虚構と物語の狭間で
この間フェイブルマンズというスティーブンスピルバーグ監督の映画を見た。
フェイブルマンとは寓話を意味するらしい。
つまりこの映画はスピルバーグさんの自伝的映画と言っておきながら私達は作り話を見ているわけだ。
僕は特にお母さんのミッツィフェイブルマンに興味を持ったピアノの天才でありながらダンスもできるそして子育てもする。
芸術家にとってこれ以上ないくらい理想の母親だと思った。
ただ本人も芸術家なので夫やサミーと折り合いがつかなくてよく衝突する。
彼女のモットーは全ての出来事には意味があるだ。
年齢を重ねるにつれサミーは映画作りにのめり込み高い機材を買ったり仕掛けを考案してトライしてみたりする。
特にサミーの力が発揮されたのは高校のプロムだ。
そこでサミーは映画は人の心を動かすものだと知る。
僕はこの映画を見て純粋に映画の世界で働いてみたいと強く思った。
もしもいつか花開く時が来て映画に携われるなら今の下積み期間をもっと大切にできるはずだ。
僕のモットーは世界中に善の連帯を拡げ人類益に貢献するだ。
重すぎるのでこの言葉を滅多に使わないが自分で考えた言葉の中で最高の言葉だと思う。
まだ何もわからないが映画はこのモットーを現実のものにできるのではないかと思う。
小説家として映画に携われるならそれはもっと嬉しい。
平野啓一郎さんのある男がアカデミー賞最多八部門受賞の快挙を成し遂げた。
テレビの報道を見ていてもWBCばかりだし純文学が原作の映画が作品賞をとることはあまりにもすごいことなのに平野啓一郎さんが朝の情報番組に出ることはない。
小説は虚構のように思っていても人間の真実を映す鏡だと僕は思っている。
映画と小説の差は音と映像があるかないかだけだ。
小説は文字だけによって読者を感動させる。
小説は必ずしも読む必要はないが映画を超える情熱を伝える素晴らしい媒体だしバーチャルではなくリアルだ。
紙という現実に存在するものとインクのシミによって人を夢幻へと誘う。
これほどインパクトのあるものがあるだろうか。
夏目漱石が小説家を志した一万年残ると言われる文学は地球が滅亡しない限り永遠に残るだろう。
そして人類が生きていれば未来永劫伝わっていくだろう。
ここで終わろうかと思ったが今日は東日本大震災から十二年の日だ。
僕は地震が起きた時間映画館で織田信長を演じる木村拓哉さんと濃姫を演じる綾瀬はるかさんの映画を見ていた。
そう、レジェンド&バタフライである。
映画の詳細については控えるが迫力と演出と脚本の素晴らしさに圧巻の映画だった。
僕はもう一度小説家になるという夢を追いかけてみようと思った。
スティーブンスピルバーグ監督も素晴らしいが日本の木村拓哉さん、綾瀬はるかさんも引けをとらないくらい伝説であり蝶であった。
木村拓哉さんが元気なうちに自分が書いた小説を原作とした映画に出演してほしい。
それをすごく思った。
レジェンド&バタフライは全員見た方がいいと太鼓判を押せる作品だった。
来年アカデミー賞主演男優賞と作品賞と主演女優賞とるんじゃないかと思う。
彼らと同時代で生きているということがあまりにも現実離れしたことだしこの世は仮想現実なんじゃないかと錯覚してしまう。
毎日数百人死ぬのが当たり前だった戦国の世の信長が生きていたとしたらこんなにも平和な日本に驚くだろう。
それは彼らが天下統一という夢に向かっていった結果であるし戦争や震災を経てもなお努力し続ける民心の賜物だと思う。
ありがとうございますとお礼を述べてこの世に生きる喜びを噛み締めたい。
僕は死ぬまで書き続けるし決して文壇に立つことを諦めない。
追い風を受けて夢を追い続ける限り叶うはずだと信じる。
この世界の何千何万という人が夢を見せてくれているのだから僕もがんばりたい。
その世界の一員になるために僕は歩むことをやめない。