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あかつきの町【売れてない芸人(金の卵)シリーズ】レッドブルつばさ(谷口つばさ) 著




はじめに



自分が覚えている一番古い記憶は、幼稚園で他の園児たちが積み木で遊んでいるのをじっと見ているところ。

僕の手には積み木が一つ握られていた。「この積み木も使おうよ」と言いながら彼らの輪に入っていき、一緒に遊ぶことはできなかった。でも、それを先生に気づかれて「ほら一緒に遊びなよ」と言われる事も嫌だった。一人は嫌だけど、無理やり輪に入れられるのも嫌。

 あの時、僕はどうしたかったのだろう?

 当時住んでいた団地の子供の中で、僕は唯一、補助輪なしで自転車に乗れなかった。ある日、何人かで自転車競争をしようという話になり、僕も参加することになった。

号令と共に一目散に走っていく彼らの背中を見ながら、僕は途中でペダルを漕ぐことをやめた。誰ひとり「あいつは補助輪だけど大丈夫かな?」と振り向かなかった。全員がただ一番になりたいという気持ちで一心不乱に走っていく姿は、人間としては正しい事なのかもしれない。

でも、僕はどう足掻いても、一番になれない事はわかっていた。

その日から僕はあまり外で遊ばず、家で、一人で過ごすようになった。
 
あの時、補助輪つきでも何とか追いつこうと努力したら、何か変わったのだろうか?

 人生は選択の連続だ。

 数えきれないほどの選択と巡り合わせが重なり、その上で僕は生きている。数えきれないほどの選択と巡り合わせが重なった結果、今、僕はこの文章を書いている。

現在、レッドブルつばさという名前で芸人をはじめて五年目になった。最初に思い描いていた予定とはだいぶ違うが、自分で自分の事を好きになれるぐらいにはお笑いを楽しめるようにはなってきた。

 自分のような人間がお笑い芸人になれるわけがないと思っていたが、「なろう」と思ったら案外簡単だった。特別な手続きは必要なく「私はお笑い芸人です」と言い続けるだけだったから。自分が芸人かどうかを決めるのは自分なのだと、その時気づいた。

僕は事務所に所属しているわけでも、運命を共にする相方がいるわけでもない。ついでに言うとバイトもしていない。自分で勝手に芸人だと名乗りライブを主催したりライブに出演したりしているだけの人間だ。世間から見たら、ただの無職。無職の中では割と大きい声が出せるというぐらい。

 毎日毎日不安で仕方ない。ボーっとするとすぐに嫌な事を考えてしまう性格なので、夜眠るときは常にラジオをつけている。

 起きている時も基本的にはライブの最中以外は、気を緩めると不安になりそうになる。でも、ライブは「ウケること」だけに集中しているから不安にならない。だから、できるなら毎日ライブに出ていたいけど、それはなかなか難しい。

 ライブ以外でも何か不安を遠ざける方法はないか探していたら、文章を書くことに辿り着いた。

 僕が書く文章は決して明るいわけではなく、むしろ不安な気持ちを不安なまま書いてばかりだけど、そうすれば身体が少し楽になり、眠りやすくなるような気がする。だから、毎日のようにブログを書いた。依頼されて別のところで文章を書くこともあったし、自費出版でエッセイ本も二冊出した。

 そんな毎日を過ごしていたら、この本の執筆のお話を頂いた。
 
どんな内容にするか悩んだけど、芸人になってからの自分の話を中心に書くことにした。近い将来、また不安に襲われて身動きができなくなった時に、「今まで自分はどうやって生きてきたか」という事をすぐに思い出せるように、色々な事を残そうと思う。もしかしたら過去の自分から将来の自分を救うヒントがあるかもしれない。

 だからこの本は、ほぼ“自分のため”に書くものになる。でも、僕はいつだって、自分のために文章を書いてきたのだから今回も特に変わりはないと思う。僕と少しでも近い部分がある人にとっては、ヒントになるものもあるかもしれない。何にもなくても「こういう人がいるんだ」ぐらいは思えると思う。
 
少し長くなるが、お付き合い頂ければ幸いです。

 ああ、こんな文章ではじめていいのだろうか。また不安になってきた。不安を遠ざけるために、また文章を書きます。

レッドブルつばさ




絶 望



 誰にも聞こえないぐらい小さな声で「お疲れ様でした」と言って会場を出た。

 駅とは逆方向に歩きながら、深く息を吐いて、自分のツイッターアカウントに鍵をかける。その日のライブで明らかに一番すべっていた時は、すぐにツイッターアカウントに鍵をかける事が習慣になっていた。

 そのライブに来ていたお客さんに「明らかに一番すべっていた奴いたよな? 誰だっけ?」と検索され「うわ! ライブの告知してる! このあと明らかに一番すべるのに!」と馬鹿にされるのを防ぐためだ。

 この話を友達にすると「そんな性格の悪い人いないよ」と言われるが、当時の僕は誰も信用していなかった。そういう事をする人がいる事が当たり前にいると信じ切っていた。

 芸人も、お客さんも、誰も信用せず、出るライブのほとんどがエントリー費を払って出演するフリーライブばかり。二〇〇〇円を払って三分間すべり続けて電車に乗って帰る。そんな生活をずっと続けていた。

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