言葉にするということ
しばらくぶりです。
どうにもnoteを書く気になれず…。
理由は色々あったんですが、そろそろアウトプットを増やしていきたい気が高まっているので更新していこうかと思います。
noteの仕様が変更になってからなんとなく書きづらくなってしまったんですが、自分なりにハードルを下げて発信していこうと思います。
noteを書く上で1つカベになったのは「自分の中に湧き出たものを言語に落とし込めない」ことでした。
これは単純に私の国語力、文書力の問題なのかもしれませんが、日々思うこと、感じることを言語化する事によってこぼれ落ちる要素がどうにも大きくてなかなかアップできないことが多くありました。
感じたことと書き起こした文章とのギャップを埋めようとしているうちに発信したい欲が落ち着いてしまう、そんなことの繰り返しでした。
これは大なり小なり全ての言語化に当てはまることなんだと思います。
どんなに推敲を重ねても生の感情をそのまま言語化することは不可能です。
それでも表現したい、という欲求はどこから来るんでしょうか?
それはinputとoutputの自然なサイクルなんだろうなぁと感じています。
入ったら出る。出たら入る。
ただそれだけなんだろう、と
それ呼吸然り、食事・排泄然り。
人との関わりにも同じことが言えます。
人に差し出すと自然と入ってくる。
そうして循環が生まれます。
めぐりやはそういった循環を意識して名付けました。
一人ひとりが自身の持つ心身のポテンシャルに気付いてやりたいことをどんどんやっていく。
そうして生まれる渦が周りを巻き込んでうねりになっていく。
そうやって動いてきためぐりやも早や4年と少しが経ちました。
今年度もおもしろい動きが生まれそうです。
ご期待ください。