うつと進路、同棲
お久しぶりです。
noteを公開するのはおそらく1年半ぶり。前回は、彼が仕事を辞め、大学編入に向けて努力奮闘するまでを書いたような記憶があります。
読み返すのを躊躇うくらいには稚拙でくどい文章だったけれど、とある方から「お幸せに」というメッセージとともにサポートをいただいて、とても嬉しかったです。
その後、彼は編入試験に無事合格し、私の通う美大のお隣にある大学に入りました。今はほぼ一緒に暮らしています。およそ3年の遠距離に終止符!
私たちが付き合ったのは13歳の頃なので、人格形成期のほとんどを共にしています。これからも一緒に切磋琢磨したいところです。
彼は今年の3月にこちらに引っ越してきて、編入後もさまざまなハンデを背負いながら、なんとか上手くやっています。毎日後輩や同級生に頼られて、とびっきりの愛を振りまいています。
そして私にも、ご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたり、先にお風呂を入らせたりしてくれています。
それなのに私は、3週間ほど前に精神科を受診したところ、うつ状態と言われてしまいました。まだ症状が複雑なのでちゃんとした診断はついていません。適応障害なのか、躁うつなのか、もう少し様子をみようとなりました。
昔からメンタルに何かしらの問題があるのは自覚していて、何度も病院に通おうとしていました。ただ、精神疾患のある親族の様子から、一度精神科に通えば薬漬けにされると皆思っており、未成年だった私は連れていってもらえなかったのです。
今年の4月に大学4年生になった私は、かねてより熱望していた大学院進学を金銭的理由から諦めることになりました。実家にお金がないからではありません。「お金はあるけど、お前の教育費にお金を払う意味がわからない」と言われてしまったのです。
そして両親は、大学院の学費より何倍も高い、かなりいいランクの新車を書いました。
今思い返せば、中学の頃から塾の費用や部費は自分のお年玉貯金で払っていました。敢えて私立高校に通い、必死に勉強して学費を全額免除にして、塾に行かなくても無料で面倒を見てもらえるようにしました。何度か短期留学に行きましたが、費用は全て文科省や大学の助成金で賄いました。
両親は全くといっていいほど教育に関心がなく、学校なんて行かなくていいと本気で思っています。7歳の頃に、「高卒で公務員になってほしい」と言われたのを今でも鮮明に覚えています。
そういう歴史があるので、私は就職する他に道はありません。大学院よりも面白いと思える仕事に就ければ良いのだと思い、かなり本気で仕事を探しました。
3月に一般企業の就活を進め内定を得たのち、美術館のインターンを始めました。そうして今年1年間、週に1度、無給で働くことになりました。
それでは生活費が賄えないので、デザイン会社で有給のインターンも同時に始めました。さらにに、ギャラリーで働く話が舞い込んできました。卒業まで試しに働いてみて、卒業後は正社員として雇うかも、とのこと。
どれも来年の生活、その先のキャリアを左右する案件ばかりでした。
数年前の自分が憧れ、手の届かなかったお仕事も、末端ながら関わらせてもらえました。
その分、少しでも成果が残せなかったら、現時点でミスマッチが見つかれば、来年の仕事はもう無いのだろうと思い、必要以上のプレッシャーと共に時は過ぎていきました。
卒業研究に集中するのが本業だというのに、将来が不安すぎて、一刻も早く自分の次の道を決めようと焦っていました。このとき既に、インターンとアルバイトを2つずつ、計4つ(のちに5つになる)の勤務先がありました。その時の私は楽しくてしょうがなかったのです。各所に融通を効かせてもらって、予定を上手く調整しながら、なんとかやってのけている自分に自信があったみたいです。
どこにでも良い顔をして、どんな仕事でも「やりたいです!」と積極的な姿勢をとっていくうちに、自分がどんな人間なのか、何がしたいのかさっぱりわからなくなっていきました。本当は大学院に行って研究を続けたいのに、自分の気持ちに嘘をついて「働きたいです!」と言わなければ、私の人生は終わってしまうのだと本気で思っていました。
こうして同時にたくさんの場所に出入りしていた私は、なんとなく仕事の向き不向きがわかるようになりました。
同時に、どんどん疲弊していきました。働き過ぎたからというのもあるかもしれませんが、原因は明確でした。以前から憧れていた美術館のインターンが、自分にとってつらくてたまらないものだということに気がついてしまったのです。
実は私は学部卒で美術館に就職するという約束で、なんとか親の許しを得て美大に進学させてもらっています。
本当にやってみたかった仕事なのに、毎日涙が止まらず、ご飯も自分一人では食べられず、思うように動けなくなっていきました。
これまでの人生、人並みに結構苦労してきた気はしているし、どんな理不尽にも負けたことはないはずなのに、こんなことで打ちのめされる自分にがっかりしました。
どんなことがあったのか詳しくはここでは書けませんが、人に話すと立派なパワハラだと言われます。
パワハラなのか、そうでは無いのかなど、私にはどうでも良いです。
あることないこと言われ、皆の前で叱責され、それがおかしいと知っている大人が誰も守ってくれなかったことに、その組織の限界を感じました。
明らかに人間の尊厳がない環境でした。それを受け入れて心を殺さなければ、ここにはいられないとはっきりと分かりました。
それから自分の中の大切な感性が消え去ったように思います。インターンでの仕事や人間関係はとても上手くやれるようになりました。それと引き換えに、生活から色は消えてしまい、ご飯の味はしないし、寝るのが怖く、希死念慮を認め、夜突然川に行ったり、家出したりしました。彼にはとんでもない迷惑をかけ続けました。
そんな中、博物館実習があるため、しばらくインターンをお休みすることになりました。
実習先は地元の美術館でした。とても怯えながら始まった実習は、これまでのインターンはなんだったのかと思うくらい、穏やかに安心して取り組めるものでした。
実習を無事に終え、インターンに戻る1週間前、どんどん精神状況が悪化しているのを自覚しました。
そこで美術館で働くことを諦め、一般企業の就活を再開することにしました。
とんでもない葛藤でした。美大や学芸員を目指していた高校生の頃の自分に、すごく悪いことをしたなと思います。
そしてインターン先に辞めたいとメールを送信。実際、無給で長時間働ける経済状況でもなかったので、すんなりご理解いただき、あたたかなお気遣いと激励のお言葉までいただいてしまいました。
やっとここ数ヶ月の悩みが片付いたと思いました。就活は春に一度終えているので、やり方はなんとなくわかっているし、すんなり面接に漕ぎ着けることができました。
心を殺して働いていた数ヶ月と比べると、随分と状況がよくなったと思っていました。
が、肝心の精神状態が全く良くならず、むしろ悪化してしまい、本当の「うつ」ってやつが近づいているような気がしました。もう辞めたインターンの夢、あらゆる仕事関係の夢ばかりみました。黒いモヤが近づいてくる感覚もあったりしました。上手く言えないけれどこの頃に、このままだと絶対に死ぬと確信しました。
ある日過呼吸になり、ろくに立っていられなくなりました。
急いで精神科に電話をかけました。5件かけてやっと予約が取れ、彼に付き添ってもらって初診へ向かいました。9月中旬のことです。
体調のせいで、たくさんの約束を断ってきました。本当に申し訳ないです。
もうきっと、元気な頃の私はもういません。過去の活動的な自分が眩しい時もあるけれど、ただの躁状態だったと仮定すると、これまでいろんな人を傷つけたり、いい加減な扱いをしてきたなと、申し訳ない気持ちになります。
これまで自分を大切にしてこなかった罰がようやく降りかかってきたのでしょうか。今でも大切に思う気持ちは微塵もなくて、それが原因だと彼にもお医者さんにも言われています。そのせいで、周りの大切な人たちまで大事にできなくて、なんて自分勝手なんだろうと、自分を責めるばかりです。
せめてこれからは自分の気持ちに嘘はつかないようにしようと思い、その第一歩?として、大学院を受験してみることにしました。本当に進学できるかは全くわかりません。
お金は正直大問題です。それでも、授業料だけなら出してやると、なんとか両親に許可をもらえました。夢みたいでした。ずっと断られていたのに。
今は薬を飲みながらなんとかバイトに行き、日銭と来年の生活費を貯めながら生活しています。
まだまだ落ち着かない日々ですが、少しずつ、こんな自分と向き合っていきたいです。
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