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「インドから来た驚きの寿司カレー」【売れてない芸人(金の卵)シリーズ】ジックサン・オーガスティン 著




はじめに



ナマステ!

僕は、インド人の父親と、日本人の母親を持つ、インドと日本のハーフです。現在、26歳の男性です。

1996年にインドの最南端に位置するケララ州で生まれ、小学4年生まではケララ州から少し北に位置するカルナータカ州の州都・バンガロールというところで育ちました。

バンガロールはIT産業がとても盛んなことから“インドの頭脳”とも言われる場所で、インドのハイテク産業の中心です。そのため、パキスタンと戦争になったらすぐに狙われやすい所です。

日本のみなさんには、日本で言えば東京、アメリカで言えばシアトル、中国で言えば深圳のような都市、と言ったほうがイメージしやすいかもしれません。

当時、インドには、僕と弟2人と母の4人で暮らしていました。父は日本でカレー屋の仕事をしており、インドと日本を行き来していました。

その後、2005年に一家全員でインドから日本へ引っ越してきました。僕が小学4年生の終わり頃でした。

僕は子どもの頃に、母の両親、つまり日本方の祖父母から、日本のお菓子やおもちゃなどをよくインドに送ってもらっていて、それらが大好きだったので、日本に憧れを抱いていました。特に、日本の仮面ライダーや戦隊ものが好きでした。

ちなみに、母が言うには「当時の日本とインドでは20年位の時代の差があった」そうです。もちろん、日本のほうが20年位進んでいる、という意味です。だから僕は、日本に移住することが楽しみで、ワクワクしていました。

それから実際に日本にやって来て、生活をしてみると、インドとのギャップに驚くことがたくさんありました。そこで、この本では、僕が感じた“インドと日本のギャップ”について、実体験をもとに書いてみたいと思います。

いろいろなことを書いていますが、これは僕が見てきた“主観”であって、現在は変わっていることもたくさんあると思います。僕が素直に感じた事や驚いた事をそのままに書いています。

それでは、最後までお付き合いください!
ジックサン・オーガスティン



1章 日本に来て驚いたこと



街や電車の中にゴミが1つも落ちてない!

僕は小学4年生が間もなく終わる頃にインドから日本に移住しました。今から16年前、2005年の話です。

日本に引っ越した時は、母は大量のスーツケースを持って、幼い僕達3人を連れて、とても大変だったと思います。

僕はそんな母の苦労を知る由もなく、成田空港に着いた時は、空港の雰囲気や近代的な感じにワクワクが最大限に達していました。「今日からはこんなオシャレな生活ができるのか!」と期待が高まっていました。インドの友達にも自慢したいと思って、1人でニヤけていたと思います。

父は電車で空港まで迎えに来てくれていたので、家族みんなで電車に乗って、父の住む自宅へと向かいました。

日本の電車はインドの電車と大違いで、かっこよくてびっくりしました。最初に僕が衝撃を受けたのが、日本の電車や街があまりにも綺麗だった事です。

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