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remember me?-3

「まもなく、落田、落田…」
キュイーン。
慣性に引っ張られながら停止の時を待つ。着いたのは、いかにも田舎な木造駅。
長ったらしいわりには面白みのなかった電車旅にさよならを告げて、一歩踏み出した瞬間、金木犀の匂いが鼻をついた。ホームの端には、イチョウの落ち葉が集められていた。砂場じゃあるまいし、こんな場所でお山づくりとは大したものだ。
無人の改札を抜ける。善意で成り立っている、というよりかは、悪意を抱くような元気がある人間がもう残っていないのだろう。駅前唯一の店も、誰もいない直売所だった。「ここに料金をお入れください。」 
自販機で何か買おうかと思ったが、売り切れまみれだった。ため息を吐き、振り返る。すると、そこには…
ふわふわっと浮くような、だけど忘れないように踏みしめているような足取り。ゆっくりと回していた首が俺の方を向いたとき、それは止まった。
「…」
胸が高鳴る。かなり昔の、一つ前の季節。今だって忘れてはいない。彼女の顔をはっきりと見た。あちらも。一瞬時が止まる。冷たい秋風が彼女の髪をなでる。ちょっと大人びたか?いや、

「俺を覚えてますか?」

彼女の姿は、まったく変わっていなかった。


ちりんちりん…
季節外れの風鈴が、ありがた迷惑な冷涼を届ける。まだ片付けていないのか、怠惰だなあと呑気に考えたが、片付けるべき人がもういないことに気づいた。ゆらゆら震えているそれが急に憎たらしく思え、せめてもの抵抗として一発小突いてやった。
からんからん…
少し強くなったその音に不思議になったのか、縁側に座ってリラックスしていた彼女がこちらを見上げる。
「何してんの?」
怪訝な顔で風鈴から俺に目線を向けてきた。髪が流れる。
「いや、なんでもない。」
俺は赤くなった顔を隠すためにリビングへ逃げた。そこは、俺が住んでいた頃の面影があるようなないような、まるで旧友の見た目が大きく変わっていて一瞬だれか分からない時のような奇妙な感覚が漂う空間だった。
あの頃を見つけようと隅々を眺めていると、彼女も入ってきた。
「この家は、どうなるの?」
「売ることになった。どうせ、誰も使わないしな。」
まあ、買ってくれる人がいるかは怪しいが。そこまでは言わなかった。
「ふうん…あなたは住まないの?」
向けられた人差し指の延長線上に、ちょうど俺の鼻が通る。俺は、彼女の目をじっと見た。澄んだ黒い目。
しばらくそうしたあと、視線をそらした。
「住んでほしいのか」
「わたしはね?」
さらりと言う。俺が考えた時間の10分の1もなかった。視線を戻したくなったが、我慢する。
「でも、あなたにはすべきことがたくさんある。仕事とかね。責任ある大人を、こんな寂れた農村に留めてはおけない。そうでしょ?」
俺は答えなかった。変わりに、口角を下げたまま、こちらから質問を投げる。
「別の集落に行けばいいんじゃないのか。君が隠れられる、山に近い別の集落に。」
息を呑む音がした。沈黙が流れる。俺は耐えきれずに、ついに彼女に向き直った。
「ごめんよ、意味のないこと言って。君はここだからいいんだよな。」
「わかってるなら最初から言わないでください。」
唇を尖らせてぶーたれている姿は、とても幼く感じられた。というか、そもそも彼女の姿は全体から幼い。俺に娘がいたらこのくらいなんだろうな、と思うほどだ。しかし、実際はそう幼くない。
彼女は、人魚を自称している。
とは言っても、あの上半身人間で下半身魚みたいなものではなく、ただ人魚の肉を食い、不老不死になってしまっただけのれっきとした人間だ。いや、それを「だけ」で片付けてはいけないが…
彼女によると、それは約500年前の話。当時、農民の娘だった彼女がひょんなことから(詳しいことは教えてくれなかった)人魚の肉を食べてしまったそうだ。幼いまま姿が変わらない彼女を、両親は不気味に思い密かに殺そうとしてきたがなんとか山奥に逃げ、今まで生き残ってきたらしい。実際彼女は、俺が小学生だったあの頃とまったく同じ外見だった。
あのあと、駅で再会したあと、まさかの邂逅に驚いた俺に対し、彼女は自分についての説明をした。人魚のことと、80年に一度くらい山から降り、この落田集落の子供とひと夏の間だけ遊んでいることを。それを聞いたとき浮かんだ3つの質問に彼女は答えてくれた。

Q1.なぜ80年に一度なのか。
A.スパンが短いと、前会った子と遭遇してしまうかもしれないから。昔は人々の寿命が長くなかったから50年に一度くらいだったんだけど。君は6回目だったよ。

Q2.なぜ落田集落なのか。
産まれた場所だから。肉を食べるまでは住んでいたし、愛着がある。

Q3.そもそもなぜ降りてくるのか。
さすがに暇すぎるから。あと、ここの子供はかわいい。

「ん?待てよ。」
質問攻めをするうちに、また一つ疑問が生まれた。
「なんで今降りてきているんだ?俺が君に会ってから、まだ40年ほどしか経っていないはずだぞ。」
「それは…」
口ごもり、俯く。震えた声が俺の耳に届いた。
「落田集落が無くなるっていうから、最後に目に焼き付けておこうと思って。」
そうなのだった。ここはもうじき廃村になる。高齢化の進行が深刻で、ほとんどの人はすでに出ていったか移住の準備を済ませている。駅すらなくなるらしい。
俺がそんなところに来た理由は、先日死んだ母の遺品を回収するためだ。肺がんだった。最期まで、この集落を気にかけていた。


持てる荷物をあらかた運び出して、荷造りを終えた。風鈴は一番下に詰めた。思ったよりも時間がかかってしまった。あまり遅くなると帰れなくなってしまう。田舎の電車は本数が少ない。
駅まで彼女と歩いた。どちらも何も話さなかった。人けのない路地は沈みかけるお天道様に照らされていた。
また、彼女と遊んだ日々を思い出した。あの夏。いろんなことをした。一緒に海に飛び込んだし、アイスも食べたし、砂場で城を作ったし、鬼ごっこもしたし。突然現れて、突然消えていった。それ以降、またおねえちゃんと遊びたいと思い続けた。再会が、村が消えるときだなんて、そんなひどいことはない。
駅前にコオロギの鳴き声が響き渡る。彼女は立ち止まったが、俺は進んだ。振り返る。
「じゃあ、さよなら。」
コオロギに負けないように声を出す。彼女はこくりと頷き、
「わたしと、落田集落を、忘れないでください。」
顔が赤く照らされている。瞳が光る。コンクリートが湿る。彼女に歩み寄り、ハンカチを差し出した。
「忘れない。絶対に。」
彼女がハンカチを受け取ると、俺は裾を翻してホームに踏み入った。足が重かった。イチョウの山は、風に飛ばされ消えてなくなっていた。


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