンとこないと思いますから、このことは後で詳しく考えてみることにします。

公共空間が消滅しゆく様をどのように捉えればいいのでしょうか。「全体性」への志向は防犯上の観点などを理由に加速度的に進行します。篠原によれば、その根底には僕たちの「ごく近くにありながら、同化し難いもの」を排除し、見えなくしようとする態度があるのではないか、ということです。それは、よくわからない存在―例えばホームレス状態の人や外国人や精神疾患を持つ人が、何かをしでかすかもしれないという、目に見えぬ恐れを封じるため、と言えるかもしれません。篠原は、このような排除の壁に対抗するために必要な考えとして、以下のように述べています。

発送の転換が必要である。排除という反応方式に対し、代案の提示と条件反射的な行動によって抵抗するのではなく、まずはこのような反応を強いる過程が何であるかを考えること。(中略)恐るべきものと見なして拒否するのではなく、逆に、変化を促す生成の過程とみなし身をさらし、ここに即して思考することである。(「公共空間の政治理論」より)

つまりもう元の公共空間に戻そうということでは抗えない。この潮流を受け入れ、しかしそのまま認めるというわけでなく、冷静に分析した上で、創造的な思考が必要になります。今後の公共空間(とりわけ都市公園)を考える上でヒントになるような視点・実践例を見ながら、答えらしきものを探っていこうと思います。

シドニーのホームレス・プロトコル 「排除しないこと」と「包摂」の関係


今から20年前の五輪・パラ五輪開催地はオーストラリアのシドニーでした。その1つ前は米国のアトランタです。1996年のアトランタ五輪は、ホームレス関係者の間では語り草になっている大会です。というのも、大会に際して大規模なホームレスの排除が起こり、世界中で問題視されたのです。大会近くになると、何やかんやと言いがかりをつけてはホームレスの人を逮捕したり、片道切符を渡して遠方に行かせたり…というものです。

シドニーの法律家やホームレス支援団体はシドニーでも同様のことが起きるのはないかという懸念を抱き、働きかけました。その結果、シドニー五輪の際のスタッフの行動規範には、ホームレスの人の追い出しを認めない、という旨のルールが加えられました。当時の州警察の担当者は「ホームレスを追い出すのが仕事でなく、追い出すなと書かれていることに驚いた」というようなことを述べていました。

これはのちに、シドニーが属すN S W州の行政部局が横断的に批准する議定書(プロトコル)として公文書化されました。「公共空間にいるホームレスの人のためのプロトコル(The Protocol for Homeless People in Public Places)」では、ホームレス状態であっても他の市民と等しく公共空間にいる権利があり、またイベントに参加する権利も有しているということが明記され、警察などの権力に対してはホームレス状態の人が支援を要請したり、自傷他害の恐れがある場合を除き介入すべきでない(放っておくべきである)ということを約束させています。法的拘束力はないものの、この文書はその後10年以上をかけて定着していきました。このような取り決めが行政によって結ばれていることは、極めて異例なことです。これについては僕は2013年に現地で調査をして、論文にまとめています 。(注2)

ホームレスの人の公共空間にいる権利を行政が文書まで作って認めているというのは、本当に異例なことです。でも、何度も言うように公共空間で生活を送ることは推奨されるべきことではありません。家がないということ自体とても大変なことですし。その辺りは、どのように理解すればよいのでしょうか。
実はオーストラリアでは、世界一広いホームレスの定義をもって、積極的な包摂施策をとっています。ハウジング・ファーストと呼ばれる居宅(集団施設でないアパート)での支援を基本とし、数値目標も伴ったものです。しかしこのような積極的な包摂施策は、やり過ぎれば「収容」に転じる危険性も孕んでいます。そこで、排除されない=無理やりに収容もされない権利を担保するプロトコルの理論的な意義が見出されます。つまり、排除しないということを約束することで初めて、包摂(入ってね)ということが信用できるわけです。
これをもう少し俯瞰で捉えるならば、プロトコルを単なる公共空間のルールに留めず、(福祉政策という)社会政策・制度と一体的に見ることで、両者の正当性が担保されていると見ることができます。このような実践は、公共空間のあり方を考える際に、大きな示唆を与えてくれます。

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社会問題を解決するための空間へ


さて、それでは「公共性の担保という概念を超えて、公共空間たる都市公園を考える評価軸はどのようなものが考えられるか?」という問いに立ち返ってみましょう。天王寺公園のような事例は、確かに誰も使わない状態より公共に開かれた空間になっている。しかし、実はターゲットを暗黙の了解で限定しているのではないか。ショッピングモールのようになった公園は、公園としての役割を果たしているのだろうか。つまり、「公共性の担保」というだけでは判断できないようないわば包摂性において、都市公園を都市公園ならしめるファクターとして何が必要なのか?という問いです。
先人たちの思考を辿ってみると、しかしそれは、今までの公共空間に戻すというものではならず、しかし現状をそっくりそのまま受け入れるというものでもいけない、ということでした。

それに対して、正直なところ明確な答えはまだありません。僕も必死で考えている途中です。しかし、現時点での持ち得る解として、「(その空間が)社会問題を解決する空間になっているか?」という観点を取り入れてみたいと思います。つまり、公共空間は、その空間自体やその空間が存する社会空間において持ち上がる種々の問題を解決する舞台となり、解決に寄与する必要がある、という命題です。多様な人々が集い、時に衝突したり問題が顕在化することはあるが、それでも話し合い、創造的なソリューリョンを見つける、舞台になるべきだということです 。

このことは即時に、その空間のルールやデザインをその空間だけに閉じ込めることを不可能にし、社会のその他の空間や社会制度との関係性を顧みることを要求します。公共空間と、その周囲の社会のあり様とは、不可分なのです。それはかつての天王寺公園が、「消極的であれ、ホームレス問題の緩衝地帯として機能していた」ことを思い出していただければ、理解は難しくないでしょう。そしてシドニーのプロトコルがその良い実践例であることが。
公共空間管理者やデザイナーやプランナーは、公共空間が公共たる由縁は、単に公共性の担保という指標だけでなく、その空間の社会との関係性における役割として何を担うかということを念頭に置かなければいけません

もちろん、社会問題というのは非常に曖昧です。でもそれでいいのだと思います。つまりそれは、人々の恐れの原因が何であるかを慎重に聞き取り、観察し、構造化し、具体的なデザインやルールに落とし込むというプロセスを要求するからです。

では、そのような実践を可能にするには、僕たち市民はどのような態度で公共空間を考えたらよいでしょうか。(4)へ続く。

注釈

(注1)公共空間論の整理にあたって、以下の文献を参照した。
・公共空間の政治理論 篠原雅武 (2007)人文書院
・都市への権利 アンリ・ルフェーヴル 森本和夫 訳ちくま学芸文庫
・空間の生産 (社会学の思想) アンリ・ルフェーヴル 斎藤日出治 訳 青木書店

(注2)シドニーのホームレス・プロトコルの事例は以下の文献を参照した。
・行政機関が締結している公共空間におけるホームレス・プロトコルの研究 -オーストラリアNSW州シドニー市を対象として-北畠拓也/河西奈緒/土肥真人(2014)都市計画論文集

(注3)社会問題を解決する場所という評価について、初出は以下の文献より
・社会課題を解決する舞台となる公共空間 ─市民参加型の深夜ホームレス実態調査から 北畠拓也/河西奈緒/杉田早苗/土肥真人(2018)建築雑誌 5月号

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