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DON'T SAY ANITING



言うことが何もないのに喋っている気がする。言葉を紡いでいる気がする。言いたいことが何もない。色々カッコいい言葉を作っているけれど、本能から呼び覚まされるような衝動はない。私はデザイナーにはなれないと思う。新しいものを作りたい変えたいという信念がないし、どちらかと言えば変わりたくない。絵を描いてみても模写ばかりで想像するイメージがない。誰かと比べるわけではないけど私には意志がないと思う。口ではこんなすごいことがしたい。作家になって芥川賞をとるとか言っているけど、一ミリもできる気がしない。自分に自信がない。ビジョンを持っていない。世の中に山ほどいる普通の人だ。個性というものがない。夢も希望もない。何にもない。本当は小説を書きたくない。この文章を作っているのも嫌だ。誰かに色々言われたり、人と喋るのも嫌だ。ずっと一人の世界で生きていたい。でも人間だからそれができない。小説を書いても人に読んで欲しくない。ビリーを見ていて思うのは私と同じモチベーションだけど、人前に立っているということだ。彼女も小さな頃は個性的じゃなかった。段々と個性を身につけていった。私はビリーを可愛そうだと思う。人前に立つことは苦しいし、痛みが伴う。私は花は咲かなくていいと思う。咲いてしまったら人に見られて綺麗だとか汚いとか評価される。私は評価されるのが嫌いだ。いくらすごい賞をもらっても、その反対側では人々が私を罵倒している。それが評価だ。五十%は賛成でも五十%は反対だ。政治的な原理がそこにはある。私は何もしたくないし、何もしていない今が苦しくてこの文章を書いているのかもしれない。ここには何の生産性もない。大人でも、子供でもない私。社会から疎外された私。小説を書けてるからいい。小説を書けるからいいと人は言う。けれど、それはゴミ屑みたいにインターネットに放り込まれるだけだ。雑誌に載りたい。人に読んでもらいたい。感想はいらないから。五〇〇万部売れる小説を書くというのが今の目標だ。日本だけじゃなくて世界の市場に流通してほしい。日本が嫌だ。日本語しか喋ってない自分が嫌だ。多様性とは程遠いところにいるのが嫌だ。東京の街でぬるま湯に浸かりながら一生終えるのが嫌だ。小説しかできない自分が嫌だ。嫌なことばかりなのが嫌だ。そんな自分が嫌いだ。何でこうなってしまったんだろう。今が苦しい。私は一人称単数の小説しか書けない。私の書く小説はとても個人的な営みだ。フィジカルも大切だし、メンタルも大切だ。嫌だ嫌だと嫌なことばかり並べたが精神が不調なわけではない。私は常日頃から自分に嘘をつき続けている道化だと思っている。人々の顔色を伺って話し、ご機嫌をとろうとする。小説にもカッコいいところキュートなところを切り取ってしまう癖がある。今日は暑いとか寒いとかニュースがどうだとかは関係ない。ただ書きたいことを書きたいように書く。たまたまそれがデビューに結びつけばいいなと思うが、ずっとこんなことを繰り返すと思う。自分が世の中で一番不運で情け無いと思わないと小説は書けない。幸せなら小説を書かないし、芸術はやらない。現実に何か足りないところがあるから書いたり描いたりする。頭でばかり考えて理屈で考えるからダメだという人もいるが私は人間だから頭と理屈でしか脳を使うことができない。何が好きか?と聞かれたら本と音楽と答えるけど、それも偽りかもしれない。哲学的になってきたので最後に言うと木下雄飛という名前を全世界に知って欲しい。BTSやBILLIEEILISHレベルで。だから今日もヌメロベントゥーノを着る。

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