チェンソーマンを漫画家のメタファーだとすると。
チェンソーマンについて。
一巻で主人公デンジは作者の投影だという見方を山田玲司さんのヤングサンデー(動画)でやっていた。身体の臓器とか売って金を得る=マンガで賞金取って何とか暮らす。 デビルハンターやチェンソーマンが漫画家のメタファーだとして読み直してみると、どうなるか?の考察、こんな読み方してみましたの紹介です。
チェンソーマンは漫画家藤本タツキ。血みどろになって作品を、作り出す。切り刻まれても不死身なのは、いくら批判されて傷ついても復活するよということ。でも痛いものは痛い、、。最初は斧とか持ってて、変身してもあまり強くない。物語が進み強くなる=売上があがる。チェンソーマンの名声も出てくる.
それは実際の作者の環境ともリンクする。強さが売上や評価の メタファーだとすると、二部の登場シーンとも当てはまる。コウモリの悪魔をつぶしてしまう巨大なゴキブリの悪魔、それすらラクラクと倒してしまう強さ。二部の頃の作者の名声を考えたら、この位の強さかと。
そして、主人公デンジは二部で「正体がばれたいから戦っている、バレたらモテるから」つまりチヤホヤされたいから戦っている。これは言い換えると自然な感じで正体=人気作家だとばれてチヤホヤされたいから漫画を描いている。もちろん、創作の純粋な欲望もあるのでしょうが、一方でチヤホヤされたいも動機としてあるのでしょう。
そう考えていくと、デビルハンターは漫画家、、、?体の一部を悪魔にささげて戦っている。漫画を書くことで皮膚や目が悪くなったり、何なら寿命を捧げてしまう。
デンジはポチタと契約、「お前の夢を私に見せてくれ」。チェンソーマンになって(漫画家になって)、人並みの生活をしたい、女とイチャイチャした、、、。だとすると、これは漫画の悪魔と契約した一人の作家の物語とも読める。
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