小説を作って感じたこと
先日、原稿用紙150枚分の小説が完成した。新人賞に応募するためのものだ。「私」という一人称で性別を変えて書いた。内容は日記調の生活や思考を取りまとめたもので深さや純文学の形式に則ったものかどうかは評価してもらわないとわからない。今まで70枚までなら書いたことがあったが文字が乱雑だったり難しすぎて読めなかったりした。それが今回なんとか軌道に乗って3ヶ月で150枚の応募規定分の小説が書けた。ノートPCを買って編集作業をしようと思うのだが、DELLのパソコンがいいと思った。今度買いに行こうと思う。小説を書いている間、色々なことがあった。命の危機になって入院するかも、というところまで行ったりした。それでも無事にやりたいことがやれたのは良かったと思う。私は大学の頃——ちょうど小説を書き始めた頃だ——病気になった。狼狽するしかなくてその時は精神力も今ほどなかったので辛くて辛くて自殺したくなるほどキツかった。でも、持ち前の明るさでなんとか乗り越えて今も病気に罹っているが、不安や恐れは無くなった。大学の頃書いていたのはほとんど空想で現実味もなく逃避のために書いていた。現役で芥川賞の審査員を務めている作家に大学の前で2度会ったが彼は忘れていると思う。自分ももう忘れかけている。私は最初夏目漱石やビクトールユゴーみたいな偉人が小説家なのだと思っていた。しかし、先人に確かにそういうすごい人はいるけど、最近の芥川賞を見ていても作家然としたすごそうな人はいない。普通の人が普通に小説を書く時代になったのだと思う。作家は芸能人じゃないのでテレビには余り出ないが昔の文壇のようにサロンを往来して遊興に浸る作家達が出てきてもいいと思う。無頼派のような集団や斜陽族、太陽族のような小説に影響を受けて起こるダイナミズムを見てみたい気もする。小説を書き終わったタイミングでちょうどよく芥川龍之介の手紙が発見された。佐藤春夫に宛てたものだ。妖婆という小説をアグニの神に変えて書いたという内容だったらしい。そのニュースを見て芥川龍之介も評価とか体裁とか気にする普通の人だったんだなと思った。小説を書いてみて思ったことがある。それは世の中は1人の力ではどうにもできないということだ。当たり前のことだけど、小説家は小説しか書けないし、画家は絵しか描けない。それぞれの使命や役割のようなものがあることを知った。私の場合はやはり文学や政治など言葉ありきでままならない分野で活躍したい思いがある。ずっと言い続けていることだが、小説は社会を動かす起爆材になると思うし、本を書くことが自分の本質を見つめ、正しい道へ向かうための道具だと思う。最近の小説は幾つもの乱立する賞の中でデビューした作家がコマーシャリズムに飲み込まれているように感じる。それは誰が悪いわけでもなくて売ろう、売りたいという作家と出版社、書店の努力の賜物だと思う。そこまで小説が進化した、誰でもスマートフォンがあれば文章が書けるというのは素敵なことだと思う。私もスマホで書いてるし。それに映画を作るにしても、ドラマを作るにしても、演劇を公演するにしても、原作となる本が必要だから文章を書ける人、というのはなかなかいないし、本物の小説家が1人いれば世の中のカルチャーは様変わりすると思う。黒柳徹子さんと向田邦子さんの昔のドラマ作りの様子をドラマ化した作品を見たことがあってそこで向田邦子さんが禍福は糾える縄の如しと最後に書いて黒柳徹子さんに読ませた。彼女がどういう意味なの?と聞くと向田邦子さんは幸福と不幸は縄を結うように交互に来るものなんだよと教えてあげていた。そのシーンがずっと印象に残っていて今も胸の中に大切にしまっている。テレビの世界は外に向かうことだと思っている。何か自分の中にあるものを表現しなければならない場所で活躍している人は素晴らしいと思う。今回書いた小説も大人になった女性が外に向かっていく話だ。彼女は成長とか目標とかは関係なくとにかく色んなことをやってみる。そしてTシャツ短パン姿でリュックを背負っていたのが黒のイブニングドレスを着るようになる。そこまでの過程を楽しめるように書いた。男性が女性を書くのは紀貫之の土佐日記のようなものだ。紀貫之は男性は漢文、女性はひらがなという風潮の中、ひらがなで文章を書こうとして土佐日記を書いた。私はLGBTQIAの問題にも通じると思ってこの作品を書いた。書いてみると男性目線でも女性視点でもあまり変わらないことに気がついた。フィルターをとって考えると意外とできることに気がつくものだ。世の中には何か表現したいけれど、何を表現すればいいかわからないという人が沢山いる。私はずっと表現したいことや世界観があるから恵まれている方だと思う。それにそれだけの熱量があるなら文章で還元しなければならないと思う。私にとって文章を書くことは生きる目的そのものだ。いい文章、上手い文章、そんなものが何なのかはわからない。わかっているという人がいたらまやかしだと思う。私は文章についてわからない中で書くことができるようになった。私は法学部出身だし、文章についての特別な訓練を受けたわけでもない。でも日本語が書けるし、読める。これは文章もそうだけど、よく人と話しているからじゃないかと思う。私達は最初に言葉を覚え喋り出す。文章や基本的な単語を覚えるのはその後だ。まず喋りたいという欲求がある。そしてママやパパなど身近なものについて語り出す。本来小説家とは語り部のことではないか?大昔は文字などなかったから火を囲んだりして喋りあって民間伝承を伝えていったのだと思う。最近は柳田國男のような人はいないからそういう話をする人は少ないけれど、語り部やシャーマンが発展して小説家という職業になったのだと思う。そう考えると、小説はもっと自由でいいのではないか?今の小説は本人の想像力の問題もあるけど、職場の話や介護の話など現実的過ぎる。超越したものがない。私も現実感を持って小説を書いているけれど、そんなものはすぐに壊れる諸刃の剣だと思う。もっと想像力を使いたいし、ジュールヴェルヌの人が想像出来ることは必ず人が実現できるという志のようなものを持ちたい。かと言ってSFを書きたいわけではない。これが難しいところだ。私の小説の中で沖縄の人のような方言を使う女性が出てくる。彼女は真っ直ぐに主人公を気遣って声をかけ続ける。主人公はそれにうまく応えられないが受け止めようと彼女の言葉を聞く。その女性が出てくるのは10ページほどだがそのシーンは印象的で胸に残った。私の小説を書くときのモットーは差別をしないということだ。世の中には差別を助長する媒体が多くユーザーは混乱している。その中で小説=SEXと暴力ではなくまた違う道筋を見つけたいと思って今回の作品を書いた。その試みはおそらくうまく行ったと思っているが評価する人間がいるのが小説なので時代のニーズに合ってなければ淘汰されるだろう。私がSEXと暴力に満ちた小説を書きたくないのはその2つが戦争へと繋がるからだ。確かに小説は無意識に読むものだ。しかし、それを読んだものは無意識の中に小説のエナジーを溜め込む。そして偏った小説や媒体に触れることによって価値観を持つことになる。それを見るものが若ければ尚一層無意識の中に小説の価値観がインストールされる。それがすぐに暴力や戦争に結びつくことはないと思うが、昨今の世界情勢と今売れている小説、賞を取っている小説を見るとSEXと暴力に満ちている。その風潮は変えられないものかもしれないし、昔からそうなのかもしれないが私は夏目漱石や芥川龍之介が行ったように目に映る日常の風景を角度を変えて提示する作家になりたい。彼らはピュアな恋愛を書き、旅行記やエッセイ、小説、個人主義について書いた。それは私の思い描くただの理想像なのかもしれないが作家とは青少年に勇気を与える者、彼らを喝破し鼓舞する者であらなくてはならないと思う。最近の作家は他にできるものがあるなら辞めるなどと作家を俯瞰して見ていて態度も文もつまらない。もっと大きく夢を持って文学と向き合っていきたいものだ。私の文学の原点は芥川龍之介の戯作三昧だ。その頃私はリンチのようなイジメに遭っていた。話す権利ないからと話すことすら奪われてしまったので本を読むしかなかった。その時、学級文庫にあったのが戯作三昧だった。内容は20歳を過ぎてから芥川龍之介の全集を買ってわかったのだが、初めて読んだ時はエピファニーのような不思議な感覚、私も文章を書こう、作家になろう、こんな不条理な世界を変える人になろうと本気で思ったものだ。それから10年以上が経ち私も27歳になった。戯作三昧を読んだ頃と状況も変わり、文学に専念できる環境がやっと手に入った。定職にもつかず本を書いているのは社会からドロップアウトしているみたいで最初は嫌だったが、まだ文学が私には残っていて書くことでエナジーをもらって生きることができている。人間は諦めなければ何度でも立ち上がることができる動物だと思う。まだ新人賞応募まで時間がある。使い古された夢と希望をいっぱい背負い込んだ小説が世の中にどう影響するか楽しみで仕方ない。新人賞や芥川龍之介賞を取れなくてもnoteが私の発表する場所としてあるのは救いだ。まだ無名の文士の1人ではあるけれど、いつか世の中に羽ばたいて世界をよくするための手助けがしたい。小説をやっていてよかった。今までさまざまな人に会ってさまざまな話をしてきたが、私の主張は一貫している。平和ほど大切なものはないということだ。文学のことを語れるのも、音楽のことを語れるのも、SNSに興じられるのも平和だからだ。私の高校生の頃の夢は緒方貞子さんみたいになりたいだった。そして実際に東京大学でお会いして「社会科学の方法論を大学で研究しなさい」と言葉を頂いた。その意味を5年以上問い続けていたが今の自分がやっている実践が社会科学の方法論——つまり実践する学問——ということなのではないかと思う。大学で社会科学の方法論を研究することはできなかったが小説家になってお金を稼ぐことができたら博士号まで取りたいと思っている。小説家になることは自分にとって立身出世のための入り口なのかもしれない。私の書いた小説の中で主人公がモデルに挑戦する場面がある。私も何度かモデルのような仕事をさせてもらう中で芸能にはまだ夢があるのではないかと思った。ジャパニーズドリームを実現するには小説家になるか芸能人になるかだと私は思っている。どちらも表現をすることだ。このVUCA(Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性))の時代に立ち向かっていくには四面楚歌の崖に立つしかない。私の主張が社会で認められる日が来るなら青少年を教育するために時間を使いたい。今の若者で自分の為だけでなく人の為に時間を使える人は少ないのではないか?ほとんどの友人が夢を諦めて妥協した職に就いたり、結婚したりして幸せを求めている。でも私は文章をnoteに書いたり、新人賞に応募したりしている。これは異質なことだ。けれど、その異人であるということが私の強みでもある。面白い小説を書こうとは思わない。1人の胸を打つ感度する小説が書きたい。今回小説を最後まで書いてそう思った。1人が心を動かしてくれればいい。それが審査員でも、一般の読者でも、家族でも、友人でも。小説を書くことは手紙にも近い。読者のに届くように手紙を書く行為だ。そのシンプルな小説の原点が書けたのかもしれない。今まで思っていた気負いや迷いがなく真っ直ぐに書くことができた。それが一番の功績だ。評価は審査員がすることなのでわからないけれど、自分の中では納得している。だからこのエッセイも書いている。いつか誰もが幸せだ、平和だと思える日が来ればいい。そして音楽を聞いたり、小説を読んだりする楽しみを難民の人や発展途上国の人にも味わってもらいたい。私は未来の為に筆を執って、非現実的だと笑われたとしても、言葉を紡ぎ続ける文学者でありたい。