聖地学講座第278回「『生態知』という考え方…南方熊楠を例に」
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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.278
2024年1月18日号
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◆今回の内容
○「生態知」という考え方…南方熊楠を例に
・南方熊楠という人
・熊楠の生態知
・南方マンダラと現代の叡智
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「生態知」という考え方…南方熊楠を例に
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前回も能登のことに少し触れましたが、拙著の取材以外でも、昔から能登には縁があり、能登半島の寺社や聖地を何度も訪ねてきました。その多くが倒壊し、無惨な形になっているのを知り、あらためて今回の地震が人間の歴史を越える地質年代的なイベントだったんだなと感じさせられています。
なにしろ数百年はおろか千年以上もそこに存在して、幾多の地震にも耐えてきた建造物が、今回の地震ではいとも簡単に倒壊してしまったのですから。
犠牲者の方々のご冥福と現地の復興をただただ祈るばかりですが、あらためて地球の歴史の中で、人類として実際に体験した自然の力というものはたかが知れていることを肝に銘じ、だからこそ、謙虚に自然と調和する生き方を模索していかなければならないと思います。
日本列島は、別名「花綵列島(かさいれっとう)」とも呼ばれます。これは、ドイツの地理学者オスカー・ペシェルによる言葉で、花を結んで作った綱のようにきれいに弧状に連なる列島という意味です。亜寒帯から亜熱帯までの気候帯に並ぶ列島には四季があり、自然も多彩で奇跡のような美しさが地域ごとに展開していきます。単調な自然を見慣れたペシェルには、まさに「花綵」に見えたのでしょう。
一方、そうした美しく変化に富んだ列島が成り立ったのは、プレート境界という地殻活動の非常に激しい地域であったがゆえであり、美しさと引き換えに、激しい地震や火山噴火にしばしば見舞われてきました。
この日本列島で生きてきた先人たちは、縄文の昔から、多彩で多様で様々な恵みをもたらしてくれる自然に神性を感じ、これを祀ってきました。だからこそ「八百万の神」というように、無数の神々が生み出されたわけです。
一方、火山噴火や揺れる大地や台風が鎮まることを祈って、これらを荒ぶる神として祀ってきました。家を新築したり、土地開発の大きなプロジェクトに取り掛かる際に最初に行われる地鎮祭は、まさに大地を揺るがす荒ぶる神が目を覚まさないように願うものです。
さらに、列島であるがゆえに、様々な人たちが海から渡来し、そうした人たちそのものを神と崇めたり、渡来民の信仰する神を自分たちも取り入れたりもしてきました。
今回、もっとも大きな被害を受けた奥能登では、「アエノコト」という行事が伝えられてきました。旧暦11月15日と正月5日に行われるもので、そこでは主人が田の神を家の中に招じ入れて歓待します。
ところが、田の神の姿はありません。ただ主人が肩衣に威儀をただして、そこを田の神が動いていくようにゆっくりと誘導するフリをして、上座(神坐)へといざないます。そこには座布団に米俵を載せた依坐(よりまし)があって、そこに降臨した田の神にごちそうを振る舞うのです。
こうした、正体が見えず、どこからやってきたのかもわからない神を依代や依坐に迎える行事は、日本中にたくさんあります。そもそも日本神話に登場する神々の多くも、東アジアの各地に伝わる神話伝承から敷衍されたものがほとんどで渡来の神といえます。
この文章を書いている今は1月17日ですが、今日は阪神・淡路大震災が発生してから29年目で、現地では追悼の式典が行われています。この震災をきっかけに、日本は千年に一度の本格的な地震活動期に入ったとされ、東日本大震災、熊本地震、そして今回の能登半島地震と巨大地震災害が続き、またこれ以外にも大きな地震が各地で頻発しています。
私は阪神・淡路大震災のときに35歳でしたが、それまでの30年あまりとその後の30年あまりを回想すると、前の30年間には大災害の記憶はほとんどなく、後の30年は大災害ばかりが記憶に鮮明です。私個人の人生でも、そのようにはっきりと分かれて感じられるのですから、歴史的にも今は重大な時期に入っているということが痛感されます。
今後、大地震の時代以前の30年のように生きていてはいられないし、文字通り大地は安定して経済成長を謳歌していた時代を幻想のように追い求める社会のままでは、その社会自体も崩壊してしまうでしょう。そうならないためには、どうすればいいのか。そんなことを新年を迎えてしばらく考えていました。
そして、思ったのは、自分たちが暮らすこの花綵列島の特質をよく理解して暮らしていた先人たちにに習い、花綵列島独特の自然からの教え、つまりは「生態知」を取り戻した暮らしと社会を築き直していく必要があるということでした。
●南方熊楠という人
生態知、それも日本という国に根ざした生態知を強く意識し、それを守ろうとした人間といえば、南方熊楠があげられます。
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