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【空想会議レポート 前編】 陶芸家 / TOKINOHA代表・清水大介「未来のための第3の選択肢を作る」


「毎日に気づきの種を」

そんな言葉を掲げて、DAYが月に1度開催している『空想会議』。
外部ディレクター・宮下拓己さん(LURRA°共同代表・ひがしやま企画代表)と共にスタートした、新たな未来のためのこのトークイベントでは、毎回さまざまな領域で活躍している方に「過去・現在・未来」について話していただきます。

今回の登壇者は陶芸家であり、暮らしを味わうための清水焼ブランド『TOKINOHA』代表の清水大介さん。 陶芸が未来に続く仕事となるよう、様々な活動をされています。

前編は清水さんの「過去・現在・未来」について。
清水さんはどのような軌跡をたどられてきたのでしょうか?

プロフィール
清水大介(きよみず・だいすけ)
陶芸家。暮らしを味わうための清水焼ブランド『TOKINOHA』代表。 陶芸が未来に続く仕事になるよう活動中。



最初は建築をやりたいと思っていた

今回登壇してくださったのは、陶芸家であり、暮らしを味わうための清水焼ブランド『TOKINOHA』の代表でもある清水大介さん。

TOKINOHAの由来は、同じく陶芸家で副社長の奥様・友恵さんと初めて借りた陶房の住所からだそうです。


「北山に小さな町屋を借りたんですが、その住所が『紫竹西桃ノ元町』といって、紫と桃という2つの色が入っていたんです。これは珍しいなと思い調べていたら、日本古来の色である鴇羽(トキノハ)色に行き当たりました。トキは白い鳥なんですが、羽の裏が紫がかったピンク色なんです。それで最初は『トキノハ陶房』と名付けました」


当初は二人で「作品」としての器を作っていましたが、お客様と会話を重ねるうちに「飾られる作品ではなく、使われる器を作ろう」と考えるようになり、現在の『TOKINOHA』の形に至ったとのこと。

2021年には、ショップと工房を一体化した「TOKINOHA Ceramic Studio」をスタート。また、プロの料理人向けにオーダーメイドで器を作るブランド「素—siro」、岩倉の陶芸教室「HOTOKI」など、清水焼を軸に幅広い事業を行っています。

そんな清水さんが、ご自身の「過去・現在・未来」についてお話をしてくださいました。

清水大介さんは、五代目清水六兵衛のひ孫に当たります。


「清水六兵衛は、江戸時代、清水寺の近くの窯元にいた作家なんです。ただ僕は五代目の四男の孫なので、本末裔じゃないんですよね。だから正直、『清水』って苗字を受け取っているだけなんですけど……」


清水さんのお父様も陶芸家として活動されていますが、ご自身は陶芸の道を進もうとは思わずに、ずっとサッカーをされていたそう。 ブラジル留学も経験するほどサッカーに熱中していた清水さんですが、高3の夏に試合に負けたのをきっかけに、初めて将来について考えるようになりました。

そんなある日、学校で進路に関する張り紙を眺めていたら、京都府立大学の環境デザイン学科の指定校推薦を発見します。張り紙の中で、唯一心を惹かれたのが「建築」だったという清水さん。建築については何も知らなかったけれど、「なんかかっこいいかも」と思い受験したら、とんとん拍子に合格。晴れて建築の道を進み始めたそうです。

ただ、大学で建築を学ぶうちに、少しずつ違和感を覚えるように。「建築」と一言で言っても建物を作るだけではなく、構造の計算から法律の勉強など、やることが膨大。
クリエイションの周辺業務が多いことにストレスを感じていた清水さんは、ある日自宅で陶芸家のお父さんの働く様子を見て「なんか楽そうやな……」と思ったのだそうです。


「なんの制約もなく好きなものを作って金が稼げるなんて、めっちゃ最高やんと思いました。そこから、陶芸に興味を持ち始めたんですよね。それまで親に『陶芸はやらへん』って言い続けていたんですけど、大学4年の時に相談したら、父が陶芸の専門学校を教えてくれました」


「なんか楽そう」というイメージから、建築から陶芸へと転身したという清水さん。意外なスタートに、DAYの中からも笑いが起こっていました。


「こういうのが全部仕事に出るで」

大学卒業後は、陶芸の専門学校に進学。
「ろくろばっかり」な日々だったそうですが、クラスメイトと競い合うように技術を磨くカリキュラムは清水さんに合っていたとのこと。2年目には、のちに夫婦・ビジネスパートナーとなる友恵さんとの出会いも果たします。
とはいえ、学校を卒業したあとはどうしたらいいだろうと悩んでいた清水さん。


「僕から見た限り、当時の陶芸業界では『作家か、職人か』以外の生き方がないように感じていました。僕はどこかの窯元の職人になる気はなかったので、それなら作家になろうと考えたんです。
ちょうどその時出会ったのが、陶芸家の猪飼祐一先生です。初めて先生の作品を見たときは、あまりのかっこよさに度肝を抜かれました。そんな猪飼先生が弟子を探していると聞いたので『タダでもいいから雇ってくれ』とお願いしに行ったんです。結果、月給5万円で弟子入りさせてもらうことになりました」


森の中にポツンとある工房の屋根裏に住み込みながら、朝食を作り、仕事をして、昼食を作り、仕事をして、夕食を作り、仕事をして……そのあとようやく、自分の作品を作る。そんな生活を、月曜から土曜まで繰り返していたそう。
先生から受け取っていたのは、給料の5万円と、苗と米のみ。「あとは畑を耕してなんとかしろ」と言われ、「リアルに猪や鹿と戦っていました」と清水さんは笑います。


「この弟子入りの3年間はまさに僕の土台を作ってくれた期間で、先生から教わったことは山ほどあります。特に印象に残っているのは、畑に猪が入ってこないよう柵を作っている時に、『これ、杭と杭の間の紐の長さ、ちゃんと測って合わせたか?』って聞かれたこと。そんなん、誰も見てへんしわざわざ測りませんよね。そうしたら先生に『こういうのが全部仕事に出るで』って言われたんです。

今でも、段ボールに梱包する時なんかにその言葉を思い出します。ガムテープが少々グチャってなっても別に送れるんやけど、『まあええか』っていう考え方は全部仕事に返ってくる。その意識はずっと大事にしていますね」


僕の個性なんていらないのかもしれない

3年間の弟子入り生活が終わったあと、清水さんは友恵さんと二人で岩倉に小さな工房を開きます。最初の年の収入は、2人で130万円。かなりギリギリからのスタートだったそうです。


「月に10万円の収入で家賃は8万円だったから、どうやって生きていたのかわからないですね。今思えば、奥さんが週に1回は『家賃が払えへん』って泣いてはった気がします」


当時のお二人の器を見せてもらったのですが、今とはまったく違うテイストでびっくり。「ザ・陶芸家って感じの、複雑でゴリ渋な作品を作っていて、父親の作品と間違えられたりしてましたね」。住居の下に店舗を開き販売していたものの、なかなか売れなかったそう。お客さんが入ってきても何も買わずに出て行かれる日々に、しんどさを感じていました。

独立当初の清水さんの作品


「その後個展を開いたんですけど、そこに普段作っているのとは違うテイストの、シンプルな器も一緒に出したんです。そうしたら仲のいい友達に『こんなきれいなんも作れるんや』って言われてびっくりして。僕からしたら、きれいなのをあえて歪ませたり複雑にするのが味やと思っていたんですけど、人から見たらそんな個性いらないのかも……と。当時の僕に、めちゃくちゃその言葉が響きました」

そこから、今の「飾られる作品ではなく、使われる器」というコンセプトが立ち上がります。現在のTOKINOHAの形があるのは、思ったことをストレートに言ってくれた友達のおかげなのだそうです。


「卸をやめた自分」の方がかっこよく見えた


「皆さんは『問屋さん』ってご存知ですか? 生産者から商品を買い入れて、小売店に卸す人なんですけど。例えば、陶芸家が作った器を問屋さんに1250円で卸すと、問屋さんはそれをデパートに2500円で卸す。デパートはそれをお客さんに5000円で売る……。そんなふうに値段を上げていきながらそれぞれ利益を得ているのが、陶芸業界の当たり前だったんです」


だけど清水さんはずっと「自分で直接売れば、売り上げが何倍も上がるのに」と考えていました。そしてある日、本当に卸を全部やめてしまいます。当時の売り上げの半分が問屋さんへの卸だったのを、自店での販売と小売店への直卸のみに切り替えました。

ちょうどそのころ、SNSで日常の器が注目され始め、インテリアショップや雑貨屋さんでも扱われ始めた時。TOKINOHAのウェブサイトを充実させると、小売店からの注文が多く来るようになりました。
ただ、それでも卸値は定価の約半分。再び、清水さんは考え込みます。


「取り扱ってくれる軒数が増えて、朝から晩まで作り続けても追いつかないくらいの、いわゆる売れっ子状態になったんですが、どうしても手元にお金が残らない。スタッフや自分たちに、満足のいく給料が出せなかったんです。これ、何やねん?と思いましたね。」


そこで清水さんが考えたのが、2つの選択肢。「小売店への卸をやめて、お客様への直売のみにする」か「めっちゃ値段上げる」か……。
ただ、「暮らしに寄り添う器」をテーマにするならば、値段を上げることはしたくない。とは言え、小売店への卸をやめてやっていけるんだろうか?
悩み続けていた清水さんは、ある時ふと「卸をやめている人は、周りに誰もいない」ということに気づきます。


「僕は『誰もやっていない』ということに対し、非常に興奮を覚えるたちなんです(笑)。これ実行したらおもしろいんじゃないかとワクワクしてきて、『卸をやめた自分』と『やめなかった自分』を想像しました。そうしたら『やめた自分』の方がかっこよく見えたんですよね。それで、取引先の小売店に連絡して、一気に全部の卸をやめました」


その「やめる」決断の裏側には、新しく「始める」決断もあったそう。
それが、プロの料理人に向けたオーダーメイドの『素—siro』。「何かを始めるには、何かをやめないといけない」という思いも、決断の後押しになったと言います。


「当たり前」を疑い、新たな価値を作る

草片 cusavilla (東京都港区)オーダーメイドの器

その後、『素—siro』での売り上げはどんどん伸びていきました。
「素(しろ)」という名前には、「あなた色に染まります」という意味が込められているとのこと。料理人と直接対話を重ねながら、サイズを微調整したり、希望の形や色に応えたりと、細かなリクエストに対応していくうちに、飲食業界のクチコミで一気に評判が広まったそうです。


「それまでは料理人さんが器を買うのって、ほとんどカタログで選ぶか、個展で見つけるかのどちらかしかなかったそうです。でも、既製品だとどこか妥協してしまうし、個展でいいものを見つけても、買った後に欠けたり壊したりしたら、追加で頼むのが難しい。コース料理だと全部のお皿が揃っていないといけないので、皆さん困っていたらしいんですよね」


画期的なアイデアで、今では半年待ちになるほどの人気ブランドに成長しましたが、「最初に僕がしたことは、ウェブサイトとカタログを作って『対面オーダーメイドをしますよ』と手を挙げただけ」とのこと。だけど、それを誰もやっていなかった。今では店の売り上げの半分を占める、大きな柱になっています。


「卸をやめたのも、『素—siro』を始めたのも、『人と直接やりとりをする』ことを大切にしたかったからなんだと、今になって思います。自分たちが作ったものを、自分たちで届ける。今もそれを大事にしながら器を作り続けています」


もう一つ清水さんが大事にしているのは、捨てないものづくり。「使える器を廃棄しない」というモットーで、廃棄ゼロを目指しています。


「窯元では、結構な確率でB品が出るんです。でもそれを流通させるとブランドが毀損されると考えて、廃棄するところが多いんですね。だけどうちでは、それ以上に『廃棄したくない』という思いがあって、B品を個性と捉えてアウトレットで販売しています。

また、レストランでもスタイルが変わって使わなくなる器がちょくちょく出るんですよ。そういうのも引き取って、もう一度綺麗にして世の中に循環させることも行っています」


陶芸業界の「当たり前」を疑い、新たな価値を作っていく。
そんな清水さんの視線は、陶芸業界の未来にも向けられています。


陶芸業界の未来につなげる、第3の選択肢

最後に話された「未来」のお話では、清水さんにとって一番大きなテーマである「職人の地位と労働環境の向上」について考えていることを教えてくださいました。


「今も陶芸で食べていくには、『作家になるか、職人になるか』しか道がありません。でも有名作家になるのは難しいし、職人になったとしても低賃金で労働環境が悪く、自由なクリエイションがなかなかできない。若い職人が未来に希望を持てないのが現状です。
僕はそれを変えていきたくて、第3の選択肢を作れないかなと考えています。給料も普通の企業以上にもらえて、しっかり自分のクリエイションもできる。そんな職人の環境を生み出していけないかな、と」


そんな考えのもと立ち上がった「トキノタネ」。これは就業時間外に職人が個人事業主として仕事ができるシステムで、定時以降に職人がTOKINOHAから外注として仕事をもらったり、作ったものを買い取ってもらい、さらにそれを販売してもらえる仕組みです。

「肝となるのは、未熟な器も検品して買い取って販売するということ。至らないところもあるけれどちゃんと器として機能する、TOKINOHAの『種』たちが作ったものとして販売しています。

これには3つのメリットがあるんですよ。職人にとっては練習がお金になるのと、自分の器が販売されるのとでモチベーションが上がる。お客様にとっては安い値段で器が買えるのと、陶芸業界の支援につながる。そしてうちにとっては、職人のスキルアップ、店の収益につながる。そんなふうに、三方よしのシステムかなと思っています」


2025年には、DAYの外部ディレクター・宮下氏が運営する複合施設『Com-ion』に、『時の端(ときのは)』という場所を作る予定なんだとか。そこでは、『素—siro』で作られたものの行き場のない器を一点ものとして再定義して販売したり、他の窯元とコラボレーションした器や、職人が自らの意思でクリエイトした器を販売したりする予定だそうです。


「陶芸業界の『第3の選択肢』の象徴となるような場所にしたいと思っています。それが、若い陶芸家の希望になるのではないのかな、と」


そう語ってくださった清水さんの表情は清々しく、まさに希望に満ちていました。

後編では、清水さんとDAYの皆さんとの質疑応答についてレポートします。
どうぞお楽しみに!


取材・文  土門 蘭
写真   辻本しんこ


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