お
終わりだ。何もかも。
私に照らされている、私が進みたい未来は真っ暗闇で称賛されるようなものではない地獄である。また、それに背いて進む真っ当な未来は、私の理想でもなんでもない輝かしくもないつまらなくて、それでいてまともな、人口的な明かりで照らされたような薄暗い未来である。
どのみち終わりではないか。
夢を見るには遅すぎる。ここにいるべきではなかったと気付くにはゴールが近すぎる。かと言って、ゴールまで簡単だというわけではない。私は未熟者なのだから、残りを悠々とゴール出来る人間はいるだろうがそのように出来てはいない。ふざけるな。
簡単な人生が良かった。能力がないのだから、人生の選択肢はeasyであるべきではないのか。せめて不器用ならはそれなりに図太く、器用ならばそれなりに繊細にあるべきではないのか。なぜ不器用で繊細でいなくてはいけないのか。別に、繊細に生きたくなどない。自分が気付かないようなストレスなど必要がない。どうして、このようにしたのか。不当だ。これ以上はあまりにも不毛だ。
簡単な夢を持つべきだった。いや、あまりにも叶えるには簡単だ。恐らく、私の想定した夢には努力はいらない。そのように低く見積もっているから、努力はいらないだろう。ただ、そのように低く見積もっている結果、その夢を叶えるには現状から捨てるものが多すぎる。しかも、その捨てるものは自分のみで培ったものではなく、人から与えてもらったものばかりである。そんな、そんな薄情な話があるか。未熟な人間のためにこれでもかと与えてもらった恩恵を未熟な人間の考えた底の近い願望のために手放す。そんな、人の心のない生産性のない行動をしていいような徳のある人間ではない。そんな人間に産まれられていない。
初めから薄情な人間であるべきだった。
不良が犬を助けるように、優等生が報われないように、目標に対して行動には結果で評価が決まるものではない。
底で生きることを良しとして、底で生きていることを周知させてしまえば、真っ当に生きようとしていなければ。いや、それでは苦しかないだろうか。私には今でさえ何もかも足りない。もっと失えば、今よりも苦しいのかもしれない。
真っ当に生きようとしている時点で真っ当ではない。真っ当にすら生きれていない。そんな人間が底でのびのびしたところで、這い上がることは不可能だろう。ああ、じゃあ今が及第点か。
こんなものが?
毎日、毎日意味もなく泣いている思春期が?特に涙も出なくなりただただ憎を吐き散らすようになった成人が?誰かの助けがないと生きれないくせに、その誰かに対してストレスを感じる人生が?真っ当?及第点?ふざけるな、ふざけるなよ。最後に今日はいい日だったと思って寝たのはいつだ。最後に今日はいい日だと目を覚したのはいつだ。人の目を気にせずに生きたのはいつだ。何にも焦らずに生きたのはいつだ。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。
あんまりだ。終わりじゃないか。これからの人生なんて、何が、何に。
どうしたって救われない。
ただの肉塊だ。人に不利益を被る塊だ。関わったところで夢も希望も与えない。
いや、見せかけの利益ぐらいは与えられるか。喋る相手の価値観を探って、さも共感しているかのように、同じ価値観のように喋る。利益だろうか。なんてハリボテの利益。素晴らしい能力か。無様。
ベラベラと御託を並べて、干渉に浸れば浸るほどしっかりと涙が出るなんてあまりにも人間らしい。最悪だ。はやくころしてくれ。おわらしてくれ。