六本木で食事をした夜
六本木で彼と食事をしたのは、今日が始めてではなかった。ただ、今日がいつもと違うという感覚は、はっきりと感じていた。もちろん彼がそれを口にすることはなかったし、態度にはっきりとでていたわけではないけれど。お店の選び方がそうだといえば、客観的に見てもそうだろう。でも、それだけじゃない微妙なニュアンスを、何故だか感じ取っていた。
特別にしたかったのだろう。その思いははっきりと感じた。だからなのかわからないけれど、今日は土砂降り。私にとって大切な日がいつもそうであったように、冷たい雨が恐ろしいほどの勢いでアスファルトに打ち付ける。
どこかうれしそうに傘を持って、当たり前に私に寄り添って、雨からかばってくれた彼は、男らしくて、それでいてどこか可愛らしかった。
お店で口にしたものはどれも美味しかったし、彼が笑う顔も私を満足させた。メニューの選び方も、空いたグラスを気にかけるタイミングも、とても完璧。それらを自然にこなせる彼に、どこか安心感を覚える。それでもどこか彼がそわそわしていたのは、つまりそういうことだった。
「お酒が回っていたから」と理由をつけることは簡単だ。それでも、そんな理由を後付けせずにその言葉を選んでくれた彼は、勇気を振り絞ってくれたのだとおもうし、単純にそのことが私も嬉しかった。
綺麗にサシが入った赤身肉も、キラキラと泡が揺らめくシャンパンも、全て写真におさめて、きれいに二人のお腹に入った。そして、二人の関係性が変わったという事実が、ありったけの満足感で包み込んでくれている。
幸せな時間、だったと思う。
美味しい食事も、口当たりの良いお酒も、この幸せをゴールに据えたものだったと思うと、なんて完璧なデートだったんだろうと、うっとりしてしまう。自分が好きなものを、「きっと好きなんだろう」と想像を重ねながら用意してくれたという事実は、とても官能的だ。「良い」と思えるものを「良いもの」として共有できる事が、どんなに幸福だろうか。
いつものようにつないだ手が、いつものように交わす言葉が
その一日から、はっきりと変わった。
「好き」の延長にこのゴールがあるのだとしたら、これはゴールではなくスタートともいえるのだろう。
彼が私を思ってくれたのと同じだけの思いを、私も彼に届けたいと思う。そのスタートが、今日なのかもしれない。
言葉にすれば、随分と陳腐だけれど、それでも。