David Ishii

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モルダヴィアの古都ヤシへ(3)

表紙写真: フモール修道院(ルーマニア・スチャヴァ 2024年6月筆者撮影) ホテル・ヤシはやや古めかしいホテルだが、高齢の団体客のお客さんがよく入っている。エレベーターは簡単に落ちてしまいそうだが、とりあえずは動く。 ホテルを出て大通り沿いに坂を下りていく。夜到着したので暗いエリアから思ったら、むしろこっちがメインの通りである。教会や文化宮殿、現代的なショッピングセンターなどが軒を連ねており、かつてのモルダヴィア公国時代の首都であった時代を思わせる。残念ながら文化宮殿内

    • モルダヴィアの古都ヤシへ(2)

      表紙写真: ヤシ市内(ルーマニア・ヤシ、2024年6月筆者撮影) 2日目は早朝に起きて、ルセの中心部を散策した。しかし、都市の構造がよく分からず、意図せず広場と反対方向に行ってしまった。路上であったおじさんと空手の話をして一旦ホテルに帰って今度は車で中心部に向かう。 ルセの中心部はドナウ川沿いに下ってきたドイツ人が築いた街であり、ヨーロッパの主要都市のように碁盤の目状に街区が区切られている。街区には立派なドイツ風の建物(過去に南ドイツを訪れた時の印象に比べると、ルセの方が

      • モルダヴィアの古都ヤシへ(1) ルセでトランジット

        表紙写真: ルセのスヴォドダ広場にて裁判所と自由記念碑(2024年6月、筆者撮影) 2024年6月15日、トルコはイスラム教の犠牲祭休暇へと入った。トルコ国内はどこでも大渋滞になってしまうので、都会の喧騒を離れるべく、ルーマニア北部の都市ヤシへと向かう。 イスタンブールからルーマニアのヤシまでは約1,000kmで車だと片道14時間くらいの距離である。一日で1人で運転するのは大変なので、ブルガリア最北の町ルセで一泊する。 イスタンブールを昼頃に出てトルコとブルガリア国境の

        • ブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォへ(2)アルバナシ村の教会

          表紙: アルバナシの聖キリスト降誕教会(2024年4月、筆者) 2日目の朝は早めに起き出してヤントラ川沿いの渓谷を散歩した。緑が濃くて、遥か下の谷川の水の流れが冷涼な雰囲気を出しているような気がして、(本当はそうでもない。)何となくジョギングしたりしてみる。この先にも自治体や大学などがあるようで、散歩客や大学生などがちらほらと歩いている。西ヨーロッパからは距離が離れているけれども、何となくヨーロッパの市民という雰囲気というか概念を感じさせた。トルコ人だって同じだけれども、イ

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        • 47番目の染色体
          2本
        • トルコ語経済記事
          0本
        • 書評
          5本
        • Edebiyat
          3本

        記事

          ブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォへ(1) 春はタルノヴォ

          表紙: 春先のVelico Tarnovo (2024年4月、筆者) 大学生の時にオスマン帝国史を勉強していてずっと行ってみたかった街、Velico Tarnovo(ヴェリコ・タルノヴォ)へ行ってきた。9年越の念願成就である。 この街はブルガリア共和国の中部の北寄りの地域にあり、首都のソフィアやバラ祭りで有名なプロヴディフと比べたら知名度は低いかもしれないが、第二次ブルガリア帝国(12世紀後半から14世紀末)時代の首都であり、長い歴史を持つ街である。美食の街として知られ、

          ブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォへ(1) 春はタルノヴォ

          メキシコシティの旅(5) メキシコ中央銀行・博物館

          (写真: Museo Banco de Mexico、2023年2月、筆者撮影) べジャス・アルテス宮殿から横断歩道を渡って5月5日通りに入ったすぐ左手にメキシコ銀行博物館(Museo Banco de Mexico)がある。聞くとこの博物館は現役の中央銀行の本店らしく、セキュリティーチェックが厳格なため、大通り沿い(更に裏の郵便局の方だったかもしれない)にあったチケット売り場から入った。 銀行内に入るとガイド役の行員たちが行内を案内している。地上2階立てで1階には通貨の

          メキシコシティの旅(5) メキシコ中央銀行・博物館

          メキシコシティの旅(4) グアダルーペのマリア

          (表紙写真: グアダルーペ寺院(メキシコシティ)、2023年1月、筆者撮影) テオティワカン遺跡から出発したバスがメキシコシティの北ターミナルに滑り込む。メキシコでは公共のトイレは紙が有料らしいが、その辺がよく分からず出しすぎてしまった。再びメトロに乗り込み、今度はグアダルーペ寺院を目指す。Autobuses del Norteからは5番線Politechnico行きでInstituto del Petroleoで6番線Martin Carresa行きに乗り換えLa Vil

          メキシコシティの旅(4) グアダルーペのマリア

          メキシコシティの旅(3) テオティワカン遺跡

          (表紙写真: テオティワカン遺跡 2023年2月 筆者撮影) さあ、この日は地下鉄を使って歩き回る日だ。郊外のテオティワカン遺跡に行くために早朝5時半に起床して、まだ暗闇の街を地下鉄の駅へと向かっていく。徒歩5分くらいで地下鉄8番線San Juan de Letran駅に着いたが、まだ駅の入り口が開いていない。40分以上待ってやっと中に入れたのだが、今度はGaribardi/Langunilla駅行きの電車がなかなか来ない。駅のホームにいるのは私を入れて3人だけ。一番奥に陣

          メキシコシティの旅(3) テオティワカン遺跡

          メキシコシティの旅(2) 官庁街・クアウテモック地区

          ソカロ広場から西進するとベラ・アルテス宮殿という美術館がある。この美術館の前は秋葉原みたいな繁華街と観光地区の間を幹線路が走っていることから横断歩道が非常に混み、スリの巣窟として知られている。一人旅なのでたまには後ろをキョロキョロする必要がある。その先のアラメダ公園はホームレスやストリートギャングの溜まり場といった場所で、若い男の子がベンチに座っている他の男の子をサッカーのシュートよろしく、思い切り蹴り上げていた。人気がない状態でひとりでこの場所を歩くのはやや危険な雰囲気だ。

          メキシコシティの旅(2) 官庁街・クアウテモック地区

          メキシコシティの旅(1) 到着篇

          カバー写真はソカロ広場の国立宮殿(2023年2月、筆者撮影) グアダラハラ空港(GDL)を飛び立ってメキシコシティのベニート・フアレス空港(MEX)に到着したのは2月4日のことであった。空港にはセブンイレブンがあって、サンドイッチを買って日本と同じように温めて食べる。タクシーを呼んで市内中心部のホテルへと向かう。 メキシコシティでは空港の周辺は治安が悪いとされ、降りて歩き回ってはならないとされている。そんなことあるのかなと思いつつタクシーに乗っていると、それは必ずしも嘘では

          メキシコシティの旅(1) 到着篇

          メキシコ・グアダラハラへの旅 Viaロサンゼルス(2)

          (表紙写真)オスピシオ・カバーニャス(筆者撮影・2023年2月) 朝起きると、昨晩の深夜に到着した際の印象とは一転して、かわいらしい小綺麗なペンションに自分が滞在していることが分かった。 階下に降りていくと中央の廊下の奥にキッチンがあって、そこは宿泊客たちが自由に使ってよいスペースになっている。朝9時くらいになるとペンションの奥さんが無料で朝食を出してくれた。卵とニンジンを茹でたのと、オレンジジュースみたいなものを出してくれた。薄味でHand madeのお母さんの味という感

          メキシコ・グアダラハラへの旅 Viaロサンゼルス(2)

          メキシコ・グアダラハラへの旅 Viaロサンゼルス

          (写真はロサンゼルスの全米日系人博物館の入り口ゲート、2023年2月1日) ずっと行ってみたかったメキシコ中西部グアダラハラ(Guadarajara)市のオスピシオ・カバーニャス(Hospicio Cabañas)と呼ばれる中世の救貧院を訪れるためにメキシコを訪れる。メキシコはおろか、北米大陸に行くのも初めてである。 現在日本からメキシコ向けの直行便の航空機はコロナの影響により飛んでおらず、アメリカなどを経由して渡航することになる。今回はLCCのジップエアーを利用して、ロ

          メキシコ・グアダラハラへの旅 Viaロサンゼルス

          【書評】イヴォ・アンドリッチ『アリヤ・ジェルゼレズの旅』

           19世紀のボスニア・ヘルツェゴヴィナを生きた名力士アリヤ・ジェルゼレズの放蕩記。オスマン帝国治下のバルカン半島やイスタンブールを往復しながら名力士として名を馳せたジェルゼレズは数年ぶりにボスニアに帰ってきた。彼が酒場をたむろして酔客たちとの談義や諍いへと次々に巻き込まれていく様は、オーストリア・ハンガリー帝国による併合や数々の反乱が引き起こされた19世紀のボスニアの混沌を象徴しているかのように思われる。 酒場で人生の暇を持て余した人々の悪意や嫉み、街区を闊歩する気位高き女

          【書評】イヴォ・アンドリッチ『アリヤ・ジェルゼレズの旅』

          【書評】水上勉『波影』-福井県小浜「まいまいこんこ」の葬礼

          作家・水上勉(1999-2004)原作の『波影』(角川文庫・昭和44年)を読む。物語の舞台は戦中から戦後にかけての福井県・小浜の「三丁町」という遊里にあった「玉木家」という妓楼である。 戦前もしくは江戸以前の時代から続く遊女たちの伝統は北陸・小浜の地にも息づいていた。丹後・北陸・東北の貧しい農村から出た娘たちは各地の遊里・遊郭に奉公して、「年期」を果たし、「前借」を返すために必死に働いた。脈絡と続く日本的な「鄙と都」の原型は太平洋戦争終結に伴う占領軍司令部(GHQ)による日

          【書評】水上勉『波影』-福井県小浜「まいまいこんこ」の葬礼

          葡萄の聖母 トルコ・アフロディシアス遺跡訪問

           トルコ南西部の石灰棚で有名なパムッカレからバスで一時間半ほどの郊外にアフロディシアスの遺跡がある。ここはギリシャ・ローマ時代の遺跡であるが、エーゲ海や地中海岸に点在する他の遺跡とは異なり、やや内陸寄りの位置にあるためか独特な景観を呈している。パムッカレの近くの中心都市デニズリを経由し、この地方の殺風景なハゲ山を縫って進むとやがて右手側にゲートが見えてくる。幹線沿いにあるゲート前の乗降場でバスを降りると、幹線を渡ってやや奥まったところにある遺跡へと向かうことになる。入場ゲート

          葡萄の聖母 トルコ・アフロディシアス遺跡訪問

          【読書評】ナディン・ゴーディマ「むかし、あるところに」

          「あるとき私は児童文学全集に作品を書いてくれという依頼を受けた。私は子どもの本は書かないと返事を出した。するとその人は、最近の会議だかブックフェアーだかセミナーで、ある小説家が、作家は少なくとも一つは子どものための本を書くべきだと発言したという手紙を送ってきた。私は、なんであれ、”書くべき”だということは受け入れられないという葉書を出そうと思う。」 岩波文庫『ジャンプ 他十一篇』ナディン・ゴーディマ作、柳沢由実子訳 この作家は、作家は少なくとも一つは子どものための本を書く

          【読書評】ナディン・ゴーディマ「むかし、あるところに」