トルコ語のポーテージ教育(ダウン症)についての本『47番目の染色体』
トルコ語のダウン症児教育についての本を日本語訳しました。
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(PDF ファイル・リンク)
https://drive.google.com/file/d/1vj8eCHn0FO0bbxJYbsIEeKLB5X8nfggg/view?usp=sharing
この本はトルコのダウン症児教育について書かれたもので、アメリカで開発された「ポーテージ」と呼ばれる教育メソッドを採用しています。従来のトルコではダウン症児は精神障害者だと考えられており、若年死を避けられないものとして、社会的に顧みられることが少ない存在でした。しかし、1980年代から1990年代にかけて新政権による経済の改革開放が始まると、少しずつ外国から情報が入り始めるようになりました。父母たちは資料や文献を探して少しずつ効果的なケア手法というものを発見・共有するようになります。しかし、国レベルでのインフラや法律の未整備に直面せざるを得ませんでした。
ダウン症というのは単純に知的に遅れがあるということではありません。同症患者には数多くの身体症状があり、さらにその症状が子どもの成長の過程に従って変化していきます。従って、ダウン症児だからこうすれば良い「総合解」というものがなく、子どもの症状や状態に対して、実践・帰納的なアプローチを取ることが必要になってきます。これらはまだ答えのない問題・課題への対処の方法の一つとして読者の参考になることでしょう。
また、本の中では、親としての意識の覚醒、トルコ人やイスラム教的な価値観などが複層的に述べられており、読者を全く異なる文化圏の子育ての世界に誘ってくれるでしょう。
現代トルコにおいて政治経済、社会が最も混乱した、1980年代から1990年代にかけての状況を理解する一助となる本だと思います。
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(著作情報)
著書名:"47. Kromozom -Down Sendromu"『47番目の染色体 ーダウン症』
著者:Bülent Üstündağ
発行地:Istanbul
発行年:1994
翻訳:Hiroki Ishii (トルコ語→日本語)
「はじめに」と「コンテンツ」の部分だけ、下記に引用しておきます。
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「はじめに」
あなたが手にとったこの本は「病気」についてではなく、「子どもたち」について書かれたものです。
問題が「症候群」という部分であまりに留まってしまっているために、本来私たちの関心の中心にあるべき「人間」の存在が忘れられているように私には感じられます。しかし、本来、治療もセラピーも人々の幸福のためにあるものです。
また、私たちは47番目の染色体の影響に囚われてしまっていて、すべてのダウン症患者たちが私たちとは異質なグループや「カテゴリー」を形成しているかのような印象を持ってしまいがちです。これも誤りです。
この本のテーマである「特別な」子どもたちはお互いに異なっており、独自の個性を持ち、健康な体と、健常者とは異なる豊かな情緒を有しています。
私たちの研究の念頭にあったのは、「親たちのためのハンドブック」です。ダウン症は、医学から教育学に至る多彩な領域にまたがっています。最新の資料や文献からの引用をできる限り平易な形に改め、自分の観察や意見も交えながら分かりやすく説明しようと努めました。
あなたを父母として待ちうけるものは何なのでしょうか?蒙古症だったイギリス人のニゲールが1960年代に回想録を書いています。その本の序文には彼女の父の言葉が書かれています。
「ニゲールは完璧ではなく、優れた知性も見られなかった。けれども私には彼女は幸福そうに見えた。蒙古病患者には学ぶ能力があり、励まされ勇気付けられることによって学び続ける。彼らも他の子たちと同じように子どもであり、親たちにとっては神からの授かりものであると同時に試練でもある。蒙古症患者の父母たちは普通の親と類似していてなおかつ異なる問題に直面している。しかし、他の親たちが決して経験することのない幸福を手にするのも彼らなのである。私が率直に誇張や神秘的感情を交えることなく明らかにしたいのは、私たちがニゲールを大いなる神の贈り物であるであると感じたことだ。彼女は独立した個性をもっていた。そして自己の向上と、他者から理解されることを欲していた。障害をもつ体に価値ある霊魂が宿り、その子どもを託されたことを私たちは「名誉」として感じた。私たちは彼女を世界で最も才能に恵まれた子どもと同じように育てようと決心し、実際に彼女のためにした全ての行いに対して神の祝福をもって報われたと感じている。」
この一節は、ダウン症に関して世界に全く光がなかった時代に書かれました。ダウン症患者たちが社会から差別され、公的機関や家の部屋に閉じ込められた時代のことです。専門家たちも当時は解決策をもっておらず、はっきり言って無関心な時代でした。
今日の状況は異なっています。80年代以降、親たちの現実的な必要性や、科学が進展を見せたこと、そして親たちによる啓発が功を奏したことによりダウン症は社会の関心を引くようになりました。ダウン症児童の寿命が伸び、社会学や医学との連携も進んだのです。希望と期待が膨らみました。多領域にまたがる包括アプローチが取られ、子どもを社会と一体化させる道が少しずつ開かれていきました。この分野では毎日のように新たな反応や進歩を目にします。現代の子どもたちはとても幸運です。もちろん、あなたの子どもも。
子どもを持てば、彼らがあなたから離れることはありません。しかし、「労力が無駄になってしまう」とは考えないで下さい。子どもはあなたを喜ばせるために惜しみない努力を示しているのです。一緒に努力し、自分自身を信じて下さい。やがて意欲や希望が湧いてきます。幸福があなたのことを掴んでくれることでしょう。
ダウン症の子どもが演じた「人生は続く」というアメリカのドラマを見たことはありますか?脚本家がインタビューで次のように述べていました。
「ダウン症の人々は人間性のありようを私たちの前に写し出してくれる。そして私たちは障害を理由に賞賛されてはならず、障害を利用してもいけない。」
この本は、最初から最後まで読み通し根気強く批評を下さった教育者ウルケル・ヤシンと、親友ギョクハン・クルチの賜物です。誤りはもちろん、私の責任によるものです。
ここで付け加えておくと、著者自身この本を書くことを想定していませんでした。出版が実現できたのは素晴らしい友人たちのお陰です。新アジア出版(Yeni Asya Yayınları)が惜しみなくこの役を引き受けてくれました。ネシェ・エキン、ファルク・ビルギノール、メティン・エリシュ博士、カヤハン・ダルジャン、ビュレント・チョラプチュ、アフメット・ユテル、アリ・ジョシュクンたちは特に惜しみない献身と心からの支援をしてくれました。一人の親として、善良なこの親友たちに、感謝の意を示すことをとても喜ばしいことだと感じています。
一方で、家族の理解と妻の献身的な貢献には心の借りを感じずにはいられません。
もちろん、最も強調されるべきなのは、この作品の向こう側、現実の社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、哀しみと希望に明け暮れる善良な親たちが懸命に努力をしているということです。もしもこの本に価値があるのなら、この「特別な」子どもたちのために捧げたいです。一人ひとり異なる特徴を有する子どもたちに特別な愛惜の感情を感じています。
Bülent.Üstündağ 1994年6月 イスタンブールのウルスで
〈コンテンツ〉
第1章.ダウン症の子どもが生まれた!
1. 慄きと親たちの精神状態
2.「どうして私の子どもが?」という考え方の基礎にあるもの
3. 家族が再び心理的に立ち上がる過程
4. 兄弟姉妹たちに慣れてもらうためのストラテジー
5. “他に子どもをもうけるべきか?”という問い
第2章.ダウン症を理解する
1. 略史: “蒙古症”から症候群へ
2. 症候群の発生と種類
3.「診断」の問題: 症候群に特有の症状
4. ダウン症患者に与えられたもの
第3章. 子どもの健康と予測される問題
1. かかりつけ医と良好な関係をつくるテクニックと条件
2. 医学的合併症への全体的な見通し
3. 精神的な障害: 尺度とアプローチ
4. 行動不全と症状退行メソッド
第4章.子どもの成長と発達
1. 成長とは何か?各ステージとカレンダー
2. 早期介入と特別支援教育
3.「大人みたいに話せるんだよ!」
4. 話すための読む訓練
第5章.初等教育: 我が国における状況と展望
1. “素晴らしき法律”の観点からみたあなたの教育権
2. 西洋、特にアメリカ合衆国における実践
3. トルコにおける実践状況と目標
第6章. ダウン症患者の若年者: 葛藤と希望
1. 適正評価:現行研究
2. “成長する権利”か、社会の”囚人”か?
3. 精神的動揺と自尊心の問題
4. 「移行計画」と社会の参画
5. 娯楽と休暇の教育
6. 職業教育、仕事と雇用の可能性;
7. 性に関して聞けなかったこと
8. 親なきあとの嵐
第7章. 未来への回帰