学力は遺伝するのか?
よく話題になるトピックですね。ハイ。これについて個人的な経験を元に持論を述べていきたいと思います。ここで、議論が拡散するのを避けるために、学力=テストで点数を取る力、とまず定義しておきます。いい論文をたくさん残す、とかではなく、与えられた問題を正確に時間内に解くことに焦点を当てています。
【持論】学力は遺伝ではない
予め断っておくと、これが僕の約30年間生きてきた上での結論です。
簡単に僕の経歴をおさらいすると、
公立小学校→(日能研)→私立中高一貫校(都内御三家)→東大→社会人→Ivy League校でのMBA取得中
というルートを歩んできています。これだけ見ると高学力サイドしかみていないのではないか、と言われそうですが、学生時代塾講師、家庭教師をやっていた経験から、勉強に苦労する子もたくさん見てきました。なので経験ベースではあるものの、できるだけバイアスをかけずに分析しているつもりです。
学力=処理速度×記憶力
学力の先天性について議論する前に、学力がどんな要素で成り立っているのか考えてみましょう。
まず第一項は処理速度です。
これはパソコンで言えばCPUに相当する部分です。これを計測する一番わかり易い方法は百ます計算でしょう。処理速度の速さは数学の単純計算の速度だけではなく、国語のリード分の読解の速さなどにも影響してきます。四則演算の速度、精度から国語の論理性を問う正誤問題まで、物事のつながり(故に、なぜならば、部分集合、補集合等)を論理的に解きほぐして正解に至る力と言っても良いでしょう。処理速度の速さが学力に占める割合はとても高く、実際私が日能研にいたときは、なんどか「計算コンテスト」のようなものに取り組みました。思考力はいらない、純粋に面倒くさい四則演算をゴリゴリに解いていく、というものです。この順位と社会科、国語なども合算した他のテストの総合順位にはとても高い相関がありました。センター試験や東大の二次試験、はてはMBAの受験に使うGMATやTOEFLまで、テストは手法さえ覚えていて、時間が無限にあれば解ける(解答を見れば理解できるということ)ものの、制限時間があることから受験生間に差がつくようにできています。高学力の人が一般的に話調が速いのは高い処理速度によるものだと思います。
つづいて第二項は記憶力です。
これはパソコンで言えばHDD、SDDに相当する部分です。社会科や漢字テスト、センター試験英語のアクセント問題などで活用される類の学力といえばわかりやすいでしょうか。こちらに関しては説明不要でしょう。
上記二項が単独で問われることは、高い学力が求められればられるほど、なくなってくるように感じます。
算数=演算速度至上主義のCPUのスコアのようなものと思われがちですが、上位校ほど単純な計算問題ではなく、他校や過去問で出題された、いわゆる大学への数学に載っているような定番問題をちょっといじったもの(初見では無理)が多く出題されます。僕を含めて数学センスが無いと嘆く人は多くいますが、国立文系レベルの問題であれば所詮は暗記問題+α、つまりどれだけの問題を解いて解法を覚えたかが勝負どころであり、結局はツールの組み合わせ方(e.g. 不等式であれば相加相乗平均の関係、コーシー・シュワルツの不等式など)を弄っているだけだと思います。出題者サイドからみても、回答者の理解をうまく試せる良問はだいたい刈りつくされていて、クリエィティブな、誰も見たようなことのない問題を出題するのは困難ですし、仮に出題されたとしても受験生はそれを解けなくても受かります。みんなできないので。解法を覚えれば解ける問題への正答率をコツコツ上げることが正攻法です。
一方記憶力勝負と思われがちな世界史でも、記述式の国立二次試験は地域と年代を縦横無尽に跨ぎ、限られた時間の中で採点ポイントに合致するように単語を論理的に組み合わせる必要があります。実際東大の世界史の第一問は数百文字の論述であり、そこでは対立関係、因果関係について採点者にわかるように回答する必要があります。人物名や年号を単に暗記すればいい、というレベルではないのです。
処理速度と記憶力は先天的か
私はどちらも先天的ではないと考えています。具体的には処理速度については親による早期の教育投資による影響、他方記憶力については根性(笑)という後天的な要素に影響されるものだという考えです。特に教育投資については子供の自我が芽生えるかどうかくらいの幼児期の影響が大きく、親の収入が少ない30代前半から、極めてリターンが不透明な教育投資を判断するかどうかは、親の価値観に依る所が多いと感じます。また塾に入れるだけでは無論意味がなく、正解、不正解を家庭レベルで父母がフォローしてあげることも重要です。子供をたくさん教えてきた経験から言うと、処理速度のトレーニングは若ければ若いほど効果が大きく、小学校高学年くらいになると埋めがたい差がついていると感じます。中学受験の準備を始めて算数ができないと塾に放り込んでも時すでに遅し、という訳です。
※学力が遺伝しているかのように感じられるのは、学力のある父母は初期投資の重要性を理解したうえで子供に教育投資をした結果、子供の学力が向上したからだと思っています。然るに子供の努力だけではどうにもならない部分があり、脳の構造ではなく親の価値観、財力の点で生まれが重要、というのは100%同意です。
自分の場合、物心つくか否かの頃から公文式に通っていました。小学校三年生くらいの頃には中学生の分野に入っていましたし、なにより毎日1000本ノックのように計算練習をした記憶があります。今から思えば家事の合間に採点してくれた親には感謝しかありません。私が一族の中で東大合格は初であり、私の処理速度の速さが先天的なものだとは考えにくいです。
記憶力は先ほど根性、と述べました。私は処理速度よりかは記憶力で東大まで滑り込んだと自負しています。私は勉強に関してはしつこいのです。先に述べた処理速度のトレーニングと違い、こちらは小学校高学年からでも十分引き上げることができると考えています。手法と根気の問題だからです。私なりの記憶メソッドについて軽く触れておくと、インプットのみならずアウトプットも同等に行うというものです。ジャポニカ学習帳のいちめんに
「興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味 興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味 興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味、興味…」
と書くことにはあまり意味がなく、それよりかは赤い下敷きで解答を隠して、間違えたところだけまとめて練習したほうが効率的です。英単語や世界史の出来事名の記憶でも同じです。自分が何故か覚えられないことがらは決まっていますから、(なんかこれだけ覚えられないんだよなー、ってやつです)赤い下敷きとお友達になってそれらだけ集中的にやればいいのです。これは論述問題でも同じです。例えばドイツ領邦国家について説明しなさい、という問題について練習しようと思ったら、「金印勅書」「選帝侯」「大空位時代」「アウクスブルクの宗教和議」「貨幣発行/徴税権」「ウェストファリア条約」などのキーワードを赤文字で書いて下敷きで隠して、全部出せるまで練習すれば良いのです。結局全部覚えるまで電車の中などのスキマ時間などを使ってやりきるかどうかは根性の問題です。根性も先天的と言われそうですが、根性を鍛えることすら放棄するようなスタンスは採りたくありません。
まとめ
このエントリでは学力(与えられた問題を正確に時間内に解く能力)の二大要素である処理速度と記憶力は、決して遺伝ではなく前者は親の幼児期からの教育投資+フォロー、後者は根性の問題であると述べてきました。天才レベルだと遺伝もあるのかもしれませんが、努力で東大に入学することも十分可能ですし、僕の知っている友人の大半はじっくりとコツコツ努力するタイプの人たちでした。
無論学力があれば社会的に成功するなどとぶち上げるつもりはなく、コミュ力や作業メモリの広さなど学力には関係ないものの社会的に重要な要素は数多くあります。そのあたりに触れながらそのうち学力と会社でのパフォーマンスのズレに焦点を当ててみたいと思います。また、自分なりの記憶メソッドにも詳しく触れてみたいと思います(どちらも未定)。