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行きつけの美容室


美容室と図書館って何だか似ている。髪型をカタログから選ぶのと、棚から本を取るのって、全然違うようでプロセスとしては一緒なんじゃ無いかって気もする。私は、美容室に通うのも図書館に通うのも好きだ。でも、美容室を変えてから図書館にはめっきり行かなくなった。美容師さんって、お洒落な司書さんって感じがするし、髪型を本のあらすじを説明するみたいに解説してくれる。今日は、お出かけするから、その前にパーマをかけに月世界旅行の作者と同じ名前の美容室へと向かった。街を、歩いていく時もいつもと気分がちょっと違う。なんとなく湧き立つようなウキウキとした気分がしている。服装も、特別な日に着る水色のの春らしいシャツワンピースとネイビーのコートにした。お化粧もちゃんとしている。赤いリップスティックを唇に引いて、靴もネイビーのヒールにした。今日は、歩行者天国の日だった。さまざまな人々がそれぞれの目的で家族だったり、恋人だったり、友人だったり好きな人たちと歩いている。茶色や白の紙袋をみんな提げていて、現代にとっての娯楽って矢張り買い物なんだと一人客観的に観てしまう。でも、その光景が楽しそうで、小さな幸せはこういう所に転がってるんだとも思う。前から背の高い外国人のカップルが歩いてきた。男性は七三分けで、白いダウンと白いボトムスを身に纏っていて、サングラスをかけている。女性は全身ブラックコーディネートで、ティファニーのピアスをしていた。何気ない見逃してしまいそうな光景だけど、目に焼き付いて離れなかった。ビジュアルのエネルギーや、力強い雰囲気を感じた。日本人には出せない着こなしに圧倒された。すると、近くから音楽が聞こえてきた。メイクのないピエロの格好の男性が屈伸運動をしながらギターを弾いて、オリジナルソングを歌っている。「もう戻れないんだ。過ぎ去った未来には。君の瞳が美しく滲んでいた。僕らは、前にある過去に進んでいくんだ。たとえ、花びらが散り消えて無くなっても生きるよ」
何をテーマにしているのか分からなかったけど、嬉しい気持ちになった。その先には、茶色いセットアップのスーツ姿の大道芸人がマジックをしている。銀の板に輪っかを通すマジックだった。「ここに輪を、通して見せましょう。3・2・1」「オー!」歓声が鳴り響く。そして、ドレープのかかった紫色の袈裟を着た占い師がいたり、猿回しがいたり、ホコテンはカーニバルになっていた。私は、予約時間が迫っていたので、ちょっと急足になった。すると、また声が聞こえてきた。「スイカ味のメロンソーダありますよ♪いかがでしょうか?美味しいですよ♪飲むと恋が叶いますよ。誰でも飲めますよ♪一杯100円ですよ♪お買い得ですよ♪」
ブロードウェイのミュージカルな言い方で夢があって、思わず私は立ち止まってしまった。「あの、何ですか?スイカ味のメロンソーダって」
「なーに?」「だから、スイカ味のメロンソーダってなんですか?」「お茶ですか?一杯300円」「あなたが売ってたものありますか?!」「あぁ、スイカ味のメロンソーダね♪ありますよ。一杯100円ですよ♪飲むと恋が叶いますよ。何杯要りますか?」
「一杯ください」「100円になります」「はい、どうぞ」「ありがとうございます」とびきりの笑顔でその女性は緑のパチパチした飲み物を渡してくれた。透明な再生プラスチックのコップに入っていた。「That's love come true. good luck」いきなりペラペラの英語が聞こえた気がした。「えっ?」「なんでもないですよ♪行ってらっしゃい♪」私は、林檎マークのお店の前でスイカ味のメロンソーダを飲み干して、角を曲がった。段々と美容室に近づくにつれて胸が高鳴る。花火の店が見えて、いつも来ているビルが見えた。通路を抜けて、エレベーターに乗る。ドアが開く。「いらっしゃいませ」「御予約のお名前は?」「天田です」「天田さん、お待ちしてました。柊呼んで参ります」と言うと、受付の女性は私がいつも頼んでいる美容師さんを呼んできた。トコトコと古着で統一した28歳ぐらいの小柄な女性が歩いてきた。「こんにちは。今日は間に合ったね」「はい、offだったんで」「じゃあ、こっち行こっか」私は、鏡の前に案内されて、カットケープに袖を通した。「先にカットで、後からパーマでいい?」「いいですよ。柊さん、歩行者天国ってあんなに賑やかでしたっけ?」「活気が戻ってきたよね。楽しかった?」「ええ、結構。スイカ味のメロンソーダ飲みました。結構美味しかったですよ」「ねぇ、なにそれ、面白いね。どんな味なの?」「味は、完全にスイカなんですよ。でもね、メロンソーダの見た目なんです」「パンケーキ味のお好み焼きみたいな感じか。オッケー、わかった」
「あのね、恋が叶うんですって」「素敵じゃないの。叶った?」「まだ効果ないですね」「美紅留ちゃんは、好きな人いるの?」「好きな人、いますよ」「どんな人?」「目が綺麗で、ハンサムで、優しくて、私の言うこともちゃんと聞いてくれて、仕事ができる人」「完璧過ぎない?ちょっと教えてよ。どこで出会ったの?」「図書館で本読んでたら、その本僕も好きなんですって言ってきたの」「キャー。最高じゃない。令和でそんなことある?」「でも、その人の読んでる本、印欧語族における母音の原始的体系に関する覚え書きとかいうとんでもなく長いタイトルの本ですよ」「うん、よく分からないね。でも、なんでそんな本読んでるの」
「彼話してくれたんですよ」「僕は、哲学科で、言語学研究者してて、ソシュールが専門なんだって」「へぇ、そうなんだ」「ヨーロッパや、アメリカの言語にインドヨーロッパ語族って言うのがあるんですって。 今の世界では、印欧語族が最も支配圏を持っているんだけど、その母音についての解説で、彼らの言語の母音にはaっていうのがすごく多いからソレって起源はソナントなんじゃないかみたいな話らしいです」「それで、わかったの?」「ええ、私も読んでみました」「マジで」「暇なんで」「どうだった?」「彼は、言語論的転回をした学者なんだと言うことがわかって、ウィトゲンシュタインや、ミシェルフーコーも読んでみました。ノームチョムスキーのミニマリストプログラムは面白かったです」「ちょっとやばくない。なんの仕事してるんだっけ?」「近所の花屋で働いてます」「可愛いお花屋さんって言うより哲学者じゃん」「ええ、まぁ。言語が洗練されていく中で工業品のようにミニマルなデザインになっていく気は私もしてました」「もうやめて、着いていけないから」「身体性の一部としての言語は、まだ現代社会では認められていません。言葉も人間の器官が発するものなので、人間の心臓のように完璧である必要があります。これでやっと、ジルドゥルーズと、フェリックスガタリの言う器官なき身体の秘密が解けました」「何言ってるか、さっぱりわからないわよ。髪切り終わったよ。パーマかけようよ」私たちは、話が弾んだので、髪を流してから、パーマのチェアに座った。
私は、iPadを手に取って漫画を読み始めた。東村アキコの東京タラレバ娘を読む。図書館で働く女性の恋のお話だ。そして、髪がタオルで巻かれて、透明なパーマ剤をかけてもらう。柊さんは一個一個丁寧にロッドを付けていく。ちょっと皮膚に染み込んできて冷たい感じがすることを伝える。彼女は、あと1時間ぐらい我慢して欲しいと言う。その間にタラレバ娘を読み進めていく。令和の私達について書いてあるし、結構面白い。「そういえばさ、もうすぐ誕生日じゃない?」「そうだよ」「シャンプーとか、リンスとかいる?」「いいの?」「誕生日の人に渡してるんだ」「どれがいい?三種類あるんだけど」「うーん。どれにしようかな?この青いケースのがいい」「それね。エンゼルクラム、結構人気のものだよ」「サラサラになる?」「蕩けるみたいな髪質になるよ」「へぇ。使ってみよ」美容師さんと四十五分ぐらいお喋りしていたら、パーマが終わった。「じゃあ、シャンプー台行こうか」私はシャンプー台に寝て、目元にタオルをかけてもらう。「もうちょっと上に来られる?」私はちょっと上体を上にする。シャンプーが始まった。シャカシャカと音がしている。指の腹でマッサージしてくれるのでとても気持ちいい。このリラックスできるシャンプーだけは、図書館にはない。やっぱり美容師さんと司書さんは全然違うのかもなと思う。美容師さんは時間と場所や情報だけでなくて、体験価値を売っている。そこが、図書館より数が多い理由かもしれない。私は、満足して寝てしまった。熱々のシャンプーの感覚だけが、髪の毛や頭皮に感じられている。そして、柑橘系の香り。ここは、図書館ではなくて、もはや気軽に入れる街のお寺だ。遠くから、リズミカルにシャッシャッシャッとハサミを入れる音が聞こえてきて、お経のように感じた。私は、美容室は図書館だとここに来る前に思った理由がわかった気がした。先ほど髪の毛を切っていた腰に七つ道具をぶら下げたツーブロックのスタッフが瓢箪を腰紐に付けた高野山で修行中の空海の愛弟子に見えなくもなかった。鶯の囀る自然の中に聳える滝のような音がして、シャンプーが流されていった。私は、目を覚まして、周りを見渡した。すると、そこは先ほどよりも少しだけ景色に色がついたように見えた。鏡は、金色で、チェアはビロード、床にはベルベットの絨毯が敷かれている。スタッフはみんなそれぞれ違うラグジュアリーなドレスやスーツを着ていて格好まで高級ブティックにいる別人みたいだ。「終わったよ」「なんか違う場所みたいな気が」「ヘッドスパで目が良くなったんじゃない?」「何これ?」「パープルの天使と牛柄のブルドッグ」「それって、色即是空過ぎない?」「いや空即是色でしょ」「ここってさ、寺だっけ?」「いや、美容室だよ、そりゃ、決まってるさ」「だよね」人や場所に対する過度な干渉が嫌いだった私は複雑な話を全部有耶無耶にして、もてなされるままに喋りを終えた。鏡を後ろに翳して、パーマをかけ終わった髪型を見せてくれた。すごく丁寧に巻いてあって、ブルネットのミディアムマッシュがめちゃくちゃふわふわになった。すごく綺麗に変身できてて、とっても可愛い。これは、気に入った。ありがとうと伝える。「別嬪さんだね」「うん、いいね」「また来てね」「ひと月経ったら来ますね、あっ、お会計お願いします」「はい、ありがとう。こちらへどうぞ」私達は、レジへと向かって行く。お会計中も、柊さんは気遣う会話をやめないでしてくれる。とても落ち着く、もう一つの家みたいだった。「これ、お土産のシャンプー」「ありがとう」「どうぞまたのご来店お待ちしております」エレベーターの扉が閉まる間、ずっとお辞儀して送ってくれる。とても心が温まる場所だ。一ヶ月に一回の癒しは、私にとって、時代精神を知るための文化でもあった。そうだ、ここは劇場だったんだ。そう思って、iPhoneを開くとInstagramであの人がストーリーを上げてて、メッセージが来ていた。「君がよければ、京橋の図書館までお散歩しませんか?」「いいですよ!」「スティーブンピンカーの全作品があるらしいんです」「うん、スティーブンピンカー読みましょう、今日、時間があったのでパーマかけてみました♪」「パーマですか?僕も偶々美容室に行きました♪」「えっ、そうなの!?」「会うの楽しみですね!」「はい、とっても!」ちょっとずつだけど、彼との恋に発展しそうな感じがした。久しぶりに胸がトクトクトクと鼓動している。美容室は、恋が叶うスイカ味のメロンソーダに似ているなって街に出てイヤホンで春の新しい歌を聴きながらルンルン気分で歩いてたら、青い鳥の群れが空を駆けて行った。

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