小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(14)
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自宅の納屋を改造したガレージで自動車を組み立てる小規模生産の自動車メーカーが多かった英国では親しみを込めてバックヤードビルダーという呼び名が生まれた。
スコットランド南東部イースト・ロージアンのとある古城に、そんなバックヤードビルダーの雰囲気を現代に踏襲するようなファクトリーベースがある。
表向きは警備保障会社『ブラック・サイン・コーポレーション(BSC)』傘下の車両整備工場で、歴史と伝統を感じさせる古城の外観とは打って変わって内部には最新のハイテク設備が整っていた。
其処にはBSCの特殊警備車両や、防弾仕様を施したロールス・ロイスやジャガー、アストン・マーチンなどイギリスが誇るブランドの高級車、各種チューニング済みのマクラーレンやロータスのスポーツカーなどが何台も並び、それらはBSCの専属メカニック・エンジニアスタッフによって日夜整備されていた。
そのファクトリーベースの一画で4、5人のスタッフと共にビッグマックが一台の見慣れない車両の整備をしていた。
その車両というのは、ジャガー、ローバーという英国を代表するブランドを傘下に持つインド・ムンバイの自動車メーカーのタタ(TATA)が新たに立ち上げたスポーツカーブランドの『タモ・ラセモ(TaMo・RaceMo)』というスポーツカーだった。
日本のマツダ・ロードスターに対抗する低価格なスポーツカーを目指すというコンセプトを背景に開発されたこのタモ・ラセモは、全長3835mmの小柄なサイズに2シーター構成というマニアックでエンスージアスティックなシティ・ラナバウトだ。独特な外観はイタリア・トリノのデザインで、前方に取り付けられたヒンジを介してドアが前倒し気味に跳ね上がるマクラーレンスタイルのバタフライ・ガルウイング方式のドアを採用し、直線と曲面が巧みに組み合わさったパールホワイトの美しいボディは、ルーフトップ部分の鮮やかなオレンジ色がアクセントになっていて、エッジが効いた中にもグラマラスなボディに仕上がっている。
パワーユニットは6速ATマニュアル・トランスミッションにパドルシフトを採用、最高出力192PSを発揮する1.2リッターのターボチャージャー・エンジンはボディ中央部にミッドシップ・レイアウトされ、わずか6秒で時速100㎞に到達する。
運転席周辺のエクステリアも白を基調に直線的なデザインを多用し、まるでゲームセンターのアーケードマシンのようなボタン付きのステアリングホイールとマイクロソフト社製の3面の7インチTFTモニターディスプレイを搭載している。
3面のモニターディスプレイには、速度計など走行系情報以外に、クラウドコンピューターとネットワークを介して接続され、地理空間マッピングや各種分析情報が随時表示される。
イタリアの洗練されたデザインとインドの技術が融合したラセモは、ドライバーとマシンを常に最適な状態で繫ぐ為の精巧なインターフェイスによってPhygital(フィジタル:フィジカル+デジタル)という新境地を提案しているている車だ。
「――それ、市販車なの?」
アカリがそう言いながらやってきた。
「やあ、アカリ。身体の方は大丈夫なのかい?」
「ええ、もう大丈夫よ。そう言えばあのゴルフ場の任務って、ターゲット情報も含めて最初から全て私の最終試験のための仕込みだったんだのよね。全く気付かなかったわ。しかも対戦相手のシンがBSCのスタッフだったなんて……一度も社内で会った事無かったから騙されたわ! コテンパンにやられちゃったし。今日だって朝から、みっちり彼に扱かれているわ」
アカリの言うシンとは、シーフォードヘッドでアカリを襲った東洋人の事で、普段は英国情報局に出向し、エージェントの戦術訓練をしているBSC所属のCQC(近接戦闘)専門トレーナーだ。
「ハッハッハ、対象者に気付かれないようにするのが我々の仕事だからな。もしも君がそれを見破る事が出来たとしたら、それはそれでエージェント(諜報員)としては一人前の証なんだけどね。――そうそう、そう言えばそのシンから君の欠点を補うシステムを作ってくれと依頼があったんだ。それが先日ようやく形になったんだが、もう少し調整が必要なんだけど……丁度いい、試してみるかい?」
「ええ、いいわ」
アカリがそう答えると、ビッグマックはポケットから携帯を取り出し、此処とは別の場所にあるラボ(研究室)のスタッフに電話をした。
「ところでこの車だけど、ゲームで見たことあるわ……確かラセモって車じゃない?」
「ああ、君の言っているゲームって、フォルツァホライゾンのことだろ?」
ギーク特有のちょっとだけ人を見下したような笑みを浮かべながらビッグマックは自慢気に答えた。
「――やっぱりそうだったのね。実物の車を見るのは今日が初めてだけど、ゲームでその車に乗った事あるから。フォルツァホライゾンはバージョン3の頃から時々やってるのよ。今はちょうど4をやってるわ」
アカリはビッグマックの表情など全く気にしていない様子で、それどころかこの風変わりなスポーツカーに興味津々で、眼を丸くしながら車内を覗き込んでいた。
「ラセモは市販車じゃ無いんだ。メーカーが市販に向けて極少ロットで製作したモーターショー用の展示モデルで、その中の一台を特注で、我々がメーカーに色々注文を付けて仕上げてもらった、言うなればユニークピース(一点物)なんだ。で、これをうちのエンジニアスタッフがBSC仕様に現在カスタマイズしているところなんだ」
「え、本当? バイクもいいんだけど、ライトウェイトスポーツカーも魅力的よね。何故って、レナがいつも使っているロータス・エリーゼをちょっと前に使ったんだけど、なんか結構いい感じだったの。なのでこれ、ちょっと欲しいかも」
「バイクか―――そう言えば、君の愛車のリエフRS3 125をスタッフにシーフォードヘッドに回収に行かせたけど、既に何処かの誰かが盗んだ後だったようで。まあBSCのセキュリティ・システムが搭載されたバイクを盗んだ犯人も不運というか、あっという間に足がついて無事回収出来たけど」
マットが楽しそうに話を続けた。
「どうだい、リエフもいいけど、125cc水冷4スト単気筒DOHC4バルブエンジン搭載のレーサーレプリカモデルなら、アプリリアのRS4 125の程度の良い出物があるんがそっちはどうだい? 元々あっちの二枚目のイタリア人メカニック、ジョバンニの玩具(おもちゃ)だったんだけどね」
ビッグマックの背後で、ラップトップPCの前に座ってラセモのECU(電子制御装置)の書換え作業をしている色白の若い整備士を指さしながらビッグマックが言った。
「アプリリアね……ありがとう考えとくわ。でも今は車の方がいいかも」
「そうか。よし、この車に君がコネクトする際のログイン用のアカウントを設定したいんだが、何かいい名前のアイデアあるかい?」
「う~ん、そうねぇ『ソニック・マルガリータ』なんてどう? 変かしら?」
「――マルガリータってカクテルの?」
「ええ、そうよ」
「成る程ねぇ……ジョバンニ、どうやらお前フラれたようだな。彼女はイタリアよりもスペインの方がお好みのようだ」
ビッグマックがそう言うと、アカリは顔を赤らめて慌てたように言った。
「私、ピッツァ・マルゲリータも大好きよ!」
それを聞いたジョバンニは、笑みを浮かべながらアカリに向かってウインクをした。
「確かに、この車のボディのホワイトとルーフトップのオレンジが、まるで此処の庭に咲いているマーガレット(木春菊)にも似てるしな……いいんじゃないか」
頷くようにビッグマックがそう言った。
暫くすると、白衣を着た一人の研究員が小ぶりのジュラルミンのアタッシュケースを持ってやってきた。先程ビッグマックが電話した相手だった。ビッグマックは研究員からアタッシュケースを受け取ると、アカリの前に差し出しながらケースを開けた。
「オーグメンティドアイサイト・アナリシスディバイス:Augmented eyesight and analysis device(拡張視力解析装置)」
そう言ってビッグマックがケースから取り出したのは、細身の革製のバックル付きベルトの付いた海賊船の船長がするようなアイパッチで、眼帯部分には小さな光学機器のような物が鏤められていた。
早速、アカリは受け取ったアイパッチを恐る恐る自分の顔に装着してみた。装着したアイパッチからは皮特有の匂いがしなかった。彼女はアルカンターラのような人造皮革なんだろうと思った。
「シンが言うには、アカリは単眼で距離感を掴んでいる所為なんだろうけど、左右に首をゆらして距離感を掴む瞬間が一瞬のタイムラグになっているみたいで、それがCQC戦闘における君の弱点だという事だったんで、其れをこの機器で補おうって考えたんだ」
ビッグマックが説明を始めた。
「これの原理を説明する前に、視覚についてなんだが、人間の眼ってのは構造上実際には上下反転した映像を捉えているんだ。で、その上下逆さまの映像を脳内で無意識に反転補正処理させる事で実際の上下の方向に合わせて認識させているんだ。だから、例えば上下が反対に見える眼鏡を掛けて暫く過ごすと、脳内においてもう上下の補正する必要は要らないんだという切り替えの処理が勝手に起きてしまって、眼鏡を外すと上下反対に見えてしまうんだ。
同様に距離感なども左右の眼で見ている情報を合成して無意識に計算しているんだ。本来ならば死角となる部分を周囲の情報から推測して脳内で補正し理解する事が無意識におこなわれているんだ。
全ての視覚情報は脳内処理で構築されてるわけで、より多くの情報を送ったらどうなるか……単眼の君に其れを補う若しくはそれ以上の視覚情報を直接的に脳に送ってやる事で、視野角を補完するだけでは無く、それ以上の機能を持たせようというのがこのデバイスなんだ。実は君が意識を失ってICUに運び込まれていた時にに君の首の後ろにこの機器を接続するためのマイクロインターフェイスをインプラントさせてもらっていたんだ。気付かなかっただろ?」
「えっ!?」
アカリは驚きながら右手で自分の首の後ろを触った。確かに首筋の皮膚のすぐ下ぐらいに何かグリグリとする堅い異物のような物が存在する感覚が指先に伝わってきた。
「それだけじゃない……」
ビックマックが続けた。
「このデバイスは視野の補正だけじゃないんだ。
米軍のIVAS(ホロレンズ2をベースにマイクロソフトが共同開発した近接戦闘部隊の兵士用のMR(複合現実)ヘッドセット)と同等の機能も持たせてあるんだ。
今調整しているこのラセモにも君の……さっき君が指定したログインアカウントと生体認証でジーン・コネクト出来るんで、其れと我が社のクラウドコンピューターの各種情報システムと直結して……」
身振り手振りで説明するビッグマックは自慢げな顔だった。
「でね、君の特技でもあるドローンだけどFPV映像もそのデバイスで受信出来るし、AIがパイロットをサポートするんだ。君一人で複数機を制御しながらの編隊飛行なんてのも可能なんだ。
そうだ! 今ちょうど、ここの庭に米海軍が開発研究したLOCUST(イナゴを意味する単語:Low-Cost Uav Swarm Technologyの略称)システム小型ドローンの連続発射台を搭載した特殊車両が置いてあるんだけど。
発射台からは1分間に30機小型ドローンを打ち上げれるんだ。しかもドローン自体にも視覚慣性オドメトリを搭載してるので、個体自体が周囲の環境を捉え、周囲との相対的な位置に基づき自分の位置をリアルタイムに把握して、プログラムによる集団自立飛行も可能になってるんだ。
どうだい? 君のそのアイパッチ・デバイスの調整を兼ねて、ドローン同士で鬼ごっこでもしないか。君が操作するドローンが、私がプログラムした編隊飛行するドローン群から逃げ切れたら今晩の夕食を奢るよ。悪くないだろ?」
ギーク特有の難しい専門用語をマシンガンのように捲し立てるビッグマックの説明を聞きながら、アカリは少し苦笑いを浮かべて言った。
「いいわ! 夕食ね」
その時、場内スピーカーからレナの声がした。
〔スタッフ一同は至急ブリーフィングルームに集合!〕
「――ちっ、残念。また今度だ」
ビッグマックはそう言うと、メカニックスタッフ達に作業を止めるように指示をした。
アカリもブリーフィングルームに向かった。
――――物語は15に続く――――