【空想会議レポート 前編】 マガザン代表・岩崎達也「生きる選択肢は自分で作っていける」
「毎日に気づきの種を」
そんな言葉を掲げて、DAYが月に1度開催している『空想会議』。
外部ディレクター・宮下拓己さん(LURRA°共同代表・ひがしやま企画代表)と共にスタートした、新たな未来のためのこのトークイベントでは、毎回さまざまな領域で活躍している方に「過去・現在・未来」について話していただきます。
今回の登壇者は、コミュニティの力で文化的プロジェクトを生み出す株式会社マガザンの岩崎達也さん。「泊まれる雑誌」がコンセプトの宿 “マガザンキョウト” や、ミックスジュース専門店 “CORNER MIX” といったコミュニティプレイスを運営しながら、プロジェクトエディット事業、コラボレーション事業という3つの軸で活動されています。
前編は岩崎さんの「過去・現在・未来」について。
岩崎さんはどのような軌跡をたどられてきたのでしょうか?
「野球」という大きな夢を失った代わりに
今回登壇してくださったゲストは、株式会社マガザン代表の岩崎達也さん。
司会の宮下さん曰く「企画、クリエイティブ、宿泊、飲食……『こういうことをされている方だよ』と一言で紹介するのがいい意味で難しい人」とのこと。
そんな岩崎さんが経営しているマガザンは「コミュニティの力で文化的プロジェクトを生み出す京都の企画実装チーム」。
宿やミックスジュース屋さんといったコミュニティプレイス事業、新しい価値創造に伴走するプロジェクトエディット事業、日々の営みを豊かにするためにパートナーと共創するコラボレーション事業といった、3つの軸でさまざまな活動を行っています。
目の付けどころとアウトプットが、いつも斬新で面白い。
そんな岩崎さんの来し方をうかがいます。
まずは岩崎さんの過去編からスタートです。
「僕は1985年に兵庫県三木市というところで生まれました。三木市って知っている方いますか?」
そう言って、Googleフォトで三木の写真を見せてくれる岩崎さん。一面に広がる田んぼの風景。そこにあるのが、岩崎さんが生まれ育ったご実家なのだそうです。
「両親は公務員だったのですが、兼業で農家もやっていて、山田錦という日本酒になる米を作っていました。今のミーハーな僕からは想像できないくらい、ザ・田舎なところで生まれ育ったのですが、毎日『早くこんな田舎出て行きたい』と思いながら過ごしていました」
三木時代の岩崎さんが熱中していたのは野球で、ずっとピッチャーをしていたそう。練習に励むうちに、近畿大会、全国大会と勝ち進んでいき、次第に自信をつけていきます。
「それまで県外に出ることなんてほとんどなかったのですが、田舎のいち野球少年が都会のチームに勝つと、『俺、いけるんじゃないか?』と身の程知らずにも思うわけです。『いつかプロ野球選手になって、こんな田舎出ていってやる!』という気持ちがどんどん強くなっていきましたね」
高校ではスポーツ推薦で神戸へ。
すぐ隣の街ですが、当時の岩崎さんにとっては大冒険。だけどそこには自分よりも上手な人がゴロゴロいて、実力不足を痛感したそう。そのうえ大きな怪我をしてしまい、プロへの道を諦めることに。それが岩崎さんにとって最初の、そして最大の挫折でした。
「何年も『プロ野球選手になる』という目標を掲げて頑張ってきたので、その夢がなくなって空っぽになったような気持ちになりましたね。今後、何をすればいいのか全然わかりませんでした。とりあえず進学するかと、指定校推薦で大阪の大学へ。野球がなくなってゼロからのスタートだったので、逆に『やれること全部やってみよう!』モードになって、部活に入ったり留学したり友達をいっぱい作ったり。中でも一番頑張ったのは、就活でした」
野球という穴を埋めるように、いろんなことに挑戦しまくったという岩崎さん。将来何になりたいか、何をしたいか、自分でもわからない。まだ知らないことを知るために、広告会社、銀行、阪神タイガース(!)まで、いろんな企業へインターンへ行ったそうです。
「大学時代は、『野球』という自分にとってのすべてを失った代わりに、いろんなものをひたすら吸収する時期でした。特に就活ではずっと『君は何がしたいの?』と聞かれ続けるので、わからないなりに考え続けましたね。自分は何ができるんだろう、何がしたいんだろう、何のためにここにいるんだろう……自分自身にそう問いかけをする習慣をもらえたのは、とてもいい機会だったなと思います」
問いかけとともに行っていたのは「なんでもいいからアクションにつなげること」。
わからないなら本を読む、ちょっとでも気になったら行ってみる。間違ったり失敗したとしても、間違ったということがわかればそれでいい。
「自分のプライドが許す限り、なんでもやってみようと行動をし続けました。問いを問いのまま置いておかない癖は、この頃につきましたね」
「君は何がしたいの?」の答えが見えてきた
大学卒業後は、リクルートコミュニケーションズ(現・株式会社リクルート)に就職し、東京へ。三木から神戸、大阪、そして東京と、「こんな田舎出て行ってやる!」の宣言通り、岩崎さんはどんどん都会へ進出していきました。
「リクルートは創業から人材に関する事業を行っているので、人に対してめちゃくちゃエネルギーを割く会社でした。就活が終わっても、上司から常に『君は何がしたいの?』と問われ続ける日々。それでどうにかこうにか考えて『これがしたいです』と答えると、本当にそのチャンスを渡してくれる会社だったんです。僕自身もここで、いろんなことにチャレンジさせてもらいました」
岩崎さんが行ったのは、当時黎明期だったTwitterやFacebookといったSNSを、企業の新卒採用やマーケティングに活用すること。今では当たり前のことですが、この頃はまだどの企業も行っていませんでした。
いち早く個人的にSNSをヘビーユーズしていた岩崎さんは「これは絶対に企業のマーケティングに使える!」と直感し、周りに提案。最初は誰にも響かなかったそうですが、時代が少しずつ追いついてきて、ついには自動車会社HONDAの新卒採用で、岩崎さんのアイデアが活用されることになりました。
それらがきっかけでSNSマーケティング事業部ができ、入社4年目で事業部のリーダーに就任します。
「自分はまだ社会人としてひよっこなのに、20何人もいる事業部のリーダーになってしまったので、必死こいて働く毎日でした。本当に大変でしたけど、ここで得たのは、かけがえのない同期との出会いですね。この頃の同期とはいまだに連絡を取り合っていて、今も一緒に仕事をしています。皆さんも、同期は大事にしてくださいね」
社会人として給料を手にするようになってからは、いろんな場所へ旅に出かけたそうです。
アメリカ、キューバ、イギリス、オーストラリア……好奇心の赴くまま、休みのたびに行けるだけ行ける場所へ。
それが何につながるか当時はわからなかったそうですが、のちのち宿泊業を始めるにあたり、この時の経験が大きく役立ったそうです。
また、25歳で中古マンションを購入して、リノベーションする経験も。その部屋が週刊誌『anan』の表紙に掲載され、「いけるんじゃないか?とまた勘違いしてしまいました(笑)」とのこと。
会社員として一生懸命働きつつ、プライベートでも好奇心を追求する日々の中、「本当にやりたいことってこっちなのかも」と考え始めます。
「常に『君は何がしたいの?』と問われ続けてきた20代前半でしたが、この頃少しずつ見えてきた感じがしていました。海外旅行で仕入れてきた雑貨が大量にあったのと、リノベーションでインテリアを褒められたのとで、『雑貨店をやってみようかな』と考え始めたんです。ちょうどその頃、東日本大震災が起こって、関西に帰りたいなとも考えていて。それで『関西で雑貨店を作ろう!』と思いました」
賢さでは勝てるわけがない
行動力の塊みたいな岩崎さん。思いついたらすぐ動き始め、縁があった京都に店を開き、友人に店長を任せます。ただ、いきなり雑貨屋専業となるのは危険だと判断して、ダブルワークの道へ。
「雑貨の買い付けのためにも英語がいるなと思って、英語を話せるようになる仕事に就こうと考えました。それで、当時英語をオフィスの公用語にし始めたばかりの楽天に転職することに。『英語が話せないとヤバい!』という状況に身を置くことで、半ば無理やり英語を身につけました」
楽天で今やアイコンとなっている「お買いものパンダ」を企画するなど、こちらでも新しいアイデアを形にした岩崎さん。慣れない英語で苦戦しながらもなんとか英語を話せるようになり、とうとう京都へ移住します。
怒涛のように過ぎ去ったリクルートと楽天時代を振り返り、岩崎さんはこのように話しました。
「リクルートも楽天も、周りに優秀な人が多すぎて、賢さでは勝てるわけがないと早々に思いました。 じゃあ自分の強みってなんだろうと考えた時、『行動力と身体化』かもなと思ったんです。例えばSNSなど気になるものは誰より早く試したり、行きたい場所にすぐ行ってみたり。その行動の結果、『これってこういうもんなんやな』と肌感覚でわかる。そのスピードと量が自分の強みなのかもしれないなと思いました。
あと、『生きる選択肢って自分で作っていけるのかもしれない』と思ったのもこの頃です。いろいろ傷を負いながらも、やりたいと思ったことは大体やれるんだという成功体験と実感がありました。とにかく行動しまくれば、自分自身で生きる選択肢が作れる。それを知れたのは、20代前半で一番大きな学びでしたね」
やりたいことをやりきった対価は「幸福感」
京都に移住してからは、副業OKなロフトワークに転職。これまでの経歴から事業開発と空間デザインを任され、オフィス兼コワーキングスペース・カフェの「MTRL KYOTO」の立ち上げを担当しました。
その頃にはもう、「雑貨屋を経営するために会社員として学べることはほとんどないのかもしれない」と考え始め、いよいよ腹をくくることに。
「ただ雑貨屋を続けるうちに、これだけでは弱いんじゃないかなと思うようになったんです。僕はその頃東京の友人が多かったのですが、東京から京都まで雑貨屋だけをめがけてやってくるのはなかなかハードルが高いなと感じていて。ここに泊まれる機能もあったら、もっと来やすくなるのではないか? そう思って、『泊まれる雑貨店』という仮のテーマを掲げて新たな場所を探し始めました」
そして最終的に落ち着いた形が、京都二条に開業した「泊まれる雑誌 マガザンキョウト」。
「もし京都のローカルZINEが空間になったら」というコンセプトで、シーズンごとに特集を組み、触って、使って、泊まって、買える、五感で京都のカルチャーを体験できる宿泊空間をスタートします。
「君は何がしたいの?」
そう問われ続けた岩崎さんの、「したいこと」の集大成でした。
「会社員経験の中でたどり着いたのは『自分は、好きな人と好きな場所で好きなことをやりたいんだ』ということでした。それが形になったのがマガザンです。僕が出会った好きな人と特集を組んで、イベントや展示を行う。自分の好奇心や『好き』を発散し、それを人に受け取ってもらう。そういう場所があれば、もっと好きな人やコトが増えるだろうなという予感があったんです。そうしたら結果的に、マガザンはコミュニティのようなものになっていきました」
マガザンを作ってからは、幸福度が急上昇したという岩崎さん。「ああ、幸せだ、恵まれてる」と毎日のように感じたそうです。
「この幸福感は多分、自分がやりたいことを自分で決めてやりきった、その対価みたいなものかなと思っています」
この人とだったら何ができるかな?
次第に仲間が増え始め、マガザンは宿泊事業期から企画会社期へと移行します。現在、従業員は20名。プライベートでは子どもが生まれ「自由は激減したけど愛を知りました」とのこと。
これまでは自分がしたいことに素直に動いてきた岩崎さんでしたが、「人を雇う」「子を養う」となると責任が生まれ、仕事の再現性を求めるようになったそうです。
「一発当ててもあとが続かないと養えない。継続的に価値あるプロジェクトを生み出すやり方に立ち返ろうと考えました」
コロナで宿泊業が厳しくなった時には、事業開発のプロジェクトに舵を切ります。
これまでやってきたことと、今やっていること、そしてチームのメンバーたち。それらを掛け合わせることで、新しいプロジェクトがどんどん生まれていきました。
その中で生まれたのがミックスジュース専門店「CORNER MIX」です。
スタッフの一人が「飲食をやりたい」と言ったのをきっかけに、「マガザンの周りに休憩できるカフェがないから、自分たちで作っちゃおう」ということでスタート。
最初はコーヒーショップを検討したそうですが、マガザンらしいコンセプト「まぜると、きっとうまくいく!」を体現する形でミックスジュース屋さんが誕生しました。
オープンから1年が経ち、今度はCORNER MIXでもさまざまなプロジェクトが生まれています。
現在マガザンが掲げているのは、コミュニティプレイス事業、プロジェクトエディット事業、コラボレーション事業の3本柱。
でも、岩崎さんの初期衝動である「好きな人と好きな場所で好きなことをやりたい」という気持ちは今も変わりません。
「こんなふうにいろいろなことをしているので、何をしているのか一言では伝えにくいんですが、それは僕が『人から始める』のが好きだからなんです。出会ったおもしろい人、一緒に働いているスタッフ。『この人とだったら何ができるかな?』と考えて、行けるところまで行く。だから、思いも寄らないアウトプットが生まれ続けているんですよね」
思いつく人はいるけど、実行する人は少ない
最後に、岩崎さんの未来のお話です。
「はじめに三木市の実家のことを話しましたが、今、実家を改装して農業の拠点を作ろうとしています。もともと民家と倉庫と田んぼしかない場所で、すでに両親も別の場所に住んでいるんですけど、時が経つにつれ『この場所、誰が継ぐ?』という問題が浮き彫りになってきました。それで『自分以外いない』ということに気がついて、この場所にもう一度向き合ってみることに。これをやり切ったら人生の後悔が減るんじゃないかなと思い、継ぐことを決意しました。あれだけ出たかった実家を継ぎたいと思うようになったのが、我ながら不思議ですね」
2025年春にグランドオープンを予定しているのは、農、酒、風土を次世代へとつないでいく農業プロジェクトの宿泊拠点「Social Rice Farm 心拍(しんぱく)」。日本一の山田錦の酒米産地である岩崎さんの実家をベースとした、山田錦の「共農共杯」をテーマにしたプロジェクトです。
「酒造りや農業に興味がある人は確実にいるので、そういった人たちとの接点をここで作って、コミュニティ型の農業モデルを作ろうと考えています。
まずは母屋をちゃんとした宿にして、泊まって農文化を体験していただけるように。そのほか土着風土の料理を提供したり、日本酒を味わっていただいたり。日本一の山田錦の産地であること、ブランド酒のルーツであることを、世界中の方に知っていただきたいと思っています」
歳をとると実家の見え方が変わったという岩崎さん。昔は何もないところだと思っていたけれど、今は美しく見える。人生の経験を積む中で、自分の感覚や視点が変わってきたのを実感されているのだとか。
実家を継ぐと決めてからは、仕事の合間に複数の酒蔵に酒造りの修行に行ったり、大学や農家さんを訪れ農業を学んだり……6年間考え抜いた渾身のプロジェクトが、もうすぐ始まります。
「これからは腰を据えて、家業からコミュニティ化へのチャレンジをしていくわけですが、やっぱり健康でいないといけないなと思います。これからも元気に過ごして、繋がってくれた人たちといい時間を作り続けたい。それが僕の未来の夢ですね」
今後、オリジナルの日本酒を作れるようにもなるとのことで、「DAYさんも一緒に作りましょう!」と岩崎さんが締めました。代表の渡部さんも「まずはみんなで米作りの体験をしにいきたいですね」と乗り気そう。もしかしたらここでも「人から始まる」プロジェクトが生まれるのかもしれません。
「何をしたいのか?」を常に自分に問い続け、実行し続けてきた岩崎さん。
気になったら試してみる、やりたかったらやってみる。岩崎さんのそのシンプルさに勇気づけられた時間でした。
「アイデアを思いつく人は結構いるけど、本当にやる人は著しく少ない」
そう話されていたのが、とても印象的でした。
「やりたいことをやってきてある程度自分が満たされたから、利他の精神に迷わずに行けている気がします。もう今年30代ラストイヤーなので、40代はどこまで行けるかですね」
後編では、岩崎さんとDAYの皆さんとの質疑応答についてレポートします。
どうぞお楽しみに!
取材・文 土門蘭
写真 辻本しんこ