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現実と幻想のシルクロード

 今、世界の耳目を集めている新疆ウイグル自治区。シルクロードのちょうど中間にあたり、東と西の民族、そしてイスラムと忘れられた仏教の面影が混じり合い、独特な雰囲気を作り出している土地だ。

 1986年に初めて訪れた時、そこはまだ荷馬車が街道を行き交い、昔ながらのバザールで賑わう幻想そのもののような土地だった。

 そのときは、現地の資料も限られ、NHKのシルクロードシリーズと、当時から数えて80年前の大谷探検隊の旅行記くらいがまともな資料だった。

 現地に行って驚いたのは、大谷探検隊の記録がそのまま現出したような光景がそこにあったことだ。天山南路、北路、西域南道、そしてカラコルムハイウェイを中国パキスタン国境のクンジュラブ峠まで……自然はもちろん、そこに点在するオアシスの営みも、まさに大谷探検隊の描写のままだった。

 当時は、チェルノブイリの年で、あの事故から3ヶ月ほどしか経っておらず、とくに天山北路のソ連国境のイリなどの町はウクライナにも近く、汚染が酷いという噂が流れていた。

 新疆シルクロードといえば、その中心を成すタクラマカン砂漠の中心に、中国の核開発における中心的な実験場である桜蘭実験場があり、その周辺の核汚染の深刻さも肌で感じさせられた。

 その後、97年、2007年と、同じようなルートを辿った。

 97年には、タリム油田の開発が進み、漢族の姿が目立つようになっていた。

 2007年には、イスラエルの技術協力で開通したタクラマカン縦断ハイウェイを通り、タクラマカン砂漠のど真ん中を突っ切って、天山南路から西域南道へと一気に抜けた。

 このときは、東トルキスタン独立運動のテロが激しくなっていて、砂漠を渡るコンボイは、神経質な雰囲気に包まれていた。

 その後、新疆ウイグル自治区は、報道されているように中共政府の激しい弾圧に晒されている。一方、そんな中で独立運動側も抵抗を続けていると聞く。

 幻想から抜け出したようなあの土地が、生々しい現代政治の舞台とされ、様々なものが失われていくことが残念でならない。

 86年の旅から戻った後、民主化に向かうように見えた中国に期待し、日本から中国を横断し、パキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコと経由してローマへと、シルクロードの端から端まで、もうすぐ旅ができると期待していたところで起こった天安門事件。

 そして、その後の反動的な世界の情勢は、昔よりもさらにシルクロードを遠いものにしてしまった。

 願わくば、あの幻想的な中央アジアに再び平和と独立が訪れて、極東とヨーロッパを結ぶ1000年前の旅のルートが復活しますように……。

(2021.2.28)

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