地方と海外を結ぶデジタル人材育成モデルの開拓者〜宮崎-バングラデッシュモデルを民間で支える企業家のキャリアとビジネス
デジタル人材育成学会の第1回デジタル人材育成大賞に輝いた「宮崎-バングラデシュ・モデル」。このモデルは、JICAがB-JET事業(*1)としてバングラデシュの優秀な若手IT人材へ日本語・ITについて教育し、宮崎大学がバングラデッシュからの留学生を受け入れて日本語教育・インターンシップを行い、宮崎の企業を中心に日本への就職を支援するという独自モデルです。そして、JICA事業終了後は、B-JETはバングラデッシュ現地大学と宮崎大学へ承継され、宮崎大学に設置された新興出版社啓林館寄付講座「外国人ICT技術者人材育成学講座」により、引き続き実施されています。このモデルを下支えしているのが、宮崎市内に本社を置く株式会社ビーアンドエム代表取締役の荻野紗由理さんです。2024年1月に、「地方」「海外」×「デジタル人材育成」を軸に、荻野さんのキャリアや今後の展望についてインタビューを行いました。
(聞き手:デジタル人材育成学会会長 角田仁、副会長 中村健一)
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*1 外国人ICT技術者人材育成プログラム(B-JET)について
日本での就職を希望する若いバングラデシュICT技術者に対し、バングラデシュ国内で宮崎大学と現地大学が連携して5か月間の日本語教育等の履修証明プログラム(B-JET Basic Course)を実施し、来日後さらに宮崎大学で3か月間の日本語教育等の履修証明プログラム(B-JET Advanced Course)を実施。宮崎での3か月間は、並行して宮崎の企業へのインターンシップも実施し、プログラム終了後に宮崎の企業へ就職するスキーム。なお、本プログラムにより2018年4月から2022年7月までに市内企業延べ22社へ47人の技術者が就職(2023年4月時点)
◆ 途上国経験→IT業界就職→地元Uターン
〜 偶発的なキャリア形成が産んだ「宮崎-バングラデシュ・モデル」
角田・中村:荻野さんが関わられている「宮崎-バングラデシュ・モデル」が第1回デジタル人材育成大賞に輝きました。大変におめでとうございます。まずはバングラディッシュ‐宮崎モデルに至った荻野さんの個人のキャリア変遷についてお伺いできればと思っております。学生時代や、その後の就職についてお聞かせください。
荻野:私も関わらせて頂いている「宮崎-バングラデシュ・モデル」がデジタル人材育成大賞を受賞させて頂いたこと、とても光栄に思います。「宮崎-バングラデシュ・モデル」の一端を担っている株式会社ビーアンドエム(以下、B&M社)の設立の背景を含めご紹介をいただけることも感謝申し上げます。簡単に自己紹介も兼ねて、私のキャリアの変遷を紹介させていただきます。
もともと宮崎県出身で、高校卒業まで宮崎に住んでいました。大学進学に当たって、明確に「これをやりたい!」というのはなかったのですが、宮崎を出たいという気持ちもあり東京・八王子にある私立大学の経営学部に進学しました。両親が英語教師だったので、幼少時より英会話の経験があったりとかして、漠然と学生時代にちょっと海外に行ってみたいという気持ちはありました。今とは異なり留学というのは当たり前の選択ではなく、まだ海外留学は少しハードルが高い時代でした。
なので、まずは海外に関連する勉強をしたい、活動をしたいと思い、途上国と関係のある「SaveChildrenNetwork」 というサークルに入りました。サークルの名称から連想される通り、ストリートチルドレン、子ども兵士、児童労働、教育問題などを研究し、途上国の子どもたちを様々な形でサポートすることを目的としたサークルです。偶然サークルで知り合った先輩のお父様が、JICAにてアフリカ勤務をされていました。私が大学1年時に、その先輩がお父様にアフリカまで会いに行くというタイミングで一緒に付き添わせて頂いて、アフリカのマラウイという小さな国に一ヶ月ほど滞在をする機会をいただきました。今考えると、このアフリカでの滞在が原体験になっているかなという感じはしてます。
実際マラウイに行ってみると、のんびりした国の文化や生えている植物などの環境が地元・宮崎と似ている感じがしていて、物理的には離れていても、アフリカと言えど文化や環境面では決して遠い場所ではないなと体感できたのが貴重な体験でした。社会人になり、バングラデシュなどの途上国に物怖じせずに訪問できるきっかけになったと思います。
結果的には、勉強よりもサークル活動に一生懸命打ち込んだ大学生活でした。いざ就職活動の時期になっても、大学進学時と同じく「これをやりたい!」というものは明確にはなかったので、どちらかといえば「面白い環境」で働いてみたいと思い、当時IT企業としては新進気鋭だった株式会社ワークスアプリケーションズに就職をしました。
角田・中村: 学生時代から新卒採用までの歩みをご紹介いただきありがとうございます。大学時代のアフリカの滞在が、荻野さんが途上国に貢献をしていく原体験になったと理解しました。文系卒でワークスアプリケーションズに入社されて、営業職ではなくてエンジニア職として働かれていたのですか。
荻野:そうですね。どちらかというと、カスタマーサポートの役割にイメージは近いと思います。プログラミングなどの開発業務は行わないのですが、少しソースコードを読んだりとか、SQLを記述してデータを抽出するなどは現場の業務で担っていました。ITのお仕事のおもしろみを感じていました。
私が新卒入社した当時のワークスアプリケーションズは、割と新卒社員でも早くからお客様の担当をさせていただいたりとかして、若手の抜擢も含め「ダイナミックに成長していきましょう」という社風でした。
私は、大企業のバックオフィスの情報システム保守のお客様担当をメインとして働いていました。システム保守をしながら、様々なお客様の制度改変や法改正対応などいわゆる変更・改良保守プロジェクトも担当し、トータルで9年間働きました。SQLなどのプログラミング言語を含め基礎的なIT知識は間違いなくワークスアプリケーションズで培えたと思います。一方で社会に出て10年目を迎えるタイミングで何をやるにしても仕事に慣れてきてしまう自分への葛藤もあり、良きタイミングで父が経営する会社(英語教師から転身され、ICT教育関連の会社を起業)でバングラデッシュでのプロジェクトを立ち上げるということで、父に参画したいと申し出て、宮崎県にUターン転職をしました。心のどこかで、海外関連の仕事をしたいけどそんな機会は宮崎には無いだろう、と思っていた私が、海外と関わる仕事をするために宮崎にUターンをすることとなりました。
角田・中村:新卒時にIT業界で働かれたことで、現在のバングラデッシュIT人材の紹介業を含め、地元IT業界の会社とビジネスをしていく土台が作られていったのですね。宮崎のUターンでの転職に関して、お父様のきっかけもあったとお話があったと伺いましたが、それ以外にも東京を離れて、故郷・宮崎県に戻られる要因はありましたか。
荻野:はい、実は、東京での満員電車での通勤が非常に苦痛でした(笑)。一方で、当時のワークスアプリケーションズ社内の雰囲気は非常に良好で、楽しく仕事ができていたのですが、大企業のお客様の経費精算・給与計算などのバックオフィスに関する業務は、細かい数字の不一致の対応などに時間を割くことも多く、大事な課題であるとわかっている一方で、その課題対応に対する仕事の興味が薄れていきました。それが先ほどお伝えした葛藤という観点で、30歳を一つのキャリアの節目として宮崎に戻る決意をしました。
角田・中村:なるほど、宮崎へのUターン転職されて、当初の印象はいかがでしたか。お仕事の進め方や労働環境などにギャップを感じられることも多かったのではないでしょうか。
荻野:おっしゃるとおり宮崎へ戻った当初は、ワークスアプリケーションズでのお仕事の経験とは大きなギャップを感じました。新卒で入社して以来、いわゆるコストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを含めた効率性や、高い生産性が優先される価値観が大きかったのが、宮崎では人と人との関係性が重視されたり、大きな仕事の目的や志の方向性が一緒であることが大切だったりなど、協力的に人と人が仕事を進めることが重視されているように感じました。このギャップには当初大きな違和感を感じていましたし、自分の中で言語化をしていく難しさを感じていました。
角田・中村:その地元宮崎で感じられた仕事に対するギャップは、社内・社外両方で感じられていましたか。
荻野:そうですね。両方で感じていましたが、特に社外で大きな違いを感じたように思います。というのも、父親の会社の事業がいわゆる文教関係のeラーニングシステム開発を担う事業だったので、お客様は学校の関係者でした。東京では大企業の情報システム部のお客様を担当していたので、いきなり教育関係の先生や職員の方々に変わり、相対するお客様のタイプの変化は大きかったと思います。
ただ自分が課題に感じていた通勤は電車から自家用車に変わり、気分としてはだいぶ楽になったのを今でも覚えています。もちろん六本木のオフィスに通っていたことも自分にとってはとても貴重な経験となっており、都会と地方で働くギャップを実体験として理解できているのは現在の事業を進める上でもとても役に立っています。また、今では、ITや効率化はあくまで手段であって、周りの人や自分が幸せになることが働く目的なので、そのバランスが大事だと捉えて仕事をしています。
角田・中村:お父様の会社に入社されてからは、事業のお手伝いをされていたと伺っていますが、どのような経緯で宮崎-バングラデッシュモデルと縁するようになられたのですか。
荻野:父の会社が、JICAの開発途上国における日本の中小企業支援のスキームに携わるようになったのが契機になっています。日本の中小企業が持っている技術製品を活用し、途上国の課題解決をしながら、マーケットを作っていくための調査事業を受託しまして、バングラディシュを訪問し始めました。具体的な取り組みとして、eラーニングシステムを活用したバングラデシュのIT人材の育成で、現地でeラーニングシステムを展開するようなプロジェクトでした。
バングラデシュには郵便電機通信IT省(Ministry of Posts, Telecommunications and Information)があり、私たちはそのIT省の役人の方々や、バングラデッシュ国内の大学のコンピューターサイエンス関連の教授や学生との間で意見交換をする機会をいただきました。このコミュニケーションを通じて、おそらく現地に行ったメンバー全員が感じたことなのですが、バングラデッシュには非常に優秀な人材が多くいる一方で、その技術者が活躍するための受け皿がない。まさに就職難が深刻な問題となっていました。特に大学新卒者の就職が難しい状況を目の当たりにしました。このような現地での体験を通して、宮崎に戻った後、宮崎県内のIT人材不足の状況も実感しました。
父が宮崎大学の首脳や宮崎市の企業誘致担当者の知り合いもおり、この状況を共有する中で、就職難の課題を持つバングラデッシュIT人材とIT人材不足に悩む宮崎県/宮崎市の双方の課題を解決するため「宮崎‐バングラデッシュ・モデル」のアイデアが生まれました。このアイデアを当初は宮崎県内のスキームで小さく始めようと思っていましたが、JICAの南アジア部担当者の方と会話した折に、バングラデシュ側の人材育成が、JICAのスキームを活用して遂行可能であるという提案を頂いて、現在の宮崎‐バングラデッシュ・モデルの源流となるプロジェクトが始動しました。その過程で、バングラデッシュの優秀なIT人材と宮崎県内の地元企業との連携を担う役割として、父の会社からスピンオフする形でB&M社を2016年7月に設立し、人材紹介業を開始することになりました。
角田・中村:荻野さんのこれまでの学生時代の途上国経験、新卒入社時のIT業界でのカスタマーサポートの経験、そして宮崎へのUターン転職のキャリアにおける点と点が線で結ばれ、現在の起業に至ったのだと理解しました。また、バングラデッシュの訪問が契機となり、まさに荻野さん親子の構想力と実行力で宮崎‐バングラデッシュモデルの原型が作られていったのですね。宮崎-バングラデシュ・モデルの立ち上げにあたり、特に苦労された点はありますか。
◆ 宮崎-バングラデッシュモデルの立ち上げ時の課題
〜 海外デジタル人材の就労という観点で
荻野:はい、最初の大きな課題は、バングラデシュIT技術者の採用に関して、宮崎の地元企業の賛同を得ることでした。特に中小企業にとっては、海外人材の採用自体が未知の領域であり、海外人材採用だけでもハードルが高いのに、「どうしてバングラデッシュのIT技術者なのか?」とご理解をいただくまでに相当な時間とパワーを使いました。しかし、JICA、宮崎市や宮崎大学といった公的機関のサポートがあったことで、徐々に企業の方々も安心をされ、本モデルに対する信頼を獲得していくことができました。
角田・中村:宮崎県内の企業に理解と安心感を与えるために何か具体的な取り組みはされましたか。
荻野:はい。JETRO様のご協力も頂いて、海外人材採用セミナーを継続的に開催し、その中で宮崎-バングラデシュ・モデルの紹介を積極的に行ってきました。プレゼンテーションの最後には必ず、「少しでもご関心を持たれたら、バングラデッシュに視察に行きませんか」とお誘いをしました。いくら書面やPowerpointのスライドできれいに説明しても、やはり現地に行って見聞することには勝てません。百聞は一見にしかずとの言葉の通り、「すべてのコーディネーションは我々B&Mで行うので、時間と旅費とパスポートだけ準備いただいてバングラデッシュに行きましょう」とご提案して、実際に複数の企業の方々にバングラデッシュ現地に訪問をいただきました。実際にバングラデッシュでIT技術者と会っていただくと、皆さん「バングラデッシュには優秀な若者が沢山いる」と認識をし、採用に関するハードルがぐっと下がったと思います。
角田・中村:ご説明頂いた心理的ハードルを下げる取り組みとともに、採用するコストも課題になるのかなと思います。宮崎市から補助金や助成金は出ていたのですか。
荻野:宮崎市庁のご担当者にかなりご苦労をいただいて、補助金・助成金のスキームを作って頂きました。「宮崎-バングラデシュ・モデル」が加速化できた一つの要因であったと思います。新設では時間がかかるため、市の中ですでに制度が存在したUターン・Iターン人材のための制度を活用する形で議会に通していただいて、バングラデッシュ国籍の方々の雇用促進の補助金「バングラデシュIT技術者雇用促進補助金」を制定頂きました。B-JET Advanced Courseを修了したバングラデシュICT技術者を採用した市内企業に対し、採用に必要な経費の一部を助成ができる制度になっています。
角田・中村:なるほど。採用に関してかなり実現度が高まる施策を効果的に講じられたのですね。荻野さんの会社にも補助金などは出ているのでしょうか。B&M社のビジネスモデルも含めて教えて頂ければと思います。
荻野:私たちの会社に対して、市からの直接的な補助金はありません。私たちの主な業務は、宮崎市「バングラデシュIT人材雇用促進事業」と連携した形での人材紹介業になります。派遣業務は行っておらず、バングラデッシュIT人材の企業への紹介のみで事業を成り立たせています。紹介料は案件ごとに頂く形ですので、ビジネスを成り立たせるためには紹介の数を増やしていかなければいけません。
角田・中村:荻野さんの「宮崎-バングラデシュ・モデル」やB&M社の立ち上げをお聞きするとパブリックセクターとのコミュニケーションや、Iターン制度の活用の発想など、アクターを動かす力が素晴らしいと感じます。何か秘訣はあるのでしょうか。
荻野:Iターン制度の活用も私が思いついたわけではなく、宮崎市の職員の方のアイディアのおかげです。「宮崎-バングラデシュ・モデル」も宮崎大学や市の関係者が民間企業でも働かれていたので、民間視点で私も含めお互いに話やすさがあり、組織や制度を構築できたことは大きかったと思います。また、地方の魅力だと思いますが産学官がとても近く、関係者でざっくばらんな会議を何回も行い、それぞれが出来ることを持ち寄ることで大きな波及が生まれていく面白さを感じることも多くありました。
◆ 地方のデジタル人材不足解消と海外デジタル人材活用のための課題と今後の展望
角田・中村:荻野さんのこれまでの経験が点と点で線で結びつき、持ち前の「巻き込む力」「コーディネーション力」「宮崎-バングラデシュ・モデル」やB&M社の立ち上げに生かされたと改めて理解をしました。ビジネスの観点で、「宮崎-バングラデシュ・モデル」におけるバングラデッシュIT技術者の派遣業でのご苦労や課題があれば教えてください。
荻野:過分な評価ですが、私自身のキャリアは逆算した戦略的なものではなく、幸運が積み重なったものであると感じています。
ビジネス見地からの「宮崎-バングラデシュ・モデル」の直面している課題は、育成をしてきた宮崎県内で就職した技術者の県外への転職・流出です。LinkedInなど含めて東京のIT企業からのオファーが多いようで、報酬や東京勤務の魅力、そして英語を使った仕事環境が彼ら彼女らにとっては魅力であるようです。
私自身も東京のIT企業で勤めていたので個人的には彼ら彼女たちの気持ちは理解しつつも、B&M社の経営者としては、せっかく採用を頂いた人材が転職するのは採用頂いた企業の皆様に本当に申し訳ない限りです。宮崎市内の企業の方々からは温かいお言葉を頂きながらも、このような転職ケースが続くと信用問題にもなるため対応策を練っています。
角田・中村:デジタル人材育成学会として初めて「宮崎-バングラデシュ・モデル」を取材をさせて頂いた際にもその課題感をお聞きしました。それだけ価値のあるデジタル人材・IT技術者を宮崎市で育成されているという証左とも言えるのではないかと思います。
言語の問題、つまり日本語環境ではなく英語環境での職場環境に転職をしたいというバングラデッシュIT人材の希望は「発生しうる課題」と想定しますが、この点に関しては宮崎市内の企業ではどのように対応されていますか。
荻野:企業によって異なりますが、英語ができる社員がいる場合は社内で英語を使用したり、語学力向上を目指した日本語のサポートを積極的に行って頂いているケースもあります。バングラデッシュIT人材の採用を機に社員の方々が英語を勉強されるという企業も出てきています。
角田・中村:海外デジタル人材を活用していくという観点では、お互いに語学を学んでいくというのは素晴らしい事例ですね。他に、B&M社のビジネスモデルや売上の面での課題はありますか。
荻野:私自身経営者という立場で経験値を積んでいく中で、紹介業という一事業ではなかなか売上の安定化は難しいことを認識しています。紹介数に依存するビジネスモデルですが、先程述べた通り早期離職や再雇用の問題も含め、予定していた200−300名という数の半分程度しか達成できていません。よって、関連事業の展開というものも始めており、バングラデッシュIT技術者を含む外国籍の方の採用に際して、住居探しや各種手続き、銀行口座開設など生活の立ち上げ支援業務など、さまざまな事業に取り組んでいます。これらの活動を通じて、モデルを拡張し、事業を維持・成長させたいと考えています。
角田・中村:B&M社として海外デジタル人材をプールして、派遣業務を展開していくことは難しいのでしょうか。
荻野:本モデルの場合、技術者の半分近くが新卒採用の対象者になりますので、やはり一般的に即戦力を必要とする派遣業というのは「宮崎-バングラデシュ・モデル」という観点では難しいと感じています。地元企業の方々にニーズをお伺いした頃はあるのですが、バングラデッシュIT技術者を採用いただいてる企業の方々は現地視察などを通じて、企業としての責任を持ってバングラデッシュの人材を呼び寄せているという感覚が強く、派遣よりもしっかり採用して、育成をしていきたいという気持ちが強いように思います。
角田・中村:宮崎地元企業の皆さまの気概と、荻野さん含め「宮崎-バングラデシュ・モデル」に関係する方々の強い信頼感を認識できる素晴らしいお話だと思いました。宮崎市内で商工会議所内での企業間の連携もやはり強いのでしょうか。
荻野:我々のモデルでは「Miyazaki IT Plus : 宮崎市ICT企業連絡協議会」がいわゆる企業間の連携の上で大切な役割を担ってくださっていると思います。昨年も協議会内で「バングラナイト2023」というイベントを開催して、バングラデッシュと宮崎地元企業をつなげるイベントなどを行っています。その協議会内で、企業間でも本モデルについて情報交換などをされています。
角田・中村:最後に、B&Mおよび荻野さんの今後の展望・ビジョンについてお伺いできればと思っております。
荻野:まだ明確な方向性は決まっていませんが、当然ながらバングラデシュとの関係は維持・成長させていきたいと考えています。「宮崎-バングラデッシュ・モデル」を通じて、バングラデッシュ現地の方々日本での就職や生活についてかなり良いイメージを持ってくれていると実感しています。バングラデッシュの就職難を解決するという観点、宮崎の労働力人口の不足という観点、双方の課題を解決するために、IT以外にも業種を広げ、例えば建築や土木などの分野での技術者育成・就労のニーズを探っていきたいと考えています。事実、バングラデッシュには日本の測量技術が入っていたりするので、相互に技術を発展できるポテンシャルがあるのではないかと考えています。またこのモデルを活かして、バングラデシュ以外の国への進出も視野に入れたいとも考えています。
角田・中村:それは非常に興味深いですね。バングラデシュ以外の国での展開についてもう少し詳しく教えていただけますか。
荻野:まだ構想段階で具体的な取り組みには至っていないのですが、例えばケニアやザンビアなどアフリカ諸国にもこのモデル展開の可能性があるのではないかと思います。それぞれの国で一定程度の日本語教育の機会はあるようです。さらにアニメやゲームの影響で日本語に興味を持つ学生が多く、IT・デジタル人材としての潜在的な可能性も感じています。こうした文化的な要素を活用しながら、新たな市場を探ることが面白いと思います。
角田・中村:非常に前向きなビジョンをお聞きできありがとうございます。荻野さんのリーダーシップがこれからバングラデッシュやアフリカ諸国など途上国の就職難に寄与するとともに、日本のデジタル人材・IT技術者不足に貢献されることに非常に期待するとともに、今後の展開に注目しています。ありがとうございました。
文責:デジタル人材育成学会副会長 中村健一
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