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Tsundoku

積ん読が熱い

現在、TSUNDOKU(積ん読)が熱い。G・マルケスの『百年の孤独』が文庫化したように、積ん読ブームが来るのではないかと個人的は感じている。なぜか?小生はSNS上で本棚の写真や、本の積み山の写真がアップするのだが、それを肴にSNS上で楽しそうに語ることが多いからだ。みんな、大量の本が一か所にある状況が好きなのではないかと思う。圧倒的な本のコレクションを見ると、自分も興奮するのだが、このアドレナリンは一体どこから出ているのか、つくづく不思議に思う。大量の本を見ていると、元気玉のような勇気が湧いてくるのだ。特に好きなジャンルの場合、アドレナリンが放出されている感覚がある。本は読むのはベストなのだが、もちろん本の山という存在自体にも人間は何かを感じるのではないか、ということを可視化した本が最近発売された。

SNS上の情報によると、2024年10月に発売された石井千湖『積ん読の本』(主婦と生活社)が売れていて、重版がかかったという。それを聞いて、まだ日本にも本が好きな人が多く、本の山を見るのが好きな人たちが多いということを知って勇気をもらっている。

各人それぞれ興味対象範囲が違うので、他人の蔵書を見るのはとても楽しい。大学教員ならば、その人の興味対象や専門書が多くなるし、作家ならば自分の書きたいものの資料や好きな文学作品などに積読山が生み出される。『積ん読の本』は各ジャンルで活躍されているプロたちを選出し、インタビューからなぜ積読山が築かれてしまうのかを、圧倒的な積読山のヴィジュアル写真で可視化し、それぞれの本への想いを明らかにした本である。昔から、他人の書斎に関する本はその人の思考回路がわかるので、楽しく読んでいた。最近では、本の雑誌社で出されている『絶景本棚』シリーズあたりが,
プロ・アマ問わずに様々な本棚と本の積み山を俯瞰することができるので、知的な刺激を受ける。

人はなぜ積ん読山をつくるのか

人はなぜ積読の山を作るのか、それは本を所有したいという欲(コレクター欲)と世界をもっと知りたいという、知的好奇心の欲の二つに集約されると思う。娯楽としての小説もまた、知的好奇心の一部と考えるためである。本の所有欲を紙という形態でこだわる人の場合、現在のように一日当たり新刊が200点ぐらい刊行されている状況で、例えば月に10冊買ってしまうと年間120冊がフローとして増えていき、これまでの積山のストックを古本屋等に売却しない限り、どんどん積ん読山脈が形成される運命である。つまり、個人の興味関心が、本棚や積み山に集約されていて、一種の生態系を形成している。永田希氏が『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス)で個々人が積読ビオトープを形成しつつ、必要な本をうまくセレクトできる環境を作っていくことが大切なのだが、日本の住宅環境を勘案すると、なかなか難しい。

稀代の小説家である紀田順一郎氏でも、『蔵書一代: なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(筑摩書房)で切実に述べているが、自分の知的活動の歴史ともいえる3万冊もあった自分の本の蔵書を処分せざるを得なかった。読書離れが起こっている現状を考えると、本の蒐集とは、個人の死とともに散逸してしまうものだと改めて痛感する。継承できる人がいたとしても、その個人が持っていた知の豊饒さや体系が、すべて引き継がれるというわけではないからだ。なので、人の知的好奇心や人生のステージの変化で、移ろいゆくビオトープの状況を、スナップショットのように残した『積ん読の本』は、意味があるものだと思う。手前味噌になるが、小生も同様に本の山の写真を公開しているのは記録と記憶のための行為だからである。

他人の本棚と積み山を見る

自分も知的好奇心や、ライフステージの変化から、本の好みが変化し、積み山を形成しているのだが、それでもいつかきちんと書籍を「本棚」に並べることを夢見て、様々な先人たちの書斎についてのエッセイを読んで、もし書斎があったら自分の積ん読本たちをどこに配置するのか、色々と想像することで満足することも多かった。そんな中で参考になったのは以下の二人のものである。

過去では、社会科学の研究者である松原隆一郎氏の書斎の件で、いかにして1万冊の本を入れるのか、その建築プロジェクトを本にまとめた『書庫を建てる』が面白かった。西牟田靖氏が、松原隆一郎氏にインタビューをしているが、らせん形の書斎は仕事場である場所と、住まいである家を明確に分けて、仕事場としての書斎・書庫としての機能性を重視したものであった。詳しいことは、DANROのインタビュー(2019.8.12)で読むことができる。

あとは、畏友、田中すけきよ氏の書庫作成の経緯(本の雑誌2024年7月号)は、これから書庫を作る人たちに向けて、必読である。いかに本を収納して、美しく並べるために本棚を配置した場である。実際に見に行って、ジャンルごとに並べられた本棚に圧倒された。丸善棚と作り置きの棚の調和、色の配置、小物の置き方など、蔵書家にとっては理想ともいうべき小宇宙であった。

積ん読は、読書と知的好奇心の魔力に取りつかれた自分にとっては、死ぬまで継続するだろう。他の人の頭の中が垣間見れる積ん読本の山を見ると、なんとなく頬が緩んでしまう。なので、『積ん読本』の続き、ぜひ作ってください!(というお願いでした)。


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