広島県のデジタル人材育成の取り組み⑥ 社会人編 パート2
介護DXにおけるデジタル人材育成事例
先述した広島県のDXの取り組みの一つの中に仕事・暮らしDXという軸がありました。現在日本の社会課題の一つとなっている介護においても、広島県内の、ある介護サービス事業でデジタルトランスフォメ−ションに取り組んでいる事例があり、本節では介護DXにおけるデジタル人材育成事例の取り組みを紹介したいと思います。本取り組みは、前節でも登場した広島DX推進コミュニティにおいても事例として発表されています。
舞台は広島県廿日市市にある医療法人社団明和会のサービス付き高齢者向け住宅である「さくらす大野」。このさくらす大野において、「広島発「介護×働き方改革×DX」実証研究プロジェクト」を実施しています。これはセンサー+IoT技術を活用した見守りシステムを活用し、介護士の方々の負担を、データを活用することで負荷軽減し、業務改善・効率化された結果として、介護士の方々の働きがいの向上、そして介護を必要とされる方へのサービスの質を向上させていく取り組みです。
この取組みは、医療法人社団明和会、見守りシステムを開発している株式会社Zip Care、介護士の皆さんの業務改善を担い本システムの推奨をした一般社団法人 働き方改革実現ネットワーク広島および前述でも本稿にコメントを頂いた広島県立大学 木谷宏教授の協業により実現しているプロジェクトになります。
具体的には、ベッドの脈拍・呼吸・体動の情報や離床、ドアの開閉、椅子の着座などをセンサーで把握し、介護士や職員の皆さんがパソコンやスマートフォンで状況をデータで可視化、把握する見守りシステムを導入しました。デジタル/ICT機器を活用することでDXを進めていく典型的な事例の一つです。しかし導入の初期段階はプロジェクトが上手くいかなかったとのこと。ICT見守り機器を導入しても、介護士の皆さんがこの機器の活用に積極性を感じていない、ICT機器導入についての意識の壁があるというマインドセットの意識の差があるとともに、実際集まってきたIoTデータをどう活用すべきか現場では判断がつかない、そのスキルが不足しているということが原因でした。DXを謳う企業が仕組み(=情報システムやデジタル技術)を導入しても、現場は勘や度胸、経験をベースに仕事をし、デジタル技術の活用ができず宝の持ち腐れとなってしまうというよくあるお話と親しいものがあると私自身は感じておりました。
介護現場のリアルなデジタル人材育成事例
この状況を打破するために行ったのが、介護士の方々へのデータの読み方・活用方法のワークショップや介護DXを実現するための関連の講義や講習です。正に介護士の方々のリスキリングを実施した素晴らしい事例だと思います。
まずは、介護士の方々のためのデータの読み方・活用方法などを含む分析ワークショップについて紹介したいと思います。具体的には、入居者の方々のデータをサンプルとして使いながら、データを分析し、どう活用していくのかを考え、行動に移していく研修(ワークショップ)を実施されています。例えば、前述の見守りシステムから取得した被介護者の方のお部屋の電気のON/OFFと睡眠時間との関係性や、ある症例を可視化したデータとこれまで介護士の方が観察した事象を組み合わせて分析し、考察をしていくワークをかなり丁寧に実施されたとのことです。
実際にデータを見ること自体が苦手な人(主にベテラン層)も多い一方で、そのベテラン介護士の方々の経験値(“主観”)からデータを読むと、「明るいと寝てなさそう」「この時間は起きていそう」などをデータで裏付けられるようになったことでデータ活用の有用性が見えてきたとのこと。また、若い方々もデータを“客観”的に分析して話すことで、ベテランの介護士の方々と積極的に会話ができるようになったとのことです。
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【見守りシステムを活用した分析ワークショップ概要】
1) 目標
・データをみるトレーニングを繰り返し、データをみる力をつける
・データを考察する力、それを援助計画に活かす力をつける
・デジタル人材、アナログ人材の交流機会を増やす
2) 方法
①データをよむ練習(1か月)
少人数のグループワークを実施
②データを考察し、援助計画をつくる練習(3か月)
③デジタル人材(若手)&アナログ人材(ベテラン)でペアを組んでグループワークを実施
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正にこの研修は広島県が取り組む組織デジタルリテラシーの底上げの向上の好例と考えます。本プロジェクトそのものの目的である「働き方向上」という観点に関しては中間報告段階であり本稿では割愛をしますが、デジタル人材育成という観点では本取り組みを通して、介護士の方々が「情報共有量が増加した」「デジタルデータが職員間の共通言語」となったというのは興味深い事実です。
本プロジェクトの中心者である医療法人社団明和会 パートナー推進室の松原かほり氏に取材をさせていただき現時点のプロジェクトの中間総括をお聞きしたところ、現時点の成功ポイントは、「見守りシステムをツールとして使うことで、「コミュニケーションの場」を創造できたことであり、デジタルツールを起点に組織が変わり始めてきたことが大きいです。組織開発の契機となりました」とのことで、正に介護現場での業務のデジタル変革が起き始めていることが伺えます。一方で、課題感に関しては、「現場でいろいろ絵を描くことはできるが、試しに見守りシステムを使ってみて思うのは、組織設計をきちんとしないと最大限に活用できないことです。介護の業界はマネジメントできる人が少ないので、仕組みをどう活用するか中心者(=現場マネージャー)を据えていくことが介護DXを進める上で必要だと感じています。PDCAを回していくマネージャーの育成の重要性を感じています」とおっしゃっていました。
また、このようなITの仕組みを導入するにしても、介護士の方々の年代によって理解度や受容度はまちまちであり、それぞれの年代のバックグラウンドやITリテラシーを鑑みないと活用の最大化は難しい、ということもこのプロジェクトでの気づきであった松原さんは述べられています。
そこで、上述のワークショップだけでなく、この見守りシステムを活用していくための取り組みとしてリカレント・リスキリングの要素を含む関連研修を実施しているのも特筆すべき点です。例えば、本プロジェクトのアドバイザーでもある広島県立大学 木谷教授による社会トレンドやリスキリングの重要性などを理解する動機づけの講義や、介護の専門知識(例えば、「睡眠ってそもそも何か?」、「高齢者にとっての睡眠とは?」、「年齢によってどう変化するのか」)などの介護という業務において基礎教養となるような研修も実施されたとお聞きしました。
下図は、筆者が日本の大学や企業が社会人向けにデジタルトランスフォーメーション・デジタル人材のリカレント・リスキリングの脈絡で実施されている研修を調査し、実際のカリキュラムの構成要素をまとめたものです。
① そもそもDXとは何か、AIとはブロックチェーンとはなど基礎的なテクノロジーの知識を習得するようなDXリテラシー身につける概論講義・講座
② ITパスポートや基礎情報技術者の知識習得を目指すコンピューターやプログラミングのスキル・知識取得を目指す講座群
③ Excelを含めたNo/Low Code研修や統計学などを学ぶデータリテラシー関連講座群
④ DXを活用するためにマーケティングや人事などの業務知識やDXの事例を学ぶビジネス教養群
⑤ DX関連の働き方やキャリア支援をするプログラム
の大きく5つに分類できると考えています。
さくらす大野で紹介した研修の数々は正に、DX概論(①)やビジネス教養教育(④)、そしてデータサイエンス関連の教育(③)のカテゴリに該当されるものであり、介護DXを行う上で適切なデジタル人材育成をされていることが伺えます。更に、今後人事制度においても、現在定義されているキャリアラダー(*職務の内容を難易度や賃金に応じて細分化し、仕事の内容やスキルを明確にしてステップを踏むことができるよう能力開発の機会を提供する仕組み)においてITスキルに関する項目も取り入れるか検討段階と伺っており、正にデジタル人材育成という観点でのキャリアサポートをしていることから(⑤)、包含的に介護士の方々をデジタル人材育成という観点でもサポートされる取り組みが今後期待されます。
介護DXを実現する上でのビジネスアーキテクトの重要性
では、さくらす大野においてデジタルトランスフォメーションを進める上で必要なデジタル人材像はどんなタイプなのか ー 考察をするとそれは「ビジネスアーキテクト」なのではないかと思います。DX推進スキル標準におけるビジネスアーキテクトは① 新規事業開発型、② 既存事業の高度化 ③ 社内業務の高度化・効率化の3つのパターンに大別されていますが、今回は「介護現場の負荷軽減による職場環境の改善」という目的であるため、③ 社内業務の高度化・効率化が該当すると想定されます。
このタイプは「社内業務の課題解決の目的を定義し、その目的の実現方法を策定したうえで、関係者をコーディネートし関係者間の協働関係の構築をリードしながら、目的実現に向けたプロセスの一貫した推進を通じて、目的を実現する」と定義されています。
今回さくらす大野においてこのビジネスアーキテクトの役割を担ったのが取材をさせていただいた松原さんです。もともとは言語聴覚士の国家資格を保持されているリハビリ現場のご出身でキャリアを積まれてきたこと。現在は医療社団法人内で教育やIT導入などを含め新しい取り組みを推進するポジションとしてマネジメント層、経営に近い環境で働かれています。松原さんご自身もマネジメントの知識を獲得するために広島県内の大学院でご自身のリスキリングをされており、デジタルやITに関する知識は不足をしていてもどのようにキャッチアップをすればよいのかを理解されており、本プロジェクトを推進する上で必要であった知識は簡単な本を読んだり、わからないことはパートナー企業のIT技術者に徹底的に質問する姿勢を持って、課題解決に取り組まれることもビジネスアーキテクトの立場として重要であると筆者は感じました。
少し脱線をしますが、取材中に広島県で取り組んでいるデジタル人材育成の関連研修を受講されているのかお聞きしてみました。松原さんご自身は、広島県で実施している研修などは、メールなどで案内が来ており、認知はしているものの、残念ながら現実的には受講できていないとのこと。その理由は、プログラミングやデータサイエンスなど先端IT人材の育成像に近い知識取得の研修やワークショップがほとんどだと認識されており、どうしても心理的なハードルが高く、研修受講の優先順位が相対的に低くなると率直に語っていただきました。みんなのDX研修やITパスポートの取得補助など広島県では初学者に向けてのプログラムも提供しており、県の学生向けのデジタル人材育成プログラムである「パッケージ型インターンシップ」の節でも述べましたが、やはり広島県は「全方位型のデジタル人材育成を実施していること」をより広く認知してもらうことが一つの課題だと今回の取材を受けても認識をしました。
話を本論に戻します。今回見守りIoTシステムを導入するために介護専門のIT業者と一緒にプロジェクトを進めていくことが必要ですたが、ビジネスアーキテクトはITの供給者と需要者のハブとなって時に翻訳家として、時に教育者や研修コーディネーターとして、関係者と調整をしながらプロジェクトを進める必要があったと思います。松原さんご自身のこれまでのキャリアに加えて、社会人大学院で学び直し=リスキリングをし、ビジネスアーキテクトとしてのデジタル人材になったからこそ本プロジェクトを推進ができていると感じました。
この取組に関わっている木谷教授は、この介護現場でのデジタルトランスフォメ−ションおよびそのためのリスキリングを通して、「介護士の方々は、介護職Xから介護職X+として自身をアップデートし、デジタル技術によって職務を再設計することで、更に”スーパー介護職”になるポテンシャルがあると考えています。これは仕事が変わっていくことを意味しており、職域と職責が斜め上に移動していくことを目指している」とコメントされています。さくらす大野の介護DXにおけるデジタル人材育成事例はどの業界にも展開可能な事例であり、正にデジタル人材を目指すなかでリスキリングを行うことで、働きがいと業績向上の両輪を実現するものであると言えるでしょう。複数の育成アクターが関わり育成する事例および松原様のようなビジネスアーキテクトが中心的な役割を果たすこともデジタル人材育成において重要であることを認識できます。
文責:デジタル人材育成学会副会長 中村