小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(02)
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イングランド南部イースト・サセックスのとある場所で、右目を眼帯(アイパッチ)で覆いながらも、その顔にどことなくあどけなさが残る一人の少女が、動けない身体を大地に横たえていた。
現在の時間は真夜中の午前1時。
昼間ならここからさほど遠くない場所でセブンシスターズと呼ばれる海岸線にのびる壮大な白亜(チョーク)の岸壁を観ることが出来ただろう。
風光明媚な場所を散策するトレイル中の観光客にも会えただろう。
しかしながら今此処は静寂な闇に包まれている。
そんな暗闇の中で少女は幽かな音を聞いた。音は次第に近づいている。近づくに連れてその音の輪郭がはっきりしてきてきた。それはまるでピンで金属片を弾くような音で、一定の周期を繰り返している。しかも常時同じ音ではない。ときには高く、ときには低く、またあるときは二つの音が重なったりと複数の音程の違う音を出しながら繰り返している。
「きれいな音……曲?!」
近づいている音が楽曲(メロディー)だと彼女は理解した。
「聞いたことがある!!」
そよ風に流れるような柔らかなメロディは確かに聴き覚えがあった。
「……この曲は?、父さんから貰ったオルゴールの!……」
少女はかなり負傷していた。
頭部の傷口から流れ出ている血が覆われていない左眼に入ったのか、彼女の視界はほとんど遮られていた。
着ていた革製のライダーススーツは何箇所も鋭利な刃物で斬られた痕があり、そこからおびただしい量の出血をしていた。
暗闇の荒地の真ん中で、少女は体を横たえながら己の記憶を辿った。
彼女の名前はアカリ・アリシマ、18歳。
日本人の祖父譲りの美しい黒髪と鳶色の瞳。
アカリというのは彼女が大好きだった祖父が付けてくれた名前。
父親は大手製薬会社、株式会社アリシマノーラン製薬の業務執行取締役 (マネージング・ディレクター :MD)だった。
そんなセレブな環境に育ったこと以外は、どこにでもいるような普通の女の子……のはずだった。
(――そう、あの事件に巻き込まれるまでは――)
しだいに薄れ行く意識の中で、彼女は2年前のあの事件を思い出していた。それはまるで現在と過去の出来事が記憶の中でシンクロするかのようだった。
「――アカリ、誕生日おめでとう!」
そう、今日は娘の16歳の誕生日。
やさしい顔をした小柄な父は、娘が前から欲しがっていたアンティークオルゴールの小箱を手渡しながら言った。
「すてき! パパ、憶えていてくれたのね」
母を早くに亡くした娘は、幼いころから父親のジョンと二人暮らしだった。多忙なジョンは、普段は娘とゆっくり話すことが出来ない。しかし娘の誕生日だけは親子にとって特別だった。ジョンはその日だけは全ての仕事をキャンセルしてアカリと過ごした。
この日もレディングの別荘で娘と久しぶりのディナーを楽しんでいた。
テーブルの上には、手作りのキャセロールとコーニッシュ・パスティ。この日のために娘が一生懸命作った料理が並んでいた。ジョンはテーブルの向こう側で、エールのグラスを片手にほろ酔い加減で話し始めた。
「大きくなったな、アカリ。ママが死んでから7年、お前には寂しい思いをさせ、色々と苦労をかけた……すまん。しかし本当に綺麗になったよお前は。本当に生きているころのママそっくりだ。ほら料理だって、ママの味だ。お前はいつでもお嫁にいけるよ」
「ありがとうパパ。一生懸命ママに近づけるようにがんばったの。でもパパをひとり残してお嫁になんて出来ないわ」
娘が父から貰ったオルゴールの蓋をあけると心地良いメロディが流れた。" Unchained Melody "、昔の映画で使われた有名な曲だった。
「うれしいことを言ってくれる。でも心配するな! パパはお前がいなくてもちゃんとやっていける」
アカリの成長ぶりを喜ぶジョン。うっすらと目に涙を浮かべているようだった。
誕生日のディナーが終わり、娘は食事の後片付けをするために、プレゼントのオルゴールの小箱を手に立ち上がった時、リビングの壁のロジャー・ラッセル製の掛け時計が、午後8時を告げた。
「もうこんな時間なのね」
――その時、裏の入り口の方で大きな音がした。そして銃声と別荘の管理人の悲鳴が聞こえた。
突然、アサルトスーツに身を包み顔は目出し帽 (バラクラバ)、手には標準武装火器(プライマリーウェポン)として短機関銃のヘッケラー&コッホMP5A4を構えた、まるで特殊部隊のような正体不明の武装集団が裏の扉を爆破して別荘内に侵入してきたのだ。
「アカリ、箱をこっちに……」
ジョンは咄嗟に、アカリをかばうように抱え、それとは反対の玄関方向に駆け出した。
「――急げ、にげろ!」
ジョンは玄関の扉から、思い切り娘を外に押し出し、すばやく中から扉に鍵をかけた。
次の瞬間、中からは父の悲鳴が聞こえた。
「パパ!」
アカリは、その声に恐怖を感じながらも、父の言葉を守ってその場から逃げ出した。
しかし、少女の足では簡単に逃げ切れるものではなかった。
「パーン」という音と同時に、アカリの体は宙を舞い、地面に転がり落ちた。背中に鈍い痛みを感じた。
武装集団の一人の男に背後から拳銃で撃たれたのだった。
アカリは倒れる瞬間に、地面に転がっていたコンクリート片で右顔面を強打し意識を失った。
男は、逃亡しようとした少女が倒れるのを確認すると、今しがた発砲したばかりの拳銃(セカンダリーウェポン)シグザウエルP226ピストルを構えながら近寄った。
「――死んだか?」
男は、倒れている少女をつま先で軽く蹴って動かないのを確認しながら銃口を向けながら呟いた。
――次の瞬間だった。
庭先の茂みの中から突然飛び出してきた何者かに、男は背後から裸絞め(バックチョーク)を決められ、反撃する間もなくその場に崩れ落ち絶命した。
それは別荘に進入してきた武装集団とはまったく別の目的でここにやって来た一人の特殊工作員だった。
特殊工作員は、地面に倒れている瀕死の少女を軽々と抱きかかえると、何処へと消えていった。
2年前のその事件が、アカリにとっての普通の女の子だった最後の晩の出来事だった。
「誰?」
近付く気配にアカリは我に返った。彼女は、忌まわしい過去の記憶と現実の狭間を彷徨っていたのだ。
謎の人影は、彼女の力ない問い掛けに全く答えることはなく、" Unchained Melody "を奏でながら無言のまま近づいて来る。アカリはその音のする方角を見えない目で懸命に追った。
「敵? 戻ってきた?」
身の危険を感じた。
咄嗟に何か武器になりそうなものは無いかと手探りで地面を探した。
右手近くに尖った石があった。
掴もうとしたが出血多量で全身がすでに麻痺しはじめているのか、思うように指が動かなくて掴む事が出来ない。
藻掻いた。
――が、つめたい大地に体力を奪われ動きが止まった。
そのまま意識を失ったのだ。
彼女は失う直前に、見覚えのある匂いを嗅いだ。
――――物語は03に続く――――
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