noteをはじめることにした。
noteをはじめることにした。
絵を学びはじめてから10年。ようやく学生という肩書きも外れ、仕事をしながら作り続けている。とはいえ、作っているものは絵だけじゃない。展覧会だったりZINEだったり、演劇集団と演劇映像作品を作ったり。
側からみれば、色んなことに手を出しててお祭り人間に見えるかもしれない。確かに人と何か作ることは楽しい。立ち止まることを忘れてしまう。
でも、それよりも。私は「私たち」と「あなたたち」という奇妙な線引きに興味がある。カテゴリーだったり文脈だったり、様々な要因で流動的に、幾度となく引かれ直される見えない一本線。なにかを「人ごと」にしてしまう線。遠い誰かを近しい人に思える線。
それについて考えたいから人とものを作るし、作品と見る人の場所に想いを巡らす。ざっくりと言えば興味は2つ。
ひとつめ。
思えば、学部2年の時に一ヶ月間くらいヨーロッパを旅した時に見たdocumenta 13が原風景なんだと思う。言葉も分からない、現代アートも知らない、日本画の学生だった私が、あの場所で強烈に「ここにいて良いんだ」と思った瞬間。カテゴリーとか、自分が誰だとか関係なく、投げかけられる問いや意志を受け止める相手として私がいて、私が自由に想いを巡らすことが許されていると知った瞬間。私はこれを使おうと決めたんだと思う。
問いかける、投げかける、○○かける。
作品を通して、私はそこにいる人に働きかける。その時、線はその人の後ろ側にある。その線の延長はぐるりと回って円を作る。その円のことを、なんて呼ぼうか。それにまだ名前はない。その円をどれだけ広げて、どれだけ縮めるか。そこに1つ興味がある。
ふたつめ。
誰かとものを作る時。対外的には「私たち」と説明するけど、内側では「私たち」なんてなくて、圧倒的1人であること。私、だけじゃ作れないものを作りたくて、誰かと組むのだから当たり前に、「私」と「あなた」で。でも例え会ったことのない誰かが作ったものであったとしても、同じ「集団」であるという理由だけで、「私」は「私たちのもの」として語りうること。例えば、日本の文化を海外の人に伝える時に、私は着物を普段着なくとも説明が出来るように。
今のところ、自分の興味はそこにあって、それに伴ってものを作ってきていると思っているけど、ただ。ここをスタート地点に考えていく、そのためにnoteを始めることにした。
ここでは作る時に考えたこと、何か見聞きして思ったこと。最終的に書きためていった結果、活動記録になっていけば良いと思っている。先ずは書き続ける、を目標に。今日は一先ず、眠りにつく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?