佐渡島庸平さんに編集してもらえる作家になりたい。
小説を書くとは何か考えている。私は小説を書くことは写真を撮ることと似ていると思う。日常の一コマを切り取ってそれを文章にする。最近はゲームや漫画が溢れているからファンタジー的な小説も増えてきているけど、原型は普段を切り取ることだと思う。それは歌舞伎の見得のように一瞬をパッと象ったもののようなものだと思う。だから作家は短い言葉に想いを込めるし、伝えたい日常を長く描写する。純文学はまだその形が残っているから好きだ。漫画のようにならないようにして書くというのはコンピューターの時代には難しい。でも審査員はその人の表現力、言葉だけを使ったマジックを見たがっている。私の小説もまだ未発表だが言葉や気持ちについて考えるものになっている。深く潜れたかどうかはわからないが喉から手を出すようにして掴みたいものを取ろうとした。まだ新人文学賞に応募はしていないが一次審査は通過するのではないか?と期待している。自分と向き合わなければ書けないから小説を書くことは苦しい。私は文学からは逃げたくない。ちゃんと自分と向き合って書くことができたと思っている。途中冗長なところもあるがよく書き切ったと思う。
最近は全然文章を書いていない。noteもたまにしか更新していない。書きたいという欲求も湧かない。けれど、小説を完成させたい。10月まであと2ヶ月。最後まで書くことができれば嬉しい。
佐渡島さんのnoteが面白いので読んでいる。禅の話などが出てくる。佐渡島庸平さんはよく物事を考えている編集者だと思う。一個一個の動作や住む場所、世界観など細かく考えていて素敵だ。マンデラ大統領の就任を見たというエピソードが好きだ。私も南アフリカに生まれて東大入ってたら変わってたかなと思ってしまう。佐渡島さんは小説を書けるのは100万人に1人と言っていたような気がする。それだけ難しい職業なのだろう。私もそれだけの価値があるかどうかはわからないけど、ずっと書き続けている。小説は書けるようになった方が面白い。本を読んでいても作り手の気持ちや一行に込めた想いを読み取ってしまう。感情没入状態になる。編集者もそんなところがあるかも知れない。いつか佐渡島さんと仕事をするのが夢だ。平野啓一郎さんのマチネの終わりにのような大ヒット作を作りたい。2人とも東大と京大で学問に関しては歯が立たない。でも地獄を見た数で言ったら変わらないと思う。
明日も予定があって小説が書けない。もう2週間くらいパソコンを触っていない。ゆっくりスローペースで書いていこう。それで熟成したものができたら嬉しい。