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さんぽ 岩永いわなの「初出し」――「深夜の救世主」に登場する、気になるあの人たちについて編


「初出し」とは――


「どこにも話してないココだけの話」をコンセプトに、「初出し1テーマ」×「30分」で、狭く、深く、掘り下げるインタビューシリーズ。

インタビューを受けることで、取材対象者が「印税」を受け取ることができる仕組みへの挑戦。

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気づけば親父と同じことをしていた


――岩永さんのご著書「深夜の救世主」について、1本目に続いて2本目の「初出し」インタビュー30分、お願いします!

はい、お願いします。

――ここからはネタバレ強めになるのですが、個人的に気になるのがお父さんの存在です。僕も5歳の息子がいるので、お父さんの気持ちを考えてしまって感情移入するんですね。男手一つでがんばったのは父ちゃんだよなって。現状のご関係などぜひ教えてください。

お互いにそんなに連絡も取り合わないですし、ほどよい距離感ではありますね。

お互いバスケが好きなので、スラムダンクの映画や、エアジョーダンが誕生したときのNIKEの話を描いた映画「AIR」が公開されたりすると、やり取りをするぐらいなんですけど、昔はそれもなかったので。

喧嘩してるとか、そういうのじゃなくて、お互いに連絡しあう文化がなさすぎて、連絡してなかったんです。

ただ今回、父親のことを書いたりして、「どういう気持ちなんだろう」とか想像するじゃないですか。そうするともっと連絡しないとなという気持ちになって、ちょこちょこ連絡するようになったのはありますね。

――今もお父さんは長崎で、おばあちゃん、おじいちゃんと暮らしてるんですか?

長崎に住んでますが、おばあちゃんはもう死んでいて、おじいちゃんは老人ホームにいるんです。

本にも書きましたけど、親父はバスケの教え子と実家に住んでますね。

――え、今もですか⁉

今もだと思いますよ。凄いですよね。まじでびっくりしましたけどね。

僕が3年前ぐらいに実家に帰ったときに2階にその子が住んでるんですけど、1回も降りてこなかったですから。いるのはわかるんですよ、明らかに気配がしてるし。

だけど親父もなんの説明もしないし、なんだこの状況っていうのはありましたね。2階は俺の部屋なんですけどっていう(笑)。凄いな、なかなかないよなこんなことって思いながら。

――お父さんは困ってる人を放っておけない性格なんですね。

かもしれないですね。優しさだと思いますけどね。結構凄いことじゃないですか、これって。

当たり前のようにこういうことをしちゃうのは僕もちょっとそういう部分があったりするんですよ。

それこそ本に出てきたりょうちゃんは家がもともと清瀬という場所で、東京って新宿でライブが多いので異常に遠いんですね。だから後輩の家に転がりこんでずっと玄関で寝るという生活をしていたんです。ゴールデンレトリーバーみたいな感じで(笑)。

でも、関係が悪化しちゃいまして、僕は後輩とりょうちゃんの喧嘩が見てられなかったので、「りょうちゃん一緒に住もう」って言って、うちに引っ張り上げたんですよ。

――お父さんとやってること全く同じじゃないですか(笑)。

似たような感じですね(笑)。そういう変なことをすることに対してのハードルの低さはありますね。

ハードな子ども時代の環境を岩永少年はどう乗り越えたのか


――改めて、本を読むと岩永さんは子どもの頃、結構ハードな環境だったんじゃないかなと思ってしまうんですけど、そのあたりは振り返ってみてどうですか?

今考えると大変だったんじゃないかなと思いますね。

当時、コンビニで買い物をするのも贅沢みたいな感覚でしたし、本に出てくる次の日も食べていたカチカチの弁当とか、今考えたら本当にかわいそうやなって思いますね。

だけどそれがあったからこそ、今、多少きつくてもあの頃に比べてもましかーみたいなことを思えるので、今も貧乏ですけどあまり貧乏と感じてなくて。

そこは良かったですね。本当にきつい時期が最初のほうにあってよかったというのは思いますね。

――小学生の頃にお母さんと離れることになって、本の中ではその別れが結構サラッと書かれていますよね。毎日泣いていてもおかしくないなと思ってしまいました。

どうだったのかな。悲しんでいたとは思うんですけど。

でも、小学校の頃はその感情があまりなくて、中学高校になってきて、やたら泣いてたのは覚えてますね。自我が芽生えたということなのかな。

小学校の頃は平気だったんだと思いますよ。特に疑問にも思わなかったんでしょうけど、中学高校になるにつれより思春期で、精神的に不安定になったりするじゃないですか。

そういう部分と過去の体験みたいのがシンクロしちゃって、暗い気持ちになってたんだと思いますね。

小学生の頃は逆に何も考えてなかったと思います。中学生でより考えるようになっちゃって、そういう気持ちになることが多かったですね。

――引っ越されたときは、家におばあちゃんとおじいちゃん、近くにひいおばあちゃんがいましたけど、中学生で家族構成が変わったりも?

中学生になっても家族構成は変わってないですね。

親父もあまり家に帰ってきてなかったもんなぁ。おじいちゃん、おばあちゃんに育てられた感じですけど、ただ本当におばあちゃんは嫌いだったので。

本にもあるように「死んだ魚の目をしてる」って言われて。これ、太字で書いておいてください(笑)。なんでそんなことを言ったかはわからないですけど、僕のことが気に食わなかったんじゃないですか。

だから僕もずっと嫌いでしたよ。ずっと嫌いで、僕が高校生の頃に死んだんですよ。

最後まで嫌われたまま死んだんですよ。で、その頃にTBSラジオで「雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!」という番組があって、それが終わるとなったときに、それまで僕はハガキやネタメールを送ったことがなかったんですけど終わるんだったら送ってみようと思って、高校3年生の最後のほうにメールを送ったんですよ。

自分で携帯買って送って。そのときのラジオネームが、おばあちゃんの名前が「じゅんこ」というので、「じゅんこに嫌われて」という名前にしましたからね(笑)。

嫌いなままの気持ちでいるのってちょっとよくないなと思ったんですよ。だからなんかで昇華しようと思って、ラジオネームにしましたね。

――おばあちゃんにそんなひどいことを言われて、お母さんもいなくて、そのときの子どもの感情みたいなことが気になってしまうんですけど、心理学で蓋をして乗り越えるとかいうじゃないですか。その頃の心の拠り所ってどういうところだったんですかね。

あ、でもたぶんあんまり見ないようにしてたんじゃないですかね。本当にそうですね。

この頃はラジオとまだ出会ってなかったし。だから、心の拠り所はバスケットボールかなと思いますね。バスケをはじめて友達がいて。

あと、本当にテレビですね。砂嵐になるまで本当に毎日見てたので。砂嵐になって、あーあ楽しい時間が終わっちゃったと思って寝てという感じでしたね。だからそのときはテレビに逃げていたと思います。

――ひいおばあちゃんがまた凄いですよね。覇気の話ってどういうことですか? ゴミ屋敷みたいな話ですか?

ゴミ屋敷に住んでいて、生存確認の職員の人が月一で来るんですね。職員の人も確認できないぐらいのゴミ屋敷に住んでたっぽいんですよ。

で、うちにメシを食いに来てたと思うんですよね。自分じゃまかなえなくなったタイミングで来るんですよ。そのときに畳に座るじゃないですか。そうすると畳が真っ黒に変色するんです。

それで臭すぎて1階とかが使い物にならなくなるんです。匂いがきつすぎて。だから僕は2階だったんですけど2階にも来るから、なんとか匂いが来ないように扉を閉めまくっていたのを覚えてますね。

下手したらまだ生きてるんですよね。

――あ、ひいおばあちゃんがですか?

はい。3年ぐらい前に帰ったときは親父からまだ生きてると言われて。

まだ生きてんの、凄いな、生命力半端ないなと思いましたけど。今もまだ生きてんじゃないかな、下手したら。

まぁ身内という感覚もあまりなかったので。クレイジーな他人だと思ってたので。

「闇金ウシジマくん」のアシスタントをしている漫画家の友人に言われた言葉


――中学生になってからラジオに出会って、ラジオの存在がとても大きかったわけですよね。ラジオがなかったら岩永さん、今は何していると思いますか?

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