クララとお日さま
『日の名残り』では人生の黄昏をしみじみと描き、『私を離さないで』では、人類の黄昏ともいうべきものを滲ませ、そしてこの作品では、人生と人類と文明の黄昏を黄昏の向こうに昇華させ……。
初めから終わりまで、様々な感情がさざ波のように打ち寄せる時間を味わわせてくれる。さざ波と言っても、一方向からではなく、様々な方向から複雑に重なり合って打ち寄せてくる波を。
終盤に向かっていく中で、スティーブン・キングのとある作品を想像したが、カズオ・イシグロは、キングのようなストレートではなく、東洋人らしい独特の機微を感じさせる深いものだった。
松岡正剛は『フラジャイル』で、か弱いものやかそけきものの中にこそ、普遍性が潜んでいて、それこそがじつはいちばん強いものなのだと語るが、カズオ・イシグロの作品は、静かにそして奥深くまで魂を震わせる、フラジャイルの<強さ>と浸透力に満ちている。
ネタバレになるので、多くを語るつもりはないが、強く感じさせられたのは、カズオ・イシグロのシンギュラリティのイメージだった。
シンギュラリティは、一般的にいえば、機械が心を持つことだけれど、それは、もしかすると人間が心を失うことではないか……と。
まるで行動主義心理学の亡霊であるオペラント条件付けの見本のような空虚な言説が巷に溢れ、自ら考えることをやめてしまったかのような群衆が、SNS界隈で喧騒を繰り広げる現代、人が心を失うシンギュラリティは、すでに到来してしまったのかもしれない。
(2021.4.5)