見出し画像

本の処分

本との別れ

人生のライフステージの変化によって、本を処分する瞬間が訪れる。その際に、自分が読もうと思って蒐集してきた本をどのように処分するのか、悩むだろう。本はとにかく場所をとるため、大量に本を保有しようとすると、どうしてもそれなりのスペースを確保しなければならない。本を処分することになるのは、置く場所の問題が大半であろう。知人で大量の本を転勤先までもっていく人がいたが、その気持ちはわからなくはない。しかし時間的にも物理的も厳しい場合は、本を何らかの形で処分するしかない。資源配分の効率性の観点からいえば、一人が抱えるよりは読みたい人へ本が渡るようにするのが望ましいので、定期的に蔵書を見直すというのは正しいのかもしれない。

処分の方法

処分の方法としては、①リサイクルセンターに寄贈する、②古本屋に売る、③メルカリやヤフオク!などのサイトを利用する、④知人にあげたり、押し付けたりする(有難迷惑かもしれないが)、⑤捨てる(古紙回収などのリサイクルを含める)ぐらいだろうか。本好きにとっては、⑤の選択肢はあまりないだろう。

となると、①~④の項目のうち、どれにするかは、時間と心の余裕につきるだろう。②の古本屋に売る、のうちで注意しなければならないのは、新古書店である。とにかく買取価格がベストセラー以外は5円とか10円のような安値で引き取られ、バーコードがないと値付けが付かず、そのまま引き取りというパターンもある。当然安く買って高く売る場所とはいえ、査定された本が安値で引き取られていくのを見ると心が痛む。新古書店で働いている人たちは本の価値がどんなものかということには関心はないので、基本的にチェーン全体で大体の値付けができるような機械システムが導入されている。こちらは、バーコードリーダーで全国から集められた価格データで買い取り価格を決めているので、基本的には売れ筋以外は安値で引き取られる形になる。

こちらの記事が新古書店の現状を記したものになっているだろう(この記事は古本屋と書いているが、個人が経営しているような古本屋に当てはまる話ではない)。⑤の資源ごみに出すのをためらう場合は、検討してもよいとは思う。

となると、自分がある程度思い入れを持った本を処分する際に利用するのは②~④ということになる。④はSNSで呼びかけてみると、それなりに集まったりするので、例えばこのnoteで呼びかけるというのは考えられ得る選択肢にもなるだろう。今後本の整理が進行してきたら、noteに処分本コーナーをつくり、妥当な形で譲渡できるようにしたい。

③については、メルカリは買う場としてしか利用していないので、ヤフオク!が基本的には処分本をプレ値で売るための場となる。人気のある本については、オークション的には競りあがっていくので、それを狙っていくのはある(そしてそのようにして得たお金はまた本に再投資されるのである)。過去にそのようにして販売した本や雑誌もあるので、若干そうしなければよかったと思うものもあるのだが、後悔はしていない。メルカリについては、プラットフォーマーとしての矜持が求められる時期になっており、もう少し詐欺まがいのことなどを禁止するぐらいの覚悟を持ってほしいので、基本的には買いしかしていない。

寄贈が難しい今、②の選択肢が一番良いだろう。作家で稀代の蔵書家でもあった紀田順一郎先生が『蔵書一代』で切々と記しているように、膨大な個人蔵書は、よほどの有名人でない限り、最後には散逸してしまう運命にある。蒐集していた当人が鬼籍に入れば、価値がわからない人にとってはただのごみにしかならない。そのため、自分がこだわりを持って蒐集しているジャンルについては、その分野に精通している古書店に依頼することで、買い手よし、売り手よしの状況になる。なので、自分の蔵書が散逸してしまう先を考えた上で、本の定期的整理を行うことは大切になるのだろう。

…と、偉そうに書いているがなかなかコレクター蒐集魂が抜け切れていないので、お迎え超過状況になっている。今後、お迎えとお見送りのバランスをとれるように、もう少し実用書などを減らしていく方向にもっていきたいと考えている。

買い手不在?売り手不在?

とはいえ、古本においても需要と供給がある。ネットによって情報サーチコストが劇的に下がり、古書がランダムで値付けされる時代になった。Amazonのマケプレには「なぜこの古書がこの値段に?」というわけのわからない値段がつけられて、なかなか下がらなくなる。これは独占的に最初の出品者が値付けすることにより生じるもので、相場観などは関係ない。

これまで経験知で古書店店主が、自分たちで値付けをしていたのがネットのプラットフォーマーの適当な値づけによって、崩壊していくというのを目の当たりにし、これでは古書店はやりにくい。もちろん希少性の高い本は当然アマゾン等にはなかなか出ず、従来型の古書店で見つかることが多い(と肌感覚ではある)。

今の若い世代は無料で楽しめるコンテンツの洗礼をたくさん享受し、それに慣れ親しんでいる。無料の漫画を試し読みさせることで、読者を誘導する流れが生まれている。各社電子漫画のプラットフォームの提供が進むにつれ、電子化が進行することにより、漫画も紙よりも電子という形になり、紙の出版点数が減っている。すると、紙媒体を減少させ、電子化を進行させるしかない。すると、子供時代には絵本などに馴染んでいた人たちが、高校生ぐらいまでには、紙文化そのものから離れてしまう状況が生まれている。

するとどうなるか。本を積極的に集めていた世代(~1970年代ぐらいまで)が集めてそれが市場に供給される状況がどこまで続き、それを積極的に買ってくれる世代が生まれるかという継承の問題も出てくる。これまでは、クレヨンしんちゃんに代表されるように、住宅ローンを組んでサラリーマンで一軒家を建てることも可能であったが、氷河期世代の人たちはなかなか正規職につくのが難しい(このことは、近藤絢子『就職氷河期時代』(中公新書)で詳しく分析されているのであるが、年収が低く、所得格差が広がってしまい、住宅ローンや家族形成がしにくかった世代である)、また若い層も二極化しており、本を蒐集するような人たちがどこまで出てくるかというと、そこまで出ないと予想される。本を集めるコストは本本体だけではなく、場所という制約が最も厳しいので、場所をどう確保するのか、そこが一番のネックになっていると思う。

上の世代が本を手放すころには、古い書籍の存在も(SNSでつぶやかない限り)忘れ去られて、果てには廃棄処分されていく。実際、レアになってしまった本はこのような淘汰プロセスを経て、生き残った本であろう(淘汰プロセスは震災などによっても加速するため、一度本が出版されると、原則的には本は減少していく。重版がかからない本が大半なので、ビットコインと同じである)。こうなるとわざわざ手間暇をかけて古書店を巡って蒐集するという(一世代前の人たちにとっては一番効率的だった)足をつかって蒐集するという行為も、コスパを重視する世代には理解されないだろう。どの町にジャンルの強い古本屋があって、この本を獲得したという「場の記憶」の体験が失われていくのも悲しみしかない。その意味で、若い世代とのコラボで古本ツアーみたいなことを行う意味はあるのかも?とは思いつつも、中年になってしまって積極的にそういうことができない状況にあるので、残念ではある(それと、古書店の数が減ってもいることも、出不精に拍車をかけている)。

ジャンルの優れた入門書が必要?

ということで、将来有り得ることは「買い手不在」ということだろう。昔は入門的なテキストや、優れた紹介者も多く、当時自然と紹介されていた本を読むことで、階梯を上るようにジャンルを俯瞰できるようになっていた。例えば、『サンリオSF文庫総解説』(本の雑誌社)(2014年刊行だが、品切れたようだ)、別冊宝島『世紀末キッズのためのSFワンダーランド』野田昌宏『SFを極めろ!この50冊』(早川書房)『ハヤカワSF文庫総解説2000』(こちらもすでに品切れ)、伊藤典夫編『SFベスト201』(新書館)『創元SF文庫総解説』(こちらも早く入手しないとなくなるだろう)などがあるが、『創元SF文庫総解説』を除けば、電子版を除いて品切れになっている。もちろん陳腐化している面もあるが、それでもその時代のジャンルに対する熱量というものを感じることもまた大切なのではないだろうか。実際、野田昌宏さんの「SFは絵だねぇ」という入り方もありだし、イラストに惹かれて読むという読み方もとても重要だろう。あるいは漫画によってイメージを膨らませるのもよいし、もちろん映像もよいだろう。

最近の入門書としては、冬木糸一『SF超入門』(ダイヤモンド社)が優れている。56冊が紹介されており、特にSF入門として優れており、読んでない本についてはほしくなることが請け合い。冬木さんの「基本読書」はジャンルを超えて面白い本を探す際の参考になっていることは付記しておく。

優れたジャンルの紹介者が多いかどうか

このようにジャンルの優れた紹介者がいることは、そのジャンルを豊饒にするために重要なことある。先人たちが面白いから、という姿を見せることで、若い人たちが参入してくる。海外SFや日本SFが現在のように豊かになってきたのは、それだけ参入する人が多かったからだろう。もちろん賞の有無もそうだが、ジャンルが好きな人たちが増えるということはとても大切なのである。ただもちろん、そのジャンル内で内輪的に固まり始まると変な論争がおこったりして、冬の時代が到来した過去もあるので、景気変動のようなものだと思って、ジャンルが好きという気持ちを持ち続けて、読書を継続すればいいのだと市井の一個人は思う。

ただし本の継承については、紀田順一郎先生と同様に割と絶望的な気持ちで、刹那で持つという感覚ではいるので、生きているうちは読むために保有しておきたいし、好きなジャンルを紹介するために読書は継続していきたい。そしてどうか、読書文化が継続するように何らかの貢献ができるといいなとは思っている。


いいなと思ったら応援しよう!

Empirestar
応援よろしくお願いします!いただいたチップは書籍に関することに利用させていただきます!