令和の鵺

令和には至るところに鵺が潜んでいると感じる。鵺とは想像上の動物で誰も姿をはっきりと捉えた人間はいない。麒麟とか鬼とか他の見たことない動物よりも鵺が一番恐ろしい。想像で描いた絵の画像で見ても最も気色が悪い。令和になってこの鵺が大量に現れつつある。気がつけば自分も鵺に変化しているかもしれない。鵺というのは譬え話だが令和になって政治も経済も生活もなんか変だ。大事なものが欠落している。ドライブマイカーがアカデミー賞をとったあたりから映画の世界も何かが変わったと思った。今までの画の美しさや物語に訴えたりクオリティを重視したりする一般的なものとは違ってきてしまった。ベイビーブローカーもまったく新しい映画だ。どちらもまだ見ていないが面白いとかすごいとか以外の感想が必要な映画だと思う。村上春樹さんの小説にも是枝裕和監督の映画にも必ず鵺が存在している。得体の知れない人間や現象が出てくる。この鵺を見たくて私は村上春樹さんの小説を読むし、是枝裕和監督の映画を見る。怖いもの見たさと言ったらシンプルすぎるが鵺は怖いものでもあり虚無の中に美しさのあるものだと思う。令和はコンプライアンスや検閲的な動きがどんどん強くなっているが鵺の出現率も高くなってきている。鵺とはつまるところ窮屈な世界に対する歪みなのだろうと思う。鵺が大量発生している社会はいいとは言えないが昔も今も普遍的なものは変わらないし、YouTuberになったりゲーマーになったりするのは学生闘争に参加していた世代と現実か仮想かの違いだけで戦っているのは同じなのだから変わらないと思う。どちらもどこかで挫折してレールに乗るか鵺になるのだろう。若い世代が鵺になって世界を変えるところまでを見てみたい。まだ後十年かもしれないけれど。自分は何歳になっているのだろう。私は鵺になって夜空を駆けていきたい。私にとっての鵺は作家になって芥川賞をとることだ。一番難しい鵺だと思うが体力をつけて文学を読み込んで書きまくっていきたい。鵺になれたとしたらみんなに読んでほしい。私の世界観の全てを。その頃になったらもう三十歳を過ぎているだろうけど。この間、森林太郎と太宰治の墓をお参りした。これから書く決意を伝えるのと令和の鴎外になると伝えるためだ。令和の鵺の話から令和の鴎外の話になったので飛びすぎだが必ず作家になるし、第一中編を完成させる。令和の鵺が飛ぶ中文学を書くのは至難な技だ。自分も見られながら書いている感覚はある。古井由吉のようなリズミカルな硬筆を書きたい。令和の鵺という異名がつくような難解で論争になる作品を書きたいと思う。今日からスタートだ。もう負けることはなく書き切りたい。

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木下雄飛
noteは毎月更新しています。東京を歩くたびに僕の世界はアップデートされています。その日本一の都市で日々起こる日々の現象を描いていきます。お気に入りの記事があったらいいねコメントしてください。