書きたくないこと。~コロナウイルスから見える多様性の拒否~

特別栽培の特蒸に近い、深蒸し茶を飲みながら書いてます。

ずっーーーともやもやしていて、無視していればいい感情なんだなと思うのですが、色んな気持ちが積もってしまい、文書にしました。

お茶の話とは遠退くのですが、失礼します。

また不快になられる方がいましたら申し訳ございません。

コロナウイルスが日本で拡大をはじめて、3週間が経ちます。

私たちの自粛により飲食、エンタメ、旅行に関わる職種の負担は大きく、とても苦しい状況にあります。

その中で私が納得いかないことは、人に接する対する態度です。

人が動けば感染も広まる。そのために自粛して、行動するのは個人の自由です。

様々な業種で厳しい状態になりますが、そこは咎めることは出来ません。私だって恐くて、行くのを躊躇うこともあります。

ですが、この厳しい状況の中で働く人、活動を続ける人、営業を続ける店舗等に対しての暴言や誹謗中傷、妨害等の行為はあってはならないものです。

BtoCと言われる、お客さんの直にやり取りしなければいけない業種、売りたいけど物がたりない業種、活動を続けることによって成り立っている業種等、それぞれが世間の持つ要望に応えたいと思いながらもどうしても、全部に応えられ出来ない部分があります。

その部分を理解する、理解できなくても認める、想像する思考があれば、言動は変わります。

もし、その業種のことを知らなければ調べてみて欲しいです。わからないことは恐怖ですが、どれだけその業種の人々が苦心しているか、どれだけ感染拡大防止に心を払われているかがわかるはずです。


今はグローバル化の時代と言われて久しくありません。グローバル化とはただ物が海外に出て、海外のものが入ってくるだけのことではないと私は思います。

様々な文化、風習、宗教、考えを持つ人々のことを知り、理解し、認め、共に生きる道を見つけていくことだと思います。

他国の文化を理解しようとしている時に、同じ思いを持っている隣人さえ認めることが出来ないのは、視野が狭いだけでは済まされない大きな問題だと思います。

全てを理解しなくても、そういう状況の人々もいることを認め、違いを知ること。

仲良くなり、守る立場になる必要はないですが、一方的に攻撃をしないこと、静観し、気持ちを抑えることを学ぶべきではないかと今回の状況を見て思いました。


日本に暮らしている多くの人がもつ、空気を読むという、超能力。その能力を相手を慮ることに使ってもいいんじゃないかなと私は思っています。


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