本が読めない
自分は本を読めなくなったと思っていた。
心の中で声に出して読み上げるだけで頭に入ってこない感覚が気持ち悪い。
自己啓発本が嫌いで読んでこなかったけど、なんとなく読んでみようと思い立った。
やはり頭に入ってこない。
この時なぜか、傷ついた時の痛みに似た感覚が胸にあったことに気づいた。
その原因を自分の胸に探ってみたら、多分、否定された気持ちになるからだろうなと思った。
妙に腑に落ちた。
もうアラサーなのにスキルも経験も大して持ち合わせていないのに、会社では重要ポジションとして扱われているのがとても虚しくなった。
本を読むとカラッポの自分に向き合うことになるんだと思う。
傷つきたくないから読まないし、受け入れると辛いから頭に入れない努力をしていたんだな。
そもそも、自己啓発本が嫌いな理由は、ある人が嫌いと言ったのを聞いて、「あ、嫌いって言っていいんだ…」と楽な道を見つけたからだった。
Twitterの文字なら読める。
140字の上限がある小さな枠に、起承転結があっておもしろくて義務感が微塵もないからだろうと思う。
そして何より無料だから。
本を買うことイコール特別な出費だった貧乏な家の子供だった私にとって、無料というのは気楽に文章を読める理由だった。
だから、お金を払って読む本というのは、お金を払ったんだから余すことなくインプットしなきゃ、理解しなきゃ、払った金が無駄だったと思わなくて済むように、と。
貧乏思考が強く作用して、新しい本を手にしたワクワク感を持てず苦しんでいた。
子どもの頃絵本を買ってもらったトキメキには程遠い、義務感しか持ち合わせていない私ってものにも悲しくなった。
この状況をどうするって、私の価値観を変えるしかないわけで、それが難しいことも分かるし、より本を読みたくないなぁと思う。
ただ、自分に何かを詰め込みたい衝動だけがカラッポの私の中をぐるぐると巡って蠢いていて、息苦しい。
多少の苦痛を乗り越えても本を読めるようになりたい。
ハァ…がんばるか。