2022年8月初頭、私は新潟にいた
命の危険にかかわる豪雨が私の新潟から山形へ帰宅するための帰路を隔てて、帰宅が困難となった
私は、ダメもとでいくつかの近隣の宿に電話をかけた
時間は20時を越しており、この時間に宿が宿泊をさせてくれるというのはほぼあり得ない
最近、テレビの番組で夜遅くに飛び込みで宿にカメラの撮影と宿泊をさせてくれるように懇願するのを見えるが、とても失礼であると思う
それを見てきてくれるお客さんができることを見込んでのこともあろうが、一般の客であればよほど理由が無い場合以外は相手にされないことが多い
そんな中、大いなる理由をもって電話したわけであるが4件宿泊を断られたり、電話に出てもらえなかった
道の駅に駐車しての車中泊を覚悟したが、5件目の宿は宿泊を許してくれた
その宿は村上市、瀬波温泉の大和屋旅館さんであった
電話口で女将さんが「ちょうど一軒キャンセルが出たので、お泊り頂けますよ」と返事をいただいた
私は旅先で非常に疲労していた中で人のやさしさを感じたことで、とてもうれしくなった
20分ほどで到着した瀬波温泉は明治37年に石油掘削中に熱湯が噴出したのが始まりで、豊富な湯量と95℃の熱量が特徴である
温泉噴出の前夜にお狐様がコンコンと鳴き温泉の噴出を予見したといわれているが福島の奥会津の赤べこよろしく、地方の温泉の虚構と思われる
昭和12年2月瀬波を訪れた与謝野晶子は温泉の印象を「温泉は いみじき瀧のいきほいを 天に示して 逆しまに飛ぶ」というリアリティを感じる句を残されている
偉大といわれる俳人が温泉の句をその場の印象だけで残しているかんじはなんだか滑稽で、人間っぽくて好きである
大和屋旅館に到着し、旅館に電話すると玄関に明かりがつき女将さんが迎えて下さった
こんな失礼な客に深々と頭を下げ、私を心配して下る丁寧な言葉をかけ、客室にまで案内し、館内の事を説明してくださった
説明が終わると、膝をついて頭を下げられ襖を閉じられた
私が求めていた理想の女将さんはこの方だと私は心底思った
大和屋旅館は当館初代・高橋信郎翁が石油掘削していたところ、明治37年4月9日午後2時熱湯が噴出している
このことにより瀬波温泉のハードコアは大和屋旅館であることがわかる
また、近隣に広大な敷地にたくさんの部屋がある旅館や海辺の景色がきれいな露天風呂が自慢の旅館はたくさんある
その中で、大和屋旅館は古く、小さく、露天風呂はなく、窓からは海は見えない
他の旅館と比べたら条件は悪く、客足は多旅館へ向かわれる事が多そうである
しかし、温泉の質を求めるのものであれば大和屋旅館を選択するのは明白である
その理由は、温泉の浴槽の小ささがある
他旅館は、多くの客を大きな浴槽で迎える
浴槽が大きい分加水し、塩素などで少なからず消毒している
大和屋は小さな浴槽ではあるが常に新鮮なお湯が注がれ、最新の湯が更新される
コロナ前、山形の海老鶴温泉は温泉の入れ替えや清掃を行わず常にお湯を垂れ流ししていた
現在は保健所の指導により、12時から14時で清掃、消毒をされている
こういった改装を行わずSNSを駆使しない昔ながらのスタイルを継続しながら、お湯は常に最新を更新されているというギャップに魅力を感じる
大和屋旅館さんの女将さんは、「お湯は瀬波でうちが一番です」と仰る
それは源泉を掘り当てた湯本である故、瀬波温泉全域へのお湯の配分をコントロールされているという事により最適な湯を加水せず常に更新している事が裏づけとしてあると思われる
そういったことをべらべらいうわけでもなく、もし聞かれたら胸を張って答え、どんな客にも感謝と敬意をもって接客し、地方で他旅館に劣っているのを自覚しながらも自身の旅館に誇りをもっておられているのが身のこなしから感じられる
最高のお湯をつべこべ言わず愚直に提供し続ける女将さんのお姿に感動した
しなびた地方旅館のほとんどの接客はある程度で流しで、説明もして頂けず詳細をきいたりすると「はぁ?」と言われ、掃除もしていないし、トイレは臭い
大和屋旅館さんもしなびてはいたが、とても丁寧な接客と気遣いをされ、館内は清潔で、トイレもあんまり臭くなかった
後日、感謝の手紙を記しお送りさせてもらったところ、返事に年賀状形式で定型文をコピーした感謝のハガキの左隅にコメントを添えて返事を下さった
大和屋旅館さんには2年後くらいにまた行きたいと思っている
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