お茶を好きになった理由
食事の終わりに私は毎日お茶を入れる。
地元が地元なので、よく入れるのは「深蒸し茶」
それでも気分によって、川根茶、天龍茶の浅蒸しの煎茶や京番茶、阿波番茶などの番茶、鹿児島の知覧茶、玉緑茶。
品種別で、あさつゆ、べにふうき、サンルージュ、ツユヒカリ等々いろんなお茶を飲む。
とにかくお茶が好きで、次には急須の収集にハマりそうで怖い。
↑真夏の茶園
地元が茶所なのもあるが、私がここまでお茶を好きになったのは、北海道の大学に進学したことが一番大きいです。
北海道は、茶の栽培の北限を超えた大地で(植樹の北限は北海道の古平町)お茶の生産は全く行われていません。それでも自然や野生動物に興味があった私は、雪国への憧れもあり、北海道の大学に進学をしました。
北海道に来てまず驚いたのは、飲食店に入った時に出て来たお茶がほうじ茶だったこと。地元でお茶といえば緑茶だったため、お茶と言って出てくるほうじ茶がまず衝撃でした。
当時、北海道の大学には学生寮があって、北海道の賃貸事情や土地柄もわからない私は寮に入りることにしました。寮には全国からの学生が一緒に共同生活をしていて、学科などは違っても同じ寮生同士で仲良くあることも多かったです。
仲良くなった同学年の寮生で北海道出身のA君という子がいました。私はその時、地元で飲んでいた緑茶がないのが寂しくて、祖父(茶農家)が作るお茶を実家からよく送ってもらっていました。
お茶は1回に使う量が3gなので100gあれば1ヶ月以上は飲むことができました。
そのため、私はA君に祖父のお茶をお裾分けであげることにしました。
数日後、A君が私の元に駆け寄って来て
「お茶がめちゃくちゃうまい。あんなに美味しいお茶は飲んだことがない」
とお茶を大絶賛してくれたのです。
私は普段飲んでいたお茶で、特に美味しいともまずいとも思っていなかったのですが、A君に言われことによって、私はすごく嬉しい気持ちになりました。
お茶は私にとって身の回りにあって、まるで空気のように接して来た存在です。
小学校の通学路の両脇は茶畑だったし、祖父の茶工場にちょっとした遊び場でした。祖父のお茶、地元のお茶が褒められたことは、自分のアイデンティティが褒められたような気がして、それは泣きたくなるぐらい嬉しい一言でした。
私はその言葉をきっかけに地元のお茶が大好きになりました。
そんな私の大好きなお茶は、お茶は年々生産量・消費量ともに減少しています。特にリーフのお茶は深刻な状況です。
家族構造の変化で急須のない家庭が増え、経済の高速化によって淹れるのに手間のかかるお茶敬遠されてしまがち。消費はペットボトルのお茶に集中して、お茶屋ではお茶が売れないのが現状です。
それでもお茶は相手をもてなし、気遣う心を淹れる大切な飲み物です。
忙しい毎日の中で一瞬でも心を休める時間としてお茶を入れてみるのはいかがでしょうか?
お茶はいつでもあなたが手にとって、見つけてもらえる日を待っています。
↑家の茶器たち。それぞれの特徴があり、高くはないですが優秀です。