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【自分語り日記】チームか個人か、頼るか頼らないかで悩んだ話
今回はマンガが大好きで貯蔵量が70,000冊を越えても収集活動に勤しむ僕が、マンガやnoteで出会った記事、過去に言われてきた言葉の中で、『個人プレーで周囲に頼らないことはダメなのかとモヤモヤしたことが解決した話』を記したいと思います。
細かな経歴はプロフィール記事を見ていただけると幸いです。
強みと思っていた特性って実は弱み?
僕は現在、民間企業メーカーの人事で採用や研修の仕事を担当しています。
先日、毎年恒例となっている新卒採用のイベントで学生さんからとある質問がありました。
御社では個人で活躍する人とチームで活躍する人のどちらが求められますか?また採用合否や企業スタンスとは別に、あじゅまるさん個人ではどのように考えられますか?
企業スタンスでいうならばチームで成果を上げられることが求められますが、個人プレーで活躍している人がいることも事実ですし、専門職やスペシャリストという区分がない中で個人プレーが評価されている部分もあります。
そして僕自身は個人プレーが強い部類であり、そもそも学生時代から基本的に個人プレーしかしてこなかったこともあって、チームプレーが大事であることもわかるのですが、チームで何かを成すって感覚は未だに模索中です。
なのでこの質問が飛んできたとき、答えるのに一瞬戸惑ってしまった自分もいて、後から振り返っても何とも難しい質問だと思いました。
たしかにチームで行うメリットはたくさんあって、代表的なものでいうなら「自分以外のアイデアが加わることでより価値を生むこと」や「自分以外の人のパワーが加わることで作業スピードが上がること」ではないでしょうか。
でも、それがわかっていても「人に頼りたくない!なんなら自分の力を目の前のものに出し切って勝負したい!」と、僕は思ってしまうんです…。
しかも僕はこれまでの学生時代の出来事だけでなく社会人になってからもリーダーシップを発揮する中で、リーダーにも支えて見守るタイプや論理的で合理的に進めるタイプ、熱量と勢いでグイグイ引っ張るタイプなどいくつか分類されるタイプがありますが、完全に勢いで引っ張るタイプで認められてきました。
そんなリーダーシップは僕の強みであると自覚していますし、その強みを発揮することを上司が望んでいると思っていました。
ちなみに以下の内容は、会社や同僚批の判ではなく、僕の視野が狭かったことによる思考になることをご理解ください(汗)。(会社の方が見ているかもしれないので…。)
数ヶ月前の出来事になりますが、僕はとある企画で重要なキャッチコピーを考える仕事をチームとしてもらい、チームメンバー全員で話し合うことになりました。
しかし意見交換・案出しの段階からメンバーから意見がほぼ出ず、僕が意見を言うとそれがいいのでは?という反応になり、もっと深掘りしたアイデアやさらに良くするアイデアが出てきませんでした。
このようなアイデア案を出す打ち合わせでは、僕が入社してしてからずっと変わらない風土というか、そのような環境になっているのですが、僕以外のメンバーはアイデア出しや自分の意見を深く考えることがあまり得意でなく、苦手意識があるため僕任せにする傾向があります。
そしてその状況を上司に相談すると、メンバーたちの意識は昔からそうなっているから、君に入社してもらった理由の1つは、そこを君が自分で決めて推し進めていってほしいとのことでした。
メンバー育成の視点では、自分の意見をだけを通していくやり方は良くないなと思いつつも、自分でやった方が早いし、自分の思考をメンバーに見せることでメンバー達もこういう思考が必要なんだと考えるようになってもらえればいいかという、淡い期待という名の言い訳を持って、ついつい自分1人でやってしまいます。
またメンバーも僕の意見に「それでいいと思います」と合わせるだけなので、こうして決まった内容がチームとしての回答となっていました。
今回のキャッチコピーもこのパターンで進めた案件となりましたが、僕は約1ヶ月かけて練りに練った3つの案と中でも1番押している案を上司へプレゼンしてOKをもらい、満を持して最終決定権を持っている役員へプレゼンしたところ撃沈しました…。
これはチームの誰が考えたんですか?
この案はどうやって決めたんですか?(多数決)
アイデアやキャッチコピーって想いが重要じゃないんですか?
あなた個人の想いしか入ってないのではないですか?
メンバーにちゃんと意見をもらってますか?
この案を見てメンバーは何と言っていますか?
…あと10個ぐらいチームについて言われた気がしますが覚えていません。(いや、記憶から消したのかもしれません)
そして役員からの最後の一言は、『そんな決め方でいいと思ったんですか?それでいいと思ったんならガッカリです。』でした…。
上司はOKを出したのに庇ってくれず黙ってるし、メンバーはいつも通り発言はなく黙ってるし、僕は挽回しようと頭をフル回転させていろいろ口走ってるし…、あれ?僕の強みと思っていたリーダーシップはガッカリされるレベルの弱みってこと?といろいろ突っ込まれた僕は、この出来事があってから約2週間ほどモヤモヤしながら考えを巡らせていました。
チームプレーとは何か?
個人プレーとは何か?
リーダーとしてのまとめ方とは?
自分がされてムカついた指示は?
自分がされて嫌だった上司の対応は?
そして僕なりに自分が持っている特性を改めて自覚し、周囲を萎縮させてしまう環境や勝手に決めつけたメンバーへの諦め、そこで自分がなんとかするんだとい気持ちはさらに悪循環を生むのだと悟ったとき、モチベーションが全く上がらなくなりました。
自己分析でわかった絶望な特性
社会人となって10年が経ち、何度も見てきた光景の1つに『上司が部下の仕事に口を出すと現場が混乱する』というものがあります。
たしかに指示は正しい場合もありますが、「正しい・間違ってる」ではなく「強い・弱い」という場合が混乱を招いているように感じます。
そして僕自身の傾向は指示が強く、そうすると僕が注意の感覚で言ったことでも、ちょっと注意された人は怒られたように感じるし、怒られた人は人格を否定されたと考えます。
普通に上司の言っていることが間違ってる場合もありますが、間違いは否定しづらいです。そして、間違ってなくても強く言ってくる場合も反論しづらいです。
僕は自分が思っているよりもはるかに自分の言い方が強く、メンバーにとっては影響力が大きいのだと気づきました。
僕がいるチームはチームが発足してからまだ5年程度で、熟練の経験者がいないこともあり、体制が整うまでは基本に忠実に行くべきなのかもしれません。
しかし僕に与えられたミッションは改革で、良い言い方をすれば「それまでの常識を覆すこと」ですが、悪い言い方をすれば「破壊」であり、基本的に僕の性能は壊すことです。
破壊を社内に向けたら、せっかくできている企画案やシステムに対して『それでいいのか?』と、常に何かを考えさせることを言ってしまう。
これが僕の持ってる破壊力…。
あらゆる価値観を否定して破壊するから、あらゆることを俯瞰するために1度引いて見ることを考えてしまうから、せっかくまとまってきた考えをぐらつかせてしまいます。
ロジカルシンキング(論理的思考)やクリティカルシンキング(批判的思考)は、世界や社会レベルで見ると役に立つことかもしれませんが、もしプライベートで家族や友人に使われたらとてもしんどいです。
仕事であってもチームという狭いコミュニティの中で使われてもしんどいですし、これがワンマンな人間と一緒に居にくい本質的な理由なのではないかと思いました。
せっかく良好になりつつある関係や上手くまとまりつつあるものが壊される経験をしてきている人の目線だと、「言ってることは正しいけど、今は壊さないでください!」って普通思うんじゃないでしょうか。
強みや個性と言われてきた熱量も膨大な影響力を含んでいると、その熱量が強い人に近づけば近づくほど、場に歪みが発生します。
僕が学生時代や社会人で出会ってきた何か強烈な個性や自我、やりがいなどの信念を強く持っている人は、必ずその場を歪ませていました。
自己分析をする上でこの力を「現実歪曲能力」という解釈で考えました(そんな正式名称はないかもしれない)が、この力には価値観を歪曲させる毒性が含まれます。
熱量が強く毒性が高い力であるからこそ、それに耐えられるメンタルを持っている人や同じような熱力を持ったタイプの人しかそういう人とは渡り合えないのではないかと思います。
なぜなら普通は「仕事をしている=こんな自分でもここに居ていいだ、自分には他に賛同してくれる仲間がいるんだ」という、安心安全が確保される心の防護服を着ているから。
そして心の防護服を着ていない中途半端な決心をしていたり、何となくのフワッとしている心をしていると、何か言い合いになったときにペチャンコにされます。
僕は過去を振り返り、自己分析をすればするほど『破壊力が強いし、毒性は高いし、心の防護服すら貫通する最悪の兵器』なんじゃないかと思いました。
僕は間違いなく歪んでいます。
でも嘘は言っていないんです…。
間違ってるかもしれないけど、自分の本心で本気で想ったことを言っているから、この厄介さがあるのだと思うんです。
今まで出会ってきて人の中で、先ほど場を歪ますと言った人たちもみんな「本気」でしたし、「本気」の人ほど厄介なものはないと思います。
自分はそんな特性を持っている、なかなか困った人間なんだと思いました。
どこかで聞いた言葉で、「人間は自分の過大評価と他者の過小評価で精神的バランスを保つ本能がある」というものがあります。
簡単に訳すと自分にはめっぽう甘く、他者にはめっぽう厳しいということで、その性質もガッツリ発揮してるんだろうなと、よりモヤモヤするというか悩みが深くなりました。
残すということ・託すということ
話は変わって、2ヶ月ほど前に「管理職研修」の企画を任され、まずは情報収集だとおもい、定年間近で普段から気軽に相談させてもらっている方に『定年までの抱負はありますか?』と伺ってみました。
するとその方は全く考える間もなく、即答でこう語りました。
自分が培ってきたものをどう残すか、何を残すか、どう伝えるのか、伝える人がいないのであればどうしたいのか。これらを常に考えて、全力でやりきるだけですよ。
深い…。
そしてこの言葉を聞いたとき、先日たまたまアニメで見た言葉を思い出し、原作のマンガを引っ張り出して読み直しました。
その作品は『チ。ー地球の運動についてー』という天動説が当たり前で、地動説を唱えるだけで処刑された時代の物語です。
地動説が禁忌を犯す行為であるがために、その想いを紡ぐ中で出てきた言葉にこんな言葉があります。
君の言うように、この世は喪失で溢れている。それに、人はいつか死んでここを去る。でも、私が死んでもこの世界は続く。だったらそこに何かを託せる。それが喪失まみれのこの世界から生まれたある種の、希望だ。
人は先人の発見を引き継ぐ。それも、いつの間にか勝手に自然に。だから今を生きる人には過去のすべてが含まれてる。
何を残せるか…、そして託すことに自分の存在価値があるんじゃないか…?と考えを膨らませていたときに、学生時代の部活の記憶がよみがえり、1つの言葉が思い出されました。
学生時代は陸上競技に明け暮れ、強化合宿に参加していたときに、他校の先生が言っていた『本当の一流スポーツ選手とは、自分のやってきたことをきっちり別の誰かに渡せる手段を持っている人だ!』という言葉です。
時代的にどれくらいの昔かはわかりませんが、「自分の技術は教えない」という文化が日本には強くあったのではないかと思います。
それは自分のポジションを奪われたくないという心理からくるものが、そうやって自分のことばかり考えていると、その業界は全く前に進みません。
これはスポーツに限らず、職人気質で伝統を重んじる分野や産業などでも同じことかもしれません。
「背中を見て技を盗む」なんてことを今の時代でも新人教育の中で言われることがありますが、知識や技術を共有しないんですよね。見て学べ…と。
でもその業界全体が発展していくためには、組織として、団体として、情報共有することが必要だと思います。
自分が重ねた経験は、次の世代につないでこそ意味を成すのではないかと思うんです。
また次の世代を考えるのであれば、採用担当目線にはなりますが、人手不足はずっと続くし、魅力がないと人は入ってこない現状を考えると、入ってきた人に何を残したいのか、それが残ると何が楽しいのか、どう成長を感じられるのかを伝えることが大切です。
そして伝えるときには、ものすごい熱量で否定したり、心の防護服をぶち壊さない伝え方をしないといけないなと感じました。
まとめ・紡ぐということ
僕はこの記事を書いていて、『伝え方の難しさ』と一緒に『頼ることの難しさ』も感じていました。
他者に頼ることが苦手な僕ですが、まるさんという方の「素直な心で助けを求める勇気」という記事を読んで、気持ちが少し落ち着きました。
この記事を読んで僕自身が変えないといけない行動は「まずは強い指示ではなく、頼りたいという想いを率直に伝えること」であり、新たな価値観や新たな出会いも大切にする中で、もっと身近なところにも目を向けて自分を出していこうと思えました。
また頼ることに一歩踏み出せないときに、前職で店長に言われた言葉も思い出しました。
お前は本当に青いな…。自分ひとりでできることが1人前だと思っているところが惜しいと感じてしまう。何をやるにも道具や材料は必要だし、困ったときには誰かに頼ってるんだよ。自分ひとりでできることは大人になっても、実際は子どもの頃とあまり変わらないんだよ。自分ひとりの力でやった気になっているだけ…。素直に力を借りて、素直に感謝すればいい。1人で暮らしていても独りで生きようとしなくていいんだぞ。
まるさんの記事を読んで、店長の言葉を思い出して、僕は頼ることや伝えることは何かを残していくことであり、それらは託すということにもつながっている…、とも思えました。
そしていろんな出来事や思い出、出会った言葉が頭の中をめぐり、巡りめぐってなぜか高校時代の歴史の先生が言っていた言葉に行き着きました。
歴史の史は史料の史であり、人が紡いできたものを歴史と読んでいるんです。君たちが紡ぐものも、小さな歴史の1ページ・1行になっていくことを忘れないでくださいね。
この言葉に行き着いたとき、上司の頼りなさやメンバーの力不足と考えていた他責思考は、僕自身に問題があってまだまだ自分から変えにいける余地があるし、なんなら僕は彼らに残したいこと、託したいことがもっとあるのに、目を向けた先やその方法が違っていたのだと気づきました。
社会に出ると、学生時代の頃よりも辛いことや嫌なことが多く、本当に塞ぎ込んでしまうような出来事も起こりますが、僕は仕事柄で後悔しないように全力で取り組んでみることをオススメしている立場です。
だからこそ一歩を踏み出すために勇気をもらえる言葉を大切にしていきたいです。
僕はストーリーのある内容の本を読むことが好きで、それは「いろんな人の気持ちになれるから」という部分があります。それは小説やドラマや映画、アニメなどもそうなのかもしれませんが僕はマンガでした。
そして名言・自分に刺さる言葉を集めることを始め、いまでは70,000冊を所有するほどマンガに熱中し、そしてこの経験を踏まえて、マンガやその作品の中にある名言で誰かが救われる可能性があるならnoteに残して伝えたいと思ってブログを始めました。
あまり興味を持ちづらい内容だったかもしれませんが、自分の気持ちを整理するための日記であることも含めて、この記事を残したいと思います。
それでは今回はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!